カミはどこから来たか
https://www.sanseido-publ.co.jp/publ/booklet_kami2.html 【対談 カミはどこから来たか
『一語の辞典 神』をめぐって・その二】より
大野 晋(おおの・すすむ 学習院大学名誉教授)
伊東俊太郎(いとう・しゅんたろう 東京大学名誉教授)
伊東―先生の『一語の辞典 神』(以下、『神』と略す)は、まず日本の神の特質から書き起されています。そして仏が入ってきて、神仏習合という日本独特の状態があり、それが今度、廃仏毀釈でまた分離するというわけですね。それからもう一つ、ヨーロッパのゴッドが入ってくる。そういう多重的な関係があるんですが、そこのところを簡潔に、しかも要点を外さないで、ずっと見てくださったということは、日本語の神の広がりといいますか、それと変遷をはっきりさせていただいて、「カミ」という言葉を理解するものとして有益な本だと思うんですね。
それからもう一つは「カミの輸入」ということ。これがタミル語の問題になるんですが、ここでは非常に新しい論点を出されたわけです。タミル語という新しい言語との関係ということを視野に入れることで、神という言葉をはじめとして、その他の神に連関する言葉が、日本にどういうふうに入ったかという、これまた面白い、刺激的な提案をされています。
そして最後は、「日本の文明と文化」という問題で結ばれたということですね。非常に起承転結がはっきりしている。地平も広いし、新しい論点がある。とくに神の輸入のところは大胆で、かつ今まで誰もいわなかったことをおっしゃっているわけです。まあ話のはじめとして、先生が日本の神の特性を六つばかりあげておられるので、それを「ぶっくれっと」の読者のために、ちょっと申し上げておきましょう。
カミの六つの特性
伊東―まず第一点、「神は唯一の存在ではなく、多数存在した」。要するに、日本の神というのは一神教ではなく、多神教で、いろんな神がたくさんあったということです。高天原の神だけではなく、竈の神から道の神にいたるまで、いろんな神があった、それが一つですね。
それから第二は「神は具体的な姿・形を持たなかった」。これは非常に大切な点です。とくに、形がはっきりしたギリシャの神、人間の形をした神と比べますと、日本の神は少なくとも仏像が入る前は、形がないんですね。隠れている。『古事記』の最初に出てくる「隠身」、この「隠り身」の神から始まるので、これを「身を隠したまひき」と読んではいけない。先生がおっしゃるように「隠り身」と読まなければいけないと思います。
あれはポテンシャルということなんです。アクチュアルではない。背後に隠れていて、力だけ影響を及ぼしてくる神なんですね。これは日本の神の特質といっていいと思います。そして後にアクチュアルな神、「現し身」の神が出てきますが、ウヒヂニの神、スヒヂニの神、それからツノグヒの神、イクグヒの神、オホトノヂの神、オホトノベの神、オモダルの神、アヤカシコネの神、みんなそうですね。
これも実に、論理的に整然としています。まず、ウヒヂニとスヒヂニ、両方とも湿った大地なんですよね。まず大地がつくられる。その上に何ができるかというと、ツノグヒとイクグヒ、これは生命が誕生するということ、大地から生命が誕生する。その次は何か。オホトノヂとオホトノベ、これは性の発生ですね。そしてオモダルとアヤカシコネというのは、そこに発話ということがあるわけです。言葉を発する。それで、イザナキ、イザナミの神、これは誘惑ということ、イザナイが始まって、そしてクニウミにいくわけです。
大地、生命、性、そして発話、誘い、国生みと、実に整然と並んでいる。これは「現し身」です。しかし、その前の神はみんな。
大野―隠り身です。
伊東―そうですね。アメノミナカヌシから始まって、トヨクモノに終るのはみんな隠り身なんですね。これが第二点です。
第三点に先生は、「神は漂動・彷徨し、時に来臨し、カミガカリした」といわれる、つまり彷徨する神、これもぼくは日本の神を考えるときの重要な論点だと思いますね。つまり、どこの神社でも旅所ってあるじゃないですか。神が出かけて一服するところです。そして、日本人が旅ということにこだわることは、芭蕉とか定家をみてもわかりますが、こういう神の概念の中に、この旅というものがあるんで、神がまず旅をするということは非常に重要な面白い点だと思いました。 それから四番目は、神はいろんな「場所や物・事柄を領有し支配する主体であった」という。これも大切ですね。地鎮祭というのは、神様がそこを領有しているから、勝手に社屋なんかつくっちゃいけないわけで、大地を鎮めて「建てますよ、よろしいですか」と、神様の許しを得てから建てるわけです。土地を支配する神がちゃんといるんですね。
それから「神は超人的な威力を持つ恐ろしい存在である」ということ。だから、カミナリみたいなもの、オオカミとか、怖い存在です。そういうようなものが出てくる。
六番目に、神の「人格化」で、これは最後の段階だと思うんですが、人間の形をもってくる。支配者で領有者が人間化されます。以上の六つの論点を出されているのは、神の本質的な点、重要な論点を見事に摘出されたと思うんです。
大野―私の論点をよく理解していただいてありがたいと思います。六つの点の中には、山折哲雄さんがすでにいわれたのと同じことがあるんですが、「隠り身」は、ふつうは「身を隠したまひき」と読んでいます。そう読むと、神に、はじめから身があったということになる。それでは、論理的に合わないんです。
宣長のカミ、オットーのカミ
伊東―それで次には、ここでやはり本居宣長を出さなければいけません。宣長が神をどう定義したかということですけれど、『古事記伝』を引用してみると、宣長は正直だから、まず「迦微と申す名義は未ダ思ヒ得ず」、わからないといっています。ただし、こうではないかと彼が提案しているのは、「古御典等に見えたる天地の諸の神たちを始めて、其を祀れる社に坐ス御霊をも申し、又人はさらにも云ず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其餘何にまれ、尋常ならずすぐれたる徳のありて、可畏き物を迦微とは云なり」
こういってるんですね。これは日本の神をつかまえるときに、尋常でない力をもって、そして人を畏怖させるようなものが神だというわけです。そこで、彼はちょっと注をして、善とか悪とかいうのはこの際問題ではないといっています。
神といえば、ふつうは絶対善とか、そんなことを考えますね。とくにヨーロッパの神はそうですが、しかし宣長は、いいことも悪いこともどっちもして、とにかく尋常でない力をもって、人を畏怖させるものが神だという。だから、「貴きもあり賤きもあり、強きもあり弱きもあり、善きもあり悪きもありて、心も行もそのさまざまに随ひて、とりどりにしあれば」というのは、非常に日本の神を鋭い直観でとらえたと思うんですね。
このことを、ルドルフ・オットーという人が『聖なるもの』(邦訳、岩波文庫)という本で書いています。つまり、ヨーロッパにおける創造神とか絶対善の神様というのは、特殊ヨーロッパ的なことなので、もっと神一般ということを考えたら、その根底に聖なるもの(ヌミノーゼを起させるもの)があるということを彼はいっている。
ヌミノーゼとは何かというと、まず第一にトレメンドゥム、ラテン語ですが人を畏怖させるということで、まさに宣長がいっていることです。それからマイェスタース、これは優越していること。それから第三番目に力がある。これも彼はいってます。四番目に摩訶不思議という、ミステリウムですね。秘儀です。そして最後に、これはちょっと面白いんですが、にもかかわらず、われわれを魅するもの、ファスキーナンスがあるという。
この五つの論点は、実は宣長とぴったり合っているんです。これは二十世紀、一九三六年に出た本ですが、宣長はそれに百年以上先立って同じことをいっている。そして、こういう考えで見ると、キリスト教の神というような絶対神ではなく、たとえば東南アジアの神とか、インドの神とか、アイヌの神とか、そういう神がみんな入ってくるんですね。それが一つの神という概念でくくれるわけです。ぼくは宣長を読み、一方でオットーを読んで、この符合に驚きました。
それからまた、大野先生がいくつかあげておられるところとも重なるわけですが、先生は南アジアの神というのを問題にされた。これは新しい視点ですね。日本人は、インドといっても北ばかり問題にしてきました。ガンジス川のほとり、仏教でありサンスクリット語やパーリー語の世界であって、南インドは問題にしなかったわけです。ところが、南のドラヴィダ文明圏というのは非常に重要なもので、この南と北と二つつかまえなければ、インドは本当はわからない。それを、これまでは北ばかりやっていたわけです。
歴史でも、このごろですね、南インドのことを詳しく書こうという努力が始まったのは。ですから、そこのところを先生が注目されたということはすごく面白くて、南アジアの神についても、今いったようなことがほぼいえることは、この『神』でふれておられるように、山下博司さんがカダヴルなんかのことでいっているのはちょうど合うんですね。
大野―私があげた神の特徴のなかの「恐ろしいもの」とか「威力があるもの」というところは、宣長のいっていることを含めて書いたつもりでした。たしかに、「神」には、宣長のいっている意味のことがあるわけで、それは間違いない。ところがその威力だけの存在が人間化されてくる、そこのところですね。
伊東―そこが問題なんです。そこで、タミル語の問題になるんですが、先生は『日本語の起源(新版)』(岩波新書)を初めとして、タミル語との関係を明らかにしようと何十年努力され、非常にたくさんの対応を明らかにされた。これは、これからの共有財産になるんじゃないかと思うんです。その点はまず認めないといけないと思います。そのなかのいくつかについて、問題があるならあるでいいので、むしろあって当然でしょう。初めての試みなんですから。
それはいろいろ批判がある前に、それについて議論する土台をつくってくださったということは認めるべきです。これだけたくさんの対応を見つけてくるということは大変な努力ですよ。日本語の起源について、一つの共通財産をここに出されたということは、言語学者のみならず、日本文化の起源や日本語の起源を問題にする人たちがまずアプリシエートしなくちゃいけないんじゃないでしょうか。
日本語とタミル語、500語の対応
大野―ぼくは今、ゾクゾクしてるんです。そんなこといってくださった方はないんです。『日本語の起源(新版)』には、日本語とタミル語の対応する単語を三〇〇出したんです。ただ、これは単に単語表として出しているだけだから、右と左に並べて出した日本語とタミル語が、うまくぴったり合うか合わないかということに関して説明不足のところがあるんです。
実は、対応する単語は五〇〇あります、それは雑誌『解釈と観賞』に十五年にわたって全部、一語一語、タミル語の文例と日本語の文例を出し、音と意味が合うのがこれだけあると発表しました。それを一冊にまとめた本が、近いうちに出ると思います、今七五〇ページの初校が出ていますから。助詞、助動詞の対応語を除いて四八〇数語です。助詞、助動詞を入れると五〇〇語をオーバーするんですね。助詞、助動詞に関しては、集めた用例を何十と入れました。
実は今、マドラス大学のコタンダラマン先生に送って吟味してもらっています。間違いや賛成できないものがあったら、ちゃんとチェックしてくれと、ゲラ(校正刷)を送ってあるんです。タミル語といっても、日本でなさっている方は少ないわけで、むしろほとんどいない。ですから、私のあげる例が本当かどうかわからないところがある。それを何らかの形で保証されるようにしなければいけない。他にも、ジャフナ大学のサンムガダス教授、その夫人M・サンムガダス博士にもみてもらっています。いわば共同研究なのです。
『神』にも書きましたが、ヨーロッパでデンマークの言語学者ラスクがはじめてインド・ヨーロッパ語族という考え方を証明しようとしたときは(一八一四年)、三五二の単語でやっています。三五二語でも、ヨーロッパでは少ないとはいわなかった。これは大変だと皆さんが研究して、一〇〇年間かかってインド・ヨーロピアン・ランゲージという一大語族が確立されたんですね。今度の本で、たとえ一割賛成されなくても、九割残れば四五〇語です。
正直いって、学者たちが朝鮮語と日本語とか、アイヌ語と日本語とか、いろいろ比較をしていますが、みんな無理をする。ちょっとでも似ていると、同系ではないかというわけです。ぼくは『ユーカラ』を調べてみたことがありますが、対応語といえるものはありません。今やアイヌ語で暮している人はいない。アイヌ人は日本語で暮しているんです。そういう人にアイヌ語を聞くわけです。すると、アイヌ語を思い出せないで、日本語をいう。それでは日本語と似て当然です。そういうものは資料にできない。金田一京助先生は、『ユーカラ』の言語によって考えて関係がないといわれた。今のアイヌ研究家で『ユーカラ』のわかる人はほとんどないと聞きました。
ぼくの今度の研究について、言語学者と名乗っている人で賛成という人はいないんです。それは構わないんですが、言語学者と名乗って批評を公表するのに、日本語を知らないんですね。金田一京助先生とか小倉進平先生、これはぼくが大学の学生のときに講義を聞いた先生ですが、二人とも古代日本語に詳しかったんです。ぼくは金田一先生の「古代日本語の文法」という講義を一科目とったことがあります。そういう講義をなさるくらい詳しかった。
小倉先生には朝鮮語を二年間習いました。この先生も日本語は詳しかった。実は小倉先生のお子さんの芳彦さんが学習院大学の東洋史の先生で、「親父の卒論を見せてあげようか」ということで、「ぜひお願いします」と見せていただいたことがあります。小倉先生が明治三十何年だかに書かれた卒業論文は日本語の研究なんです。詳しいわけです。これだけ日本語を知った上で朝鮮語をやっている。だから、金田一先生も小倉先生も、いうところがみんな、ぼくらにピシピシとよくわかるし、外れがないんですね。
ところが、率直にいって現在は、フィンランド語の専門家、チェコ語の専門家、フィンランド語やチェコ語を研究されるともう専門家で、言語学者だとおっしゃる。ところが、比較言語学とは、向こうの言語を五十、日本語を五十で、五十と五十、合わせて百の力でやらないと駄目なはずなんです。日本のほうの五十があまり心もとないと、うまくいくはずがない。それを非常に感じます。
文明移転ということ
大野―ぼくは『万葉集』と『日本書紀』の注を書きました、『源氏物語』もやりました。『岩波古語辞典』などもやったし、これでぼくの学問は終りだと思っていたんです。そうしたら、今から二十年前に一冊の字引を手に入れて、読んでみて驚いた。こんなにピタピタ合う単語があるのかと思ったんですね。『ドラヴィディアン・エティモロジカル・ディクショナリー』ですが、丸善で買って帰りの電車の中で開けてみて、これは大変だと思ったんです。ぼくは日本語をやっていたものだから、英語の説明をちょっと読めば、すぐ形と意味の対応がわかったんですね。ぼくが日本語をわかって論じてもらいたいという意味は、そこなんですよ。
伊東―なるほど、わかりますね。これだけたくさんの対応を出されたら、それはいくつかの問題はあるかもしれませんが、検討するという姿勢をとらないで、駄目だとか、これを無視するということは絶対できないですよ。これだけ具体的に出されているんですから、空論じゃないんですよね。
これはぼくも先生から『ドラヴィディアン・エティモロジカル・ディクショナリー』をいただいて、見ましたよ。だけど、そんなにすいすいと発見できません。やっぱり、これは長い間、日本の古い言葉をやっておられたから、これはこうじゃないかと直観が働くんですね。大野先生だからできたんです。それを認めるということがなくちゃ、学問的に公平じゃないな。
大野―『岩波古語辞典』では注を二万語書いたんです。一語一語の形と意味と、言葉の素性を、二万人の面接をやったようなもので、顔をみんな覚えているわけです。だから、ドラヴィダ語の形と説明を見ると、あっ、この顔は、とすぐわかる。冬になって、こたつに入りながらこの辞書を読んで行くと、「あった!」と叫んじゃうわけですよ。そうすると、家族がみんなびっくりしちゃって、うちではその研究はやらないでくれといわれたり。類似といっても、かすかに似ているなんていうものじゃないんです。ピタピタ合っちゃう。
一例をあげますと、ネキル(nekir)という単語があります。これはニキ(和)だなと思って見ると、to become loose(ゆるむ), melt as wax(蝋のように溶ける)とある。さらによく見ると、to be tender heartedと書いてあるんです。「優しい心をもった」と。心が感じられなければ、ニキじゃないんですよ。心が柔らかい、ニキタマ(和魂)とか、そういうことをいうんです。
そういう具合にニュアンスまで合うんです。ぼくは朝鮮語なんかも調べてみたことがあるけれど、日本語は外国語と合わないものだという経験があるんですね。だから、タミル語をみて驚きました。まあいずれよくわかってくださるときがくると思っていますけど。
伊東―そこで、そのことを認めた上でいいたいんですが、先生は『日本語の起源(新版)』でも、「日本語とタミル語が同系であることを示す」と書いておられます。しかし、同系(cognate)ということは、もともと生まれを一緒にしているという意味です。たとえば、ポルトガルとスペイン語とイタリア語とフランス語は、みんなラテン語から出ています。生まれが一緒なんです。これが同系という意味なんですね。
ところが、先生がここでやっておられるのは、実は対応なんですよ。子音の対応、母音の対応、つまり音韻の対応ですね。これをやられて、こういうふうにあるじゃないかということを、たくさんの例を出されています。それはもちろんたいへん興味深いんですが、たしかに同系ならば対応はあるんです。しかし、対応があったら同系かというと、その逆は必ずしも真ならず。これはわからないんですね。たとえば、借用ということがある。タミル語の大量借用があっても、対応はあるんです。だから、果して同系だということをいえるかどうか。
ぼくはむしろ、「文明移転」という言葉を使うんです。“civilization transfer"という言葉をつくって、江上(波夫)先生と対談したこともあるんですけど、文明移転ということで考えると、言語だけじゃなくて、稲作の問題、金属器の問題、それからお墓の問題、いろんなものがセットになって移ったという点は大野先生の非常に強い論点です。
つまり、先生は単なる言語学者じゃないんですよ。考古学を含む、もっと広い次元から文明的要素というものに気をつけられて、その中に言語というのを組み入れて考えておられる。これは正道だと思いますね。言葉だけを抽出してはいけないし、また考古学というだけの世界に止まってはしようがないので、そこのところを先生は総合的にやっておられます。
国語学を専門にしながらも、広い文明史的な観点から、この『神』でも『日本語の起源』でも書かれている。これは非常にユニークだし、そういう総合的なアプローチでやらないと、真相は究明できないんじゃないかという気がするんですね。ぼくなんか、比較文明論をやっている者にとって、非常にいろんな点で示唆の多い提案をされていると思うんです。
ということで、同系というより、文明移転でいったほうが説得力があるのではないか。そうでないと、タミル語と日本語が同系であるなら、じゃ祖語を示してくださいと言語学者はいいますよ。そうすると先生は、その共通祖語というのはどうせインチキだからとおっしゃる。(笑)
大野―いや、そんなこといわない、いわない。(笑)
南方の類縁語を求めて
大野―ヨーロッパの比較言語学では、最初にサンスクリットが見つかって、それとギリシャ語、ラテン語、さらにゲルマン語が加わって、その比較から始まっているわけです。ですからヨーロッパ語については、共通祖語があるということに関しては信じて疑わない。祖語からどういうふうに分れたかというところに、学問の出発点があったわけです。
ところが、日本語の場合には、いったい先祖はどこなんだか、相手がどこかもわからないという状態で始まった。それにもかかわらず、みんながヨーロッパのcognateという考え方で臨んでくるから、一万年前にはどこかに一つあった言語が東に来て日本語になったとか、西へ行って何語になったとか、あるいは南へ、あるいは北へ行ったというふうに一般に予想します。ところが、大野の言うことは、時間的には途中から船に乗ってきた人があって、それは言葉よりも文明を先にもってきた。文明が来たものだから、それが言葉にまで及んで行って、単語から始まって言葉がついに全面的に取り変わったという、そういった現象だという。
そうだとすれば、いわゆるcognateとはちょっと違うんじゃないか、ということですね。伊東先生からは前から「文明移転」という考え方をいただいています。なるほどそうだと思っているんです。もともとぼくの言語論は、いつも文明と根本的にくっついている。ところが、自分で話を組み立てるときには、その語り方が、同系だという単語を使うわけですね。古来はじめから同系ではなくて、ある時期に同系になったというつもりなんです。
それからもう一つ、ぼくが伊東先生の学問について深い関心をもっているのは、先生が文明学者で、科学史とか文明のことを論じておられるにかかわらず、言語に厳しいということです。たとえば、イスラム文化というものを持ち出すときに、ヨーロッパ人がやった結果を読んで、それを取り次ぐのではなく、ちゃんとアラビア語の原書、オリジナルのテキストにあたっておいでです。ラテン語とアラビア語とを読み比ベて、それを突き合せることによって、実はヨーロッパがそういうアラビア語の文明を引き受けて、そこからルネッサンスが始まったということをご指摘になっているんですね。
伊東―いや、過分なお言葉です。
大野―私は戦後、学問の世界に入って日本語の勉強を続けて、結局、その起源が問題だと考えたときには、言語学の本流はアルタイ語との対比でやっていたわけです。ところが、音韻・文法・語彙といったとらえ方でアプローチしていっても、アルタイ語とはどうしてもうまくいかないということがわかってきていた。文法的な構造はほぼ共通でも、単語の対応が見つからない。だからぼくは、それを打開するために、南のほうに何かないかと考えたんです。
それで『日本語の起源』の旧版では、「南方に類縁語を求めるべきだ」とは書いたものの、それがどの言語とはいえなかった。ところが、それから何十年かたって、江実先生の示唆によってタミル語という、知られていない言語、その字引を読んでみると、ただごとではないと思った。そして、タミル語との対応をやっているうちに、これは文明が先と考えないと成り立たないと思うようになってきたんですね。
伊東―なるほど。
大野―というのは、比較語彙をやっていると、お米に関する単語が三十も出てくるわけです。「ハタケ」とか「タンボ」、「コメ」とか「アハ(粟)」という単語が出てくる。「アゼ」も「クロ」も「シロカキ」の「シロ」も、「モチ」や、「ツク」なんていう動詞もある。というようなことから、これはお米が先に来たんじゃないかと考えた。お米が来たとなると、これは弥生時代です。弥生時代に入ってきて、その文明が北九州から広がっていって、前にあった言語を巻き込んでいって、前に使われていた言語にとって代り、それを滅ぼした、そういう事態ではないかと思うようになったんです。
文明が来て、言語が来た
大野―要するに、先生のご指摘の通り文明移転ということを明確に考えるようになって、文明移転が言語の輸入に先んじて起った。まず文明移転から始まった。だから縄文時代の言語は何かわかりませんが、縄文語といっておきましょう、縄文語が発音だけ残してタミル語を受け入れたわけです。なぜ受け入れたか。何らかの関係がなければ、受け入れは起らないはずです。
実はそのときに、南インドから船に乗ってきた連中は稲をもってきた。機織りをもってきた、金属をもってきた。これは縄文人の食物、着物、武器に比べて、文明の度合いが違います。完全に違う。それで、水田耕作をやれば食糧は安定的に、おいしい栄養のあるものが食べられる。金属が入ってきて、金属の武器もあるし、農耕具もあったはずです。そうなったときに、みんなそれを欲しいと思ったに違いないんです。
ところが、日本では鉄は生産できなかった。だから鉄が輸入されても、鉄を使ったのは非常に限られた人だけだったと思う。稲作の刈り入れには、ふつうは石包丁を使っています。これは中国、南朝鮮にあるものです。それと同じものを使っている。そこで、日本の稲作は中国から来たに違いないと考古学者はいっている。インドはすでに鉄器の時代ですから、石の刈り取り機なんて使わない。だから、中国あるいは朝鮮から石包丁を使う技術が来たとするのは正しいと思う。
しかし、佐賀県の菜畑遺跡という、最初期にお米をつくったといわれている遺跡があります。あそこの木材の切り口は、金属を使わないとできない。石の道具ではできないということがわかっています。だから鉄器を使っていたに違いないんです。ところが、鉄器は腐食して消えちゃうんですね。滅びて残らない。日本で鉄器が生産できるようになったのは何百年後のこと。つまり、まず文明が来たということです。
まず文明ありき。その文明で、お米が作れるようになった。田んぼを調べると向こうと同じなんです。そういう技術は全部、向こうから習った。その技術を習ってお米を作り、鉄器を使って戦争をやった。縄文時代は戦争がなかった、弥生になってから戦争が始まったと佐原(眞)さんがおっしゃっている、その限りでは正しいと思うんです。やっぱり土地を専有して稲作ができるかどうかということが、富の蓄積に関係してくるわけです。
そうすると、そこでは土地を持つことが必要になってくる。そして、余剰の食料ができて、勤労に従事しないで、人を働かせて食っていく階級ができた。そこで王様というのが確立するわけで、先生ご存じの通りなんですね。まず文明ありきということは、日本が南インド文明化したことです。
そうすると、どういうことが起るかというと、最初は「コメ」とか「アハ」とか「タンボ」とか、あるいは「ハカ(墓)」とか、そういう単語、文明語が入ったに違いない。文明語だけまず引き入れたんです。ところが、圧倒的な文明の差だから、向こうの文明をとにかく早く身につけたほうが、いろんな意味で有利なんだから、みんな一生懸命になって輸入し模倣した。文明語だけじゃなく、あとでは短いセンテンスを覚え、ついに長いセンテンスまで取り入れてしまった。
そうなったときに、文法組織は明らかに縄文語とは変わったものになったはずなんですよ。それはどういう状態かというと、たとえていえば、日本語はドラヴィダ語の一ブランチになったのです。
タミル語との音韻対応
大野―日本語がドラヴィダ語のブランチになったときに、タミル語とどこが違うかというと、音のシステムが違ったと思います。タミル語は「子音+母音+子音」という、CVCで一語になりうるという音のシステムの言語です。アルタイ語もそうです。アルタイ語も子音終りで一音節になり、CVCです。日本語のようなCVCVと全部母音で終るのは、アルタイ語にはない。どこにあるか。それはインドネシアとかオーストロネシアにある。その古形は母音が四つなんですね、昔のオーストロネシア語は。
そこで日本語ですが、『万葉集』の音韻を詳しく調べて、日本語の最古の母音は四つだったということが、タミル語をやる前に私にはわかっていました。『万葉集』の万葉仮名が八つの母音を区別するということは、橋本進吉先生の発見で重要ですが、それをさらに分析してみると、元は四つだった。四つの母音と、それが融合して新しくできた四つがあって、八つに増えた、それが奈良時代です。平安時代以後、その一部が合流して五つになるという変化が起きた。
だから、日本語の母音は四つだったと見ていたんです。その四つでタミル語のaiueoの五つと対応させると、きれいにいきました。aiuは共通です。日本語にはもう一つ、オ列乙類oというのがあったんですが、これがタミル語にはない。逆にタミル語には、eとoがあって、この二つは日本語になかったから、困っちゃって、eは近いiで、oはaで引き受けることになった。ところが日本語のオ列乙類oだけは相手がいない。そこで、タミル語のuを日本語ではuで受け入れるのと、オ列乙類oで引き受けるのと、二つのどっちでもいいという体制ができたんですね。
ということはどういうことかというと、日本語はCVCVシステムという母音終りの四母音の言語を使っていた。その日本の縄文語は簡単な頭子音を持っていて、その子音はタミル語とほとんど共通だったんですが、タミル語にある巻き舌の音は日本語になかった。その程度の相違はありました。そこで巻き舌の音は普通の音で受け入れるなどして、単語を取り入れるところから始まって、結局、文法まで巻き込まれた。というのは、タミル語と日本語とは助詞、助動詞が二十いくつ対応するんです。これは文法組織の根本が合うということでしょう。文法の要素までいちいちコレスポンデントしてくると、それはつまりブランチになった、合流しちゃった。同系になったということだと思います。
これはヨーロッパに例があります。たとえば、ラテン語がスペイン語になり、プロヴァンス語になり、フランス語になり、イタリア語になり、ルーマニア語になった。なぜ、これだけ違ったものになったか。その言語はお互いにコレスポンデントはあるけれど、それぞれの言語は具体的には多くの相違点を、単語にも文法にも持っている。それはラテン語が入る以前にそれぞれベースにあった言語の特質が残ったわけで、古い言語の上にラテン語がのっていったときに、その前の形が単語はもちろん音の上でも文法的なものでも、いろいろな点で残ったからでしょう。
ラテン語がルーマニア語とスペイン語というように分れたということの意味は、ルーマニアとスペインのベース(サブストレイタム・基底)が違っていたということです。ラテン語以前に違った言語があったんです。ルーマニアにはギリシャ文化とギリシャ語がすでに入りこんでいた。だからルーマニア語には非常にギリシャ語的なものがある。フランスでは、前にあったケルト語に長い母音がなかったものだから、フランス語として成立したときには、新しく入ってきたラテン語のもっていた長い母音は受け入れられなかった。それで消えてしまった。それぞれのサブストレイタムが残ったのだと思うんですね。同じことが日本語とドラヴィダ語との間に起きた。
日本語は重畳語である
伊東―そうなんですね。だいたい賛成なんですが、そこでちょっと違うのは、この日本語の起源という言い方とも関係があるんですが、ぼくの論をもう少し推し進めると、要するに日本語の起源をいうときに、「同系」という言葉をやめようという提案なんです。
ということは、要するに印欧語の場合、今おっしゃったフランス語とイタリア語、あるいはスペイン語、ひっくるめてロマンス語ですね、これは単系語といってもいいと思うんです。つまり単系であって、それはいろいろ変容したけど、元はラテン語なんですよ。そして、ケルト語の影響は受けたかもしれないが、ケルト語を駆逐しちゃったんです。もちろん、そのラテン語が土着のもので変容することはありましょう。変容はしたけど、とにかく駆逐しちゃった。
つまり、それは交替(alternation)現象といっていい。言語の交替です。もうケルト語はアイルランドやスコットランドなどを除いて使われなくなった。ケルト語の単語は、たとえば固有名詞でセーヌ川の「セーヌ」とか「パリ」もそうです。パリースィーというケルト人があそこに住んでいたんですね。だから、そういう固有名詞は残っているけれど、ケルト語はほとんどみなフランス語などに交替されてしまった。
ところが日本で起こったことはどうかというと、交替現象ではなく重畳(superposition)現象だった。言語の重畳が起こった。それは単系語ではなくて、一種の融合語だというのがぼくの考えです。日本語は融合語、つまりフュージョンです。だけど、コンフュージョンじゃない。新しい文法組織ができるとか、きちっとした形はとるんです。ということは、日本語が融合語であれば、そもそも日本語がアイヌ語であるとか、そもそも日本語が南島語であるとか、そもそも日本語がタミル語であるとかいうことはいえない。
大野―そこでね。
伊東―いや、タミル語が日本語の相当部分を占めた、三五〇語も対応語が出てきたらすごいことですよ。でも、それもあくまでも日本語のうちの一部なんです。まだ一万いくらも単語はあるわけです。ほかの言葉はまた違った系統をもっていていいわけですね。
だから、そういう原始基礎語といいますか、東アジアの基礎語があって、そこに縄文語がのっかって、そこにタミル語が大量に入ってきて、単語の面でも文法の面でも、かなりの影響を受けたでしょう。しかし、その後またアルタイ語が入ってきましたから、アルタイ起源の語だってあることはあるんですよ。文法の面での関係もあったでしょう。朝鮮語も少ないとはいってもあることはあるわけです。そして、最後に漢語が入ってきますね。漢語の影響というのは圧倒的にある。それが重なっているわけです。
そうすると今度は仮名遣いということをきちっとやらなきゃいけないということになって、仮名遣いの規則が決まり、今の日本語ができている。これは重畳現象なんです。ですから、今まで日本語の起源というのがあっちへ行ったり、こっちへ行ったり揺れていたのは、融合語であるにもかかわらず、単系語であるかのごとく議論しようと、つまり印欧語の系統論の真似をしようとしたわけです。
大野―なるほど。
伊東―タミル語の場合、かなり大量に先生が発見されたから、それはすばらしい業績なんですが、それでもあくまで日本語の一部だということです。だから、日本語がすべてタミル語に入れかわったということではない。
大野―そこで私の申し上げることは、同系であるとは何によっていえるかということです。ヨーロッパの例でも、ヒッタイトのそばで見つかった言語ですね、アルメニア語ですが、文法組織の要素だけがヨーロッパ語かという意見があります。
伊東―なるほど、そういうことはあるかもしれない。
大野―それをインド・ヨーロッパ語の中に入れているんですね、彼らは。そうだとすると、今、先生のご意見で、日本語についてわからないのは何かというと、ベーシックワード二〇〇〇、あるいは三〇〇〇といわれますが、大野には五〇〇語しかわかってない。あと一五〇〇、二五〇〇はどうしたんだということになりますよね。これはまだ、由来不明です。
伊東―たとえば、南島語でいくつかやっている人もいます。だから、それは駄目だとは私はいわない。いいですよ、それもおやりくださいといってる。
大野―それは、もちろん結構、私も同様です。個々に似ているというのではなくて、音の対応といえるほど多くの例をきれいに証明して、ちゃんと音韻の対応を証明できれば賛成します。それはできていませんね。それに文法がまったく違う。
子音+母音+子音の対応はきびしく
大野―ぼくがいいたいことは、言語の同系といった場合、それは何が条件なのかと。インド・ヨーロッパ語があれだけいろいろブランチに分れているにもかかわらず、それをヨーロッパ語族だと一つにしているのは何だといったら、単語ではないでしょう。インド・ヨーロッパ語族の十四語派すべてに共通な語根は一語しかなく、十三語派に共通な語根は四つ、十二語派に共通な語根は九つだそうです。やっぱり文法の基本的な要素(形態素)が、それぞれに変容しながらもちゃんとコレスポンドしているところに同系の基礎がある。文法が軸です。その形と機能が対応すれば、それは同系になったのです。日本語とタミル語の間にそれが成立したから同系なのだと考えるわけです。
伊東―文法もかなり変化はいろいろありますよ。ドイツ語だったら、定形後置というのがあるじゃないですか。英語はやりませんね。だけど、ドイツ語と英語の単語を比べたら明白な対応があるんです。これはもう、一目瞭然以上ですよ。発見する前に見えちゃう。ところがタミル語の場合はそれがなかなか見えない。大野先生だから見えたけど、ぼくには見えないというのがいくらでもあるんです。
いわれてみて初めて、なるほどそうかなというものがずいぶんあるんですよ、正直いって。だから、ドイツ語と英語ほど明白だったらいいですよ。だけどタミル語は、これはこうこうだと相当理屈をつけないといけない。要するに、同系は直観が重要なんです。ところが先生には直観が働くけど、ぼくには働かないというのはどういうことかというと、やっぱり複雑なんですよ、説明が。
大野―そうですか。それは説明が足りないんだと思います。今度出る七五〇ページの本を読んでいただくと、もっと理解をしていただけると思います。ことに、どうしても重要だと思うことは、助詞、助動詞が二十種類以上、明確に用法上、音韻上、コレスポンドすることです。これはただ事じゃないですよ。
なぜならば、今、現代語のわれわれの現代文法、これを奈良朝と比較してごらん頂きたい。助動詞の音韻の対応ができるかどうか。日本語だと思っているからみんな同じだと思っているけど、証明となるとそう簡単にはいかないんですよ。それから、名詞は明らかに借用は可能なんですが、「行く」とか「来る」とか「取る」という基礎動詞はそう簡単に対応するものじゃない。
伊東―そうすると、要するに印欧語の対応は明々白々だが、タミル語の場合はそれほど明白でないという一つの根拠は、先生は子音の対応を、まず前の二つは合わなきゃいけないと。しかし、三つ目の子音になると、これは落ちてしまったんだとかいうような、そういうことなんですよ。だけど、もしも英語とドイツ語でやったら、落ちるなんていっちゃうと対応じゃないんですね。
大野―そうですか。ぼくは英語とドイツ語の単語の類似はわかりますが、インド・ヨーロッパ語全般のことは詳しく知らないんです。しかし、日本語の音韻のキャラクターを見る要があると思うんですね。たとえば「書く」という動詞をどこまで対応させることができますか。kak―a, kak―i, kak―u, kak―eです。第二母音のaiueは対応の求めようがないじゃないですか。
伊東―そうすると、どうなるのかしら、タミル語との対応というときに。
大野―だから、ぼくははじめの三音素だけ、つまりCVCでやっているんです。「書く」についてならkak―のところまで厳格にやっています。あとは意味の対応です。その四つの条件で考えています。タミル語も語根はCVCで、CVCで終る単語はたくさんあります。すると、第二母音の対応は求めようがない。タミル語の語根はCVCまでです。それを厳格に比較します。
伊東―そうすると、タミル語のコーマーン(koman)と神(kami)を対応させる場合、最後のnはどうするんですか。
大野―申し上げましたように、日本語はCVCという第三音素までしか確実さがない言語なのです。ですから第三音素まで、CVCの段階までは対応を厳しくやる。四番目の音素はもうやらない。その代り、意味をきちっとやる。
伊東―そうすると、コーマーンのnは無視することになりますか。
大野―そこまでは日本語についても、タミル語についてもできない。そういう言語だと思います。kom―anと切って、komまでしかしないんです。
伊東―anはいらない。
大野―やれないんです。日本語もタミル語も、そこまではやれない言語なんです。だからぼくはCVCまで厳密にやる。CVCと意味とを厳密にやる。CVCがきちっと決まれば、それ以上、日本語はできないんです。
伊東―できないんですか。日本語の特質ですか、それは。
大野―そうです。だって、動詞を比較するときに、CVCの先を較べよといってもできませんもの。名詞も動詞も語根という段階では同じです。
コーマーンは神か
伊東―そうなると、印欧語との比較とは違うということは、先生、お認めになりますか。
大野―それは日本語について、第四音素、第五音素まで対応を求めても、それはできない。例の『比較言語学における歴史的方法』を書いたフランスの言語学者メイエは、widow(寡婦)という単語を取り上げています。これはサンスクリット語やゲルマン語など、数個の言語の形を比較すると、w, i, dh, uという四つの音的要素があって、そのすべての音素について、ヨーロッパ語の中ではうまく対応するんですね。これが三つになり二つになりすれば確かさは減り、一つでは価値がないといっています。ところが、日本語で五つまたは四つを求めようとしたって、最初からできないのです。
伊東―それは日本語の特質ですね。そしてその日本語の特質というのは、タミル語の移入以前にあったということになりますね。
大野―ですから五つはできない、四つでもできない。その代り三つはできるし、やらなければならない。だから、私はCVCの三つは厳密に扱っています。CVだけ、つまり一音節語は扱わないんです。
伊東―なるほど。
大野―CVだけのは扱わない。特別のときだけ、意味がぴったり合うとか、タミル語のCVCの最後のlとかnとかだけが落ちたんじゃないかというときだけやっていく。
伊東―わかりました。そこが違っているということはわかりました。それからもう一つ、コーマーンについていえば、この単語を思いついたのはすごいことだと思うんです。ぼくだったら見つけられない。有り難いことに先生から頂戴した『ドラヴィディアン・エティモロジカル・ディクショナリー』を読んでいても、神のことを考えていたら、なかなかコーマーンは見つからないですよ。
あの辞書だったら、たとえばアンナル(annal)、これは「高い」という意味ですが、神なんです。これはわかりますね。それからイヤブル(iyavul)、「動かす」という意味で、動かすものとして神なんです。それからイライバン(iraivan)、これは「チーフ」という意味の神なんですね。それからウンパル(umpar)、「天体」という意味の神です。それから重要なのはアールヴァール(alvar)かな、これは「至高の支配者」としての神なんです。まあ、その他いくつかありますが、こういうものは出てきます。
ところが、ぼくがコーマーンを見落とすだろうと思うのは、この単語の基本的な意味は、やはり「キング」だと考えちゃうんですね。「キング」とか「ロード」です。そうすると、先生が『神』であげられた神の特性、姿が見えないとか力があるとか、あるいは宣長がいったこと、オットーがいったこと、そういうものが入ってないんじゃないですか、コーマーンには。
先生が『神』で述べておられるところを少し引用しますと、コーマーンは「超能力を持つもの、統治者」であるとして「『タミル語大辞典』には『king, lord, spiritual preceptor 王・高位の人・霊的指導者』とある」と、これも一種の高位の人ですよね。それから、二番目に「王・統治者」の意味があるとして、例をあげておられるのであって、それはその通りですが、そこからすぐ神にはこないと思うんです。
大野―タミル語研究で世界的に使われている『タミル語大辞典』、これは標準的な辞書ですが、ところがこれは一九三〇年代の制作です。イギリス統治下に作業がすすめられたので、学者は全部、サンスクリティストなんですよ。
伊東―そうですか、その当時はそうだと思います。
大野―例のカースト制度がありますから、ちゃんと学問をやるのは、サンスクリットのできる人。
伊東―バラモン階級はみんなそうですね。
大野―バラモンでなければ学問は駄目なんですね。その結果、ぼくがあの大きな字引から気づいたことは、農業関係の説明が悪い。農民生活を知らない結果の間違いもある。それから民俗関係の記述が弱い。
伊東―なるほど、あれにも欠点があるんですね。
コーマーンは超能力を持つ
大野―実は私のタミル語の先生はスリランカの人なんです。勉強ができるんで大学でいい成績をとった。恋愛結婚をした奥さんのほうは地主の筋の出で、カーストが違っていた。その結婚はたいへんな事件だったらしい。この奥さんの親戚の男の人は今でも、昼は自分の家の畑で働き、夜になると奥さんの家に行って泊るという妻問い婚をやってるんですね。スリランカには、そういう古い風習が島だからいっぱい残っている。インド本土ではもう亡びているんです。ところが、スリランカでは財産も母親から娘に受け継がれて、息子にはやらないんですね。そういう人がぼくの先生で、農民生活をよく知っている。だから、地鎮祭のときに、四本柱を建てて神を招いて供えものをするとか、そういうことを知っているんです。
そしてこのプロフェッサー・サンムガダスが、コーマーンは単にキングではない、超能力をもった神だということをいわなければいけない、と。コーマーンはkoとmanの複合語でkoは神。manはkingだから、komanは超能力の「神」の意と、「主長、領主」の意と両方兼ねていると教えてくれたんです。ぼくはそれがタミル語の古い数々の例にも合うし、日本のkam―iにも合うとみているんです。
それは『タミル語大辞典』には書いてない。サンスクリット系統の言葉には解説が多いのですが、純粋にドラヴィダの古代の習俗などは説明が粗末なんです。『タミル語大辞典』の抜粋である『ドラヴィディアン・エティモロジカル』にも当然載ってない。ですから、みんな「komanは王様」というわけです。
ところが、スリランカには今でも御霊信仰があるんです。この世に恨みをもって死んだ人は怖いので、自殺した人のところにはみんな近寄らないそうです。そういうところにはものを供えて、ご機嫌を直してもらうことを今でもやっている。それはインド本土にはもうないんですね。そういうことを知っている人がぼくの先生なんです。
伊東―なるほど、そうですか。それでわかりました。辞書を見た限りでは、先程いったようなことなんですね。そこで、先生が最後に山下博司さんの論文を引用されながら、カミは「唯一の存在でなく、多数存在した」、「具体的な姿・形を持たなかった」、「漂動し、来臨し憑代に着いた」、「超人的な威力を持つ恐ろしい存在であった」と、この四つまではカダヴル(katavul)と共通であると。日本の神と共通だが、違うところとして、「物を領有し支配する主体」そして「カミの人格化」という、この二つの問題はカダヴルではなくて、やはりコーマーンでなくてはいけない。それも、賛成なんですよ。
賛成はしますが、しかし逆にいうと、最初の四つはコーマーンには抜けているのではないか。今先生が注釈されたから、四番目の「超人的な威力を持つ恐ろしい存在であった」ということは認めましょう。認めても、先生が一から六まで全部、コーマーンですよというのはどうでしょうか。
大野―今、申しましたように、サンムガダス教授から、コーマーンはスーパーパワーを持っている、そして見えない。そういう情報と実例をもらっているので書いているところがあるんです。
伊東―それは個人情報だから、ちょっと弱いですよ。どこかで文献的な証拠、コーマーンがこういう使い方をされているという証拠をもってこないと。
大野―それは今度出る本には載せました。たとえば、コーマーンの神様に「御社を掃除しないで申し訳ありません」とか出てくる。
伊東―でもそれも、たとえば「王様の社を掃除しなくてすいません」と、臣下があやまってるのかもしれない。
大野―文脈によって王様ではないとわかります。しかし、たしかにぼくの論証が『神』という本では弱いということを認めましょう。認めますが、実をいうと、ぼくはアイヌ語とも、インドネシア語とも、朝鮮語とも比較をしたことがありますが、対応語はこんなに出てくるものじゃないんです。
伊東―それは非常によくわかります。
カミに関連する言葉
大野―それでぼくが今、残念だと思っていることは、スリランカが内乱のためにタミル人の生活がこわされちゃっていることです。目茶苦茶になっている。だから、これまで保たれてきた古い習慣とか生活が、今や滅却しつつあります。そうすると、結局、これはサンガム以下の、字に残っている範囲内でやるしかなくなってくるかもしれないんです。そこまでいくと、神という単語そのものは、あるいはたしかにその程度までしか証明できないかもしれない。しかし、集中的にkomanの例を集めれば、もっと状況はわかってくるでしょう。
伊東―だけど、先生は神にまつわるいろんな言葉、周辺をやっておられるじゃないですか。これは大きいと思うんです。神だけではなくセットで考えようという、「マツル」とかいろいろありますね。
大野―タミル文明の移入もセットで考えます。カミについてもセットで見たい。「ハラフ」とか「コフ」とか「ホク」(祝く)とか、あるんです。
伊東―「アガム」「ノム」「イミ」「ハカ」
大野―それでマツルということですが、なんで飲んで食わせることがお祭りと関係あるかと、ぼくは村山七郎さんに怒られたことがあるんです。ところが、そこはやっぱり日本語を知ってますから、マツルということの本質は、神様に飲ませて食わせるということなんですね。
伊東―タミル語でそうだったんですね。
大野―いや、タミル語より前に日本語でもそうだったんです。そのことを知っていたから、matuにto cause to eat or drinkと書いてあったので、すぐわかった。
伊東―マツルの元の意味は日本語でもそうですか。
大野―そうです。マツルとはたくさんの食料を神様に捧げることです。しかも、タミル語にマタイ(matai)があり、offering to godとあります。これは文句ないと思った。そういうふうに、一つ一つはやっているつもりなんです。
伊東―なるほどね。有機的連関で見なきゃいけないんで、一例を取り上げてどうこうということは、それだけじゃいけないんですよね。その全体的なオーガニゼーションで評価すると、そうするとぼくもコーマーンは検討の余地があって、やっぱりもっと研究していったほうがいいと思います。
ここで、ちょっと大槻文彦に戻ってみましょう。大槻は「カミ」は「隠り身」だといいます。面白い説ではあるんですが、カクリミがつまって神になったというのが『大言海』です。カクバカリがカバカリ、これはク落ちですよ。それからサグリメがサグメになる、これはリ落ちです。ですから、クもリも落ちることがある。そうすると、カクリミからクもリも落としてみろ、カミになるじゃないかと。(笑)やっぱり大槻文彦はただものじゃない。
玄妙な力を持った人を「カクリミ、カクリミ」と呼んでいて、それが「カミ」になったというのは本当だろうかなとは思いますよ。そうすると「カミナリ」も「カクリミナリ」だったわけですね。(笑)カクリミというのは身を隠して表さないというのは、重要ではあるけれども、ある意味でネガティヴな表現だから、それだけでいけるかというとちょっと。
大野―言葉の途中の「クリ」が落ちた例はありませんから、古代語の専門家としては、それは駄目と思いますね。
伊東―もう一つは、アイヌの「カムイ」との関係ですね。
大野―あれは、アイヌが日本語から引き受けたんでしょう。
伊東―まあ、そうかもしれません。そうではなくて、カムとカムイは共通語からでたのかもしれないと考えてもいいと思うんですが、それにしても「カム」の意味はわかってない。アイヌ語でもわかってない。アイヌ語の周辺の言葉と比べて、あのカムイのカムをなんとか考えようとしても手掛かりがないんです。少なくとも今の辞書では。とすると、コーマーンはたしかにもったいない言葉で、さらに追究してみなくてはいけない。
アハレとサビ
大野―神なんて、おっかない単語をぼくはやりたくないんですよ。なぜなら、こういう大きい単語を扱うと必ず反対者が現れるんです。信じていることがあるから、ものすごい勢いで反対します。他の例をあげますと、「アハレ」などもそうです。ぼくは『岩波古語辞典』で、感動詞アと掛け声ハレの複合と書いたんです。アとハレとくっついて「アハレ」になった、それでいいと思っていたら、タミル語にアファラム(avalam)があるんです。語尾のamは名詞語尾ですね。その意味は何かといったら、「悲しみ、嘆き、病気、貧乏」、それから「詩では、ものさびしい情緒」と、そういう訳がついてるので驚きました。
「アハレ」というのは、たしかに悲しみなんですが、自分の親が死んで悲しいとか、自分が直接味わうどうにもできない悲しさというだけではなく、脇で見ている悲しさなんですね。そこが「アハレ」と「カナシ」の本質的な違いです。avalamにも、そういう「見ている悲しみ」とか「情緒」とか、脇から見るところがある。「アハレ」だけで大きな本を書いている人がいます。そういう人はアハレがタミル語にあると聞いただけで反撥します。私は気分としては、こんな単語に出てきてもらいたくない。しかし、実際にはあったんです。
それから「語る」に対して、タミル語にカタイ(katai)があります。意味はromance, epic, long story, love story, それからfablication(作為、騙り),chitchat(おしゃべり)。日本語のカタルがもっている意味がみんなあるんですよ。こういう単語一つで、日本語のなかで一冊の本を書いている人もある。そういう単語は困るんです。必ず感情的な文句がつく。
伊東―「カタル」とか「アハレ」というのは日本語の中心ですよね。物語というし、もののあはれという。そこで質問なんですが、それだったら「ワビ」や「サビ」はどうですか。これはやっぱりタミル語にあるんですか。
大野―「ワビ」は見当りません。「サビ」はあります。サビはcampu, 「しぼむ、枯れる」という意味です。
伊東―それからもう一つの質問は、アハレが問題になるのは平安朝でしょう。『万葉集』ではアハレがあんまり問題になってないのではないでしょうか。
大野―いくつかはありますね。
伊東―でも、少ないと思う。
大野―それは平安朝という宮廷で、そういう細かい安定した社会で、悲しみとか繊細な情緒とかが関心の中心になったわけですよ。
伊東―そうすると、タミル語が入ってきて、一時関心が沈下して、それがまた平安朝で復活したと考えるんですか。
大野―いや、「春雨のあはれ」というのが正倉院文書の落書のなかにあります。
伊東―それは、奈良朝ですか。そうですか、いくつかあるんですね。
助詞、助動詞の対応
大野―もう古典語の世界では、三つ例があったら、社会性は確立されたといわざるを得ない。全体がそうたくさんないんだから。(アハレは『万葉集』に九つありました。)それから、カタイについて字引を見ると、サンスクリット系統だと書いてあるんです。kathaという言葉があって、それから来たと書いてある。そこで、大野はタミル語といいながら、サンスクリットを引いていると非難する若い研究者もいます。私は前から、サンスクリットの専門家に聞いたりして、少なくともこれはヨーロピアンにはない。インドのサンスクリット系統にどうもあるらしいと。そういう答えまではもらったんです。つまり、ドラヴィダ語がもとで、それがサンスクリットに入ったという可能性もあると考えていました。
ところが、最近に至って思うんですけど、サンスクリット語がすでにBC前後にはドラヴィダ語の中に入っています、どんどん入ってる。日本とタミル語の関係を、ぼくはBC五〇〇年前後と見ているんですが、ということはもうサンスクリットを受け入れたタミル語が日本に来ているということなんです。だから、カタイがサンスクリット起源であっても、場合によっては差支えない。
伊東―それはもちろんあると思いますよ。ですから、先生に対する批判として、それはタミルじゃなくて、サンスクリットの話じゃないかという批判もあるわけです。可能性としてありますよ。
大野―あると思うんですよ。
伊東―両方はくっついてるんですから、南と北といったって。
大野―サンスクリットのほうが文明的に優勢で、どんどん流入してるんですからね。いくつかの単語は、そういうことはありうるなということを、ぼくはこのごろ思っています。それより、とにかく見ていただきたいのは文法です。文法が、助詞の「の」「に」「も」「と」「か」「や」「ぞ」。助動詞の「つ」「ぬ」「む」「べし」「ごとし」など。
伊東―『日本語の起源(新版)』でもいちばん面白いのは助詞、助動詞のところです。実に面白かった。
大野―それは先生が、やっぱり言語学のアビリティがおありだからわかるんで、普通の人はあそこでみんな嫌になって読まないんです。だけど、この助詞、助動詞が借り入れだということは、つまりそれは、ドラヴィダ語のブランチになったということではありませんか。
伊東―そこまで、だいたい大筋の線としていいと思いますけど、ちょっと違うのは、ブランチというと何か日本語がタミル語によって占拠されちゃって、リプレースされたという考え方になるのではないでしょうか。さっきの言語交替説になるわけで、ぼくは重畳説だから、まだ縄文語のなかに南島語も生き残って。
大野―生き残りはもちろんあると思う。発音は縄文語の形式が残った。
伊東―ぼくはアイヌ語も排斥しないんです。アイヌ語もあるものは入ってるかもしれない。どうぞ、大いにおやりくださいというわけです。多々益々弁ずです。ところが、先生がタミル語を強調されるあまり、他の言葉は駄目だとなると、いらぬ摩擦が生ずることになる。
大野―ぼくは排斥していないんです。五〇〇語までは確かにタミル語とコレスポンドしているとわかりました。他はわかりませんといっている。
伊東―そうですか。それでいいんですね。アイヌ語は駄目で、南方語もくだらないというふうにおっしゃっているわけでは決してない。
大野―そして日本語と同系といえるかどうかは別として、アイヌ語の単語が残っている、あるいは朝鮮語の単語が入っていることはあると思う。ただ、文法組織としてアイヌ語は全然関係がないんですね。
伊東―おっしゃる通りで、よくわかりました。