感想供養
・以下、原作56話までを読んだ一人のファンによる感想
・心のモヤモヤをすっきり全部吐き出して、これからも憂国だいすきなまま前に進みたかったので供養のために書いた
・今の原作の展開に違和感を覚えず「最高!」と感じている人は読んでも不快だと思うので読まないでください
・読んだとしても一切の苦情は聞きません
・というか、他人の感想に不満を持つくらいなら感想探すのやめた方がいいよ、色んな意見を受け入れられないなら自分の中の小さな世界で生きていくべき
・他人の感想を訂正させてコントロールしようというのがおかしい発想だと気付こうね
・わたしは憂国のこと、すきです
55話を読んだとき真っ先に思ったのは、「これ腐女子以外で展開に納得いって喜ぶ人間いるのかな?」でした!
え、腐女子じゃなくて純粋に作品をすきなオタクでこの展開を最高だと思ってる人、いなくない…?
わたしは腐女子という一面を除いても憂国という作品がだいすきなんですけど、その腐女子目線を無しにして見たらガチでドン引きしました。
一部の腐女子は大喜びなんでしょうね…わたしはここまであからさまな展開見せられたら引くけども……
どこのBL作品なんだろうなぁと思ったし、煽り含めて特定の腐女子を狙っている感じがした。
わたしはクライムサスペンス漫画を読んでいたのに、突然BL漫画を読まされていた感じ。
しかも丁寧なストーリー展開によるBLではなく、本音を言えばあまりに粗末で雑な展開だった。
最後の事件編ってほとんど「どうしてこういう流れになるんだろう」と宇宙猫顔して読んでいたんですけど、55話はいきなりの熱い友情+抱擁を見せられて「???」でした。
なんか勝手に盛り上がってるなぁと思ってたらそのまま話が終わってしまった。
どこにも共感できるところがなくて、ハラハラドキドキも楽しいも苦しいもなく完全に蚊帳の外状態。
読んでる最中はしんどいと思ったけど「展開の付いていけなさがしんどい」だからな、展開がつらすぎてとかそんなんじゃなくて突然すぎることのオンパレードで無理だったから。
推しカプじゃないとかそういう問題じゃない、明らかに狙っている感じがした。
これを喜ぶ人がいる、こういうのを求めてるんだろう、という編集の顔が見えた。
コナン・ドイル原案を謳っているのに二人の頭脳戦は一切ないまま、そういう目線で見ようとしなくてもBLだと思わせてしまうような展開。
純粋に作品としてすきだったわたしの愛、マジで壊れました☆
そもそもわたしが憂国を読んだきっかけは「コナン・ドイル原案」の文字があったからなんですよね。
ホームズは知ってるけどその敵側については詳しくなくて、コナンの映画で見た程度の知識しかなくて、でもちゃんとコナン・ドイルシリーズを原案にしたホームズの宿敵の話なら面白そうだし読んでみようかな〜と読み始めたのがきっかけなんです。
きっとホームズとモリアーティのバチバチ頭脳戦が読めるんだろうな、と思って読み始めました。
実際ホームズ関係の作品として色々な雑誌で紹介されていたし、「コナン・ドイル原案、シャーロック・ホームズの敵の話」として売り出していたんだから、二人の頭脳戦を期待するのは当然だったと思う。
でも最後の事件編に至るまで、結局ウィリアムとシャーロックの頭脳戦なんてほぼほぼなかった。
それどころかシャーロックは自分で犯罪卿の正体を掴むこともなく、ミルヴァートンにも劣るような推理力で彼をきっかけに全ての謎を明かしてる。
「えーあれだけホームズ関連の作品として推されていたのにこれー…?」と失望するの、無理なくないですか?
わたしはシャーロック自らの手で犯罪卿の正体を明かして欲しかったし、その上で犯罪卿とのやりとりがあることを期待してた。
だってコナン・ドイル原案の作品だったんだもん、シャーロックがモリアーティの正体を見破るんだと思ってたよ。
第三者に先を越されて、しかもそいつをきっかけに全ての確信を掴む名探偵なんて見たくなかった。
でもこれが憂国なんだなぁと思って、失望したけど受け入れてたんだよ。
そういう名探偵がいてもある意味面白いじゃんね、と思ったんだよ。
作者様が描きたかったのはそもそも頭脳戦じゃなかったんだと自分に納得させて、じゃあ作者様はホームズとモリアーティの何を描きたいんだろう、この先どうなるんだろうと期待して読んでた。
二人の友情を描きたかったというのならもうなんか、何も言えないんですけど。
それ以上にわたしが失望したのはウィリアム達の認識ですね。
リアルタイムで憂国第一話を読んだときはピンと来なくて、むしろ「めちゃめちゃ自分勝手な主人公だな」と思ったので、惰性でコミックスだけ買ってたんです。
世界を公平に正しくするという方法に「殺人」を選ぶところはよくあるパターンだけど、それを正しいと思ってやっているならわたしの倫理観的に「無理だな」と思ってたから、適当〜に読んでました。
そうしたらバスカヴィルのところでちゃんと「自分達は悪いことをしているから地獄に落ちるべきだ」と感じていることが分かって、醜聞編でちゃんとその罪を償う覚悟があることも分かって、そこがわたしの中の琴線に触れてガチハマりしたわけなんですよ。
わたしはウィリアム達モリアーティ陣営が、「悪いことをしていると自覚していて、それでも成し遂げたいことがあるから罪を犯していき、最後にはその罪を全て償うつもりがある」という信念に惹かれて憂国をすきになったんです。
生と死を扱うテーマの漫画は自分の中の倫理観と価値観に合わなければ真面目に読みたくないので、ちゃんと自分の意見と一致する作品だと確信して、用意周到に準備してから憂国のモリアーティという作品をすきになったんです。
それなのに、最後の事件編ではフレッドが「自分達は正しいことをしているから死ななくていい」とはっきり言って、ウィリアムは罪を償う為ではなく「人を殺した罪悪感に苛まれて死にたがっている」と明かされて、まぁ〜〜〜失望しましたね!
悪いことをしている自覚のない人間がモリアーティ陣営にいたことも、自分が望み自分で計画を立てて自分で実行しているくせに被害者ぶっている人間がモリアーティ陣営の核であることにも!
目的はさておき、結果はさておき、ウィリアム達とウィリアム達が裁いてきた貴族は何が違うんですか?
「自分のエゴで他人を犠牲にしている」という点で、わたしにしてみればウィリアム達と貴族は全く同じなんですよね。
だから悪が悪を裁くことに違和感がなかったのに、最後の事件編ではいつの間にかウィリアムは善だから生きていて良いような雰囲気で進むことにすっごく違和感があったんです。
そもそもウィリアムは優しいんですか?
わたしは一度も優しいなんて思ったことなかった。
人を殺した人間を優しいだなんて思えるはずもない。
完全なるファンタジーではなく、リアリティに満ちた作品だからこそ余計にそう思う。
わたしは職業上「生かす」ことに尽力しているし、何ならわたしが働く上で「死ぬ」人間を出すことすらありえない。
何が何でも生かさなきゃならなくて、それが叶わなくて呆然と泣いた日だって悔しくて吐いた日だって絶望と無力感でいっぱいになったまま数日経っていたこともあったくらい「命」は大切なもので、それを奪う人間なんて誰であろうと絶対に許せないんですよ。
わたしが取り上げた子を他人の身勝手で殺されたと知った日には、わたしがそいつを殺してやろうと思うくらいには絶対に許さない。
だから憂国を読み始めたときは作品としてすきになれなかった。
自分の勝手で他人を殺して、他人を犠牲にした上で美しい世界を作ろうとしているなんて絶対に間違っているから。
大多数のために少数を犠牲にする発想をすきになれなかった。
ウィリアム達と彼が裁いている貴族は全く同じだから、どっちが上に立とうと大して変わりないとすら思う。
でもウィリアム達はちゃんと信念を持ちながら人を殺していて、間違った方法だと理解していて、罪の意識を抱いていて、それでも目指すべき理想のために懸命で、償いとして裁いた貴族と同じ末路を辿る覚悟があることを知ったから、憂国をすきになったんです。
これならわたしが読んでいても安心だなと思って読んだんです。
それなのに全ての罪を償うのではなく、自業自得の自責の念に苛まれて死にたがってる。
ウィリアムのどこにも共感できなくて、共感しなくて良いとは思いつつも、何の伏線もなくそんな本心をいきなり明かされたわたしが彼と作品に失望するのはそんなにおかしいことなんですかね?
キャッチミーの本心があの煽り文句とか、二人を推してる腐女子以外があれに納得する方法どこにあるんだろう。
全部が全部、いきなりすぎてびっくりしちゃった。
ファンなら原作に文句を言うな、と言うのはよく分かるしわたしもそう思ってる。
でもわたしにしてみれば何の伏線もなしのこの展開、「騙された」としか思えないんですよね。
ウィリアム生存エンドが嫌だったけどその展開で行きそうだからどういうふうに納得させる展開になるんだろうなぁと恐々に期待していたのに、突然問答無用にウィリアムがシャーロックに救われるような展開になってしまって、どこに納得すれば良かったのかも分からない。
せめてどこかしらで小出しにしてくれていれば良かったのに、突然の描写で驚かせようと思っていたのかほんとうにびっくりするくらい「いきなり」で、うっかり数話読み飛ばしたのかとすら思った。
わたしの価値観として命以上に大切なものは存在しないし、わたしの倫理観として命を奪う人間に救いがあって良いはずがない。
吟味した上でわたしに合うと思っていた憂国のテーマが、いきなりわたしの価値観と倫理観を真っ向から否定してくるテーマを本性にしてきて発狂するかと思った。
あそこでウィリアムが死ぬのは確かに納得いかないけど、かといって大量殺人犯が救われたように生きていくのも絶対に嫌だと思った。
「コナン・ドイル原案、シャーロック・ホームズの敵の話」としてウィリアムとシャーロックの頭脳戦を期待したけど叶わなくて、6巻までに描かれた犯罪についての信念を信じていたら終盤で一気に覆される。
「原作こそ至上」だと思っているはずのわたしが原作に失望するのって、そんなにおかしいことですか?
もう何人にも苦言を言われたしツイッターでは言い逃げブロックもされたけど、わたしにしてみれば「騙された」感が強いんですよ。
だってキャッチコピーで二人の対立を匂わせておきながらそんな描写はどこにもなくて、いきなり馴れ合ってるんだから。
せめてそうなるだけの丁寧な描写が欲しかった。
それに人を殺しておいて罪悪感で死にたいなんておかしい。
ウィリアムが自発的に殺したんだから後悔することにすら納得いかない。
「コナン・ドイル原案」の文字がなければ読まなかったし、ウィリアムの本心をもっと小出しにして伏線張ってくれていれば読むのをやめたのに、それすらなくいきなりドーン!なんだから「詐欺だよなぁ」と思ってる。
わたしが一番悔しいよ、「読まなきゃ良いのに」が通じることなくここまで来てしまったことが。
あとキャラ厨の立場から言わせてもらえば、シャーロックはもはや光でも何でもないただの人殺し、もうウィリアムと同じ立場にあると思うんだけど、そのシャーロックの言葉だけが届いた状況にも納得いかないご都合主義みたいな空気を感じたし、「三人で犯罪卿」という言葉が嘘っぱちだったことも悲しくて普通に泣いた。
何でウィリアムはシャーロックの言葉だけが響いて、生きて償う道もあると思ったんだろう。
自分のことを否定してくれたからだとは思ってるけど、人殺しの言葉が届くんならずっとそばにいた仲間の言葉が届いても良かったじゃん。
それにモランは自分達が間違ってると分かっていたのに、フレッドは「僕達は正しい」と思っていたのにも失望した。
バラバラなモリアーティ陣営が悲しくて寂しくて悔しかった。
モリアーティ計画は「貴族でも悪いことをすれば公平に裁かれることを知らしめる」が目的だと思っていたから、56話で有能な頭脳なり技術なりで罪が問われないことも残念だった。
爵位次第で罪に問われない貴族と同じく、知能次第で罪に問われないモリアーティ陣営。
結局、ウィリアム達は変えられなかったんだなぁとすら思っちゃった。
まぁ政府からしてみれば有能な人材をみすみす逃すより国家繁栄のために使う方が良いことはわかってるし、結局「罪を犯しても平等に裁かれる」なんて夢物語に過ぎないってことはわかってるんだけど。
わたしはミュージカルがきっかけでも舞台がきっかけでもアニメがきっかけでもなくて、純粋に原作からのファンだったから、同じ状況同じ立場の人はほんとうに少ないと思う。
俳優ファンだから原作読んでハマったとか、アニメ見たら格好良くてハマったとか、面白そうだから読んでみたらハマったとか、そんな偶然かつ気軽な出会いじゃなくて、テーマがテーマだからこそちゃんとわたしに合う作品なのか見定めてからすきになった作品なんだよ。
それなのに多大なる失望を三回も感じたんだから、いくら原作至上主義とはいえ全肯定するのは無理。
わたしの価値観と倫理観を捻じ曲げてまで無条件にすきではいられない。
わたしの目がポンコツだった(とは思うけど、マジであらゆるものに騙されたと思ってるからな)
いつかのタイミングで何かの気配を察知したのか憂国をツイッターで勧めることに抵抗が出たんだけど、この展開を知った今、お勧めしなくて良かったなと思ってる。
わたしは唐突すぎるキャラ同士のクソ重い感情のやりとりなんて求めていなくて、コナン・ドイル原案のモリアーティ側の話と、償う覚悟を持ちながら罪を背負っていく人間とそれを暴こうとする人間のやりとりを求めていたので。
自分が求めていない展開だから不満を言うなんて最悪なオタクだけど、そう思わされる展開だったんだから、わたし悪くないと思う。
それでもルイスがすきだから、今はルイスを人質に取られた状態で原作を推してる感じです。
もうほんとうに、リアルと合わせてボロボロなんだよねぇわたしの精神状態。
ずっとすきだったから今更嫌うに嫌えないし、わたしだって読まなきゃ良いじゃんと思うけどルイスはだいすきだからこの先もちゃんと読みたいんだよ!!!
オタク心は複雑なの!!!
わたしの倫理観と価値観は憂国を拒否してるけど、オタク心は憂国を求めているの!!!
57話の新章からテーマが「贖罪」になるけど、なーにが贖罪だ今更なんだよこのやろー!!!
元々そのつもりで命を絶つって言ってたじゃんかこのやろー!!!
ちゃんと刈り取った命と向き合って今までの自分達の考えに恥じない生き方をして贖罪の方法を見つけたんだろうなぁウィリアムこのやろー!!!
わたしがどれだけ憂国をすきかどうかはサイトにアップされてるお話読んでくれればわかると思うけど、決して嫌いになったわけじゃないんです。
原作の展開ありきで推しカプの妄想するのがすきだから、やっぱり原作がすきなんだよなぁ…複雑だけど、すきなんですよ。
不満はあるけど、すきなの。
不満があるなら読まなければ良いなんて簡単なこと、思わないでくれ。
わたしが四年もの間、拗らせ続けてきた思いを軽んじないでくれ。
そのうちぷっつり切れちゃうかもしれないけど、それまでは推し作品のままでいさせてほしいのだ。
57話からの新章、どうなるのかソワソワする!
以下、4月4日追記。
ウィリアムヘイトになってしまうので、「ウィリアム最高!」な人は見ないでね。
ましゅまろろを読んでウィリアムについて秘めていたことを書くんですけど、ウィリアムめっちゃ格好悪くないですか?
悪だと理解していながらその道を選んだのはウィリアム本人で、ウィリアムが全員の中心となって陣営を率いていたのに、十年以上も前に決めていた信念をシャーロックとのやりとりであっさり撤回しちゃうの、めっっっちゃ格好悪くないですか…???
プライドも美学も何もないんだなと思ったし、情けないなとも思った。
誰に言われたわけでもない、誰に唆されたわけでもない、自分で自分の生きる道を選んで同志を集めてきたはずなのに、どうして最後まで自分の信念を貫けなかったんだろう。
階級制度をなくすために邪魔な人間を殺すことを選んだのはウィリアムで、そのために自分が死ぬ覚悟は出来ているところにわたしは彼の格好良さを感じて彼をすきになったのに、自分とよく似た人間と出会ったらその信念は簡単に覆されてしまうんだ…?
どうして…???
100万回言うけど、ウィリアムの状況は完全なる「自業自得」で情状酌量の余地なんて一切ない。
自分で真っ直ぐに選んだ道をなぞって生きてきたのに、勝手に後悔して被害者ぶってるのはなんなんだろう。
わたしが考えるウィリアムのカリスマ性は、自分が間違っていることを知りながらそれを成し遂げ、最後には己も消すことで悪魔のいない社会を作るという「強引で純粋な完璧主義」から来てると思ってるんですよね。
公平な世界を作るために少数を排除する乱暴な手段は完遂するからこそウィリアムの完璧さが引き立つし、1巻冒頭のやりとりも「方法は間違えているけれど自分は間違っていない、僕は正しい」とはっきりした意思を感じるからこそ魅力があるんですよ。
絶対に自分の信念は曲げない、だからウィリアムは格好良い。
自分の考えにしっかりとしたプライドを持っているからこそ、わたしはウィリアムが格好いいと思ってました。
けどシャーロックと出会いあっさり言い負かされ、今までに背負った命と陣営としての核を無くして生きて償う可能性を見出す。
格好悪いとしか…言いようがなくて……
救われたかったんだ…?
自分で選んだ方法なのに救われたかったの…???
へぇ……………
最後の最後で折れてしまうその信念についてきたみんながほんとうに不憫だと思う。
こういう弱さを見せたことにファンは盛り上がるかもしれないけど、今までにそんな要素なく一貫して「悪は地獄に落ちるべきだ」「例外はない」と確固たる信念の元に動いている姿を見てきたわたしとしては納得いかないどころじゃない。
弱さはあっても良いと思うの。
でもその弱さはたくさんの人を犠牲にして、集めた同志を裏切ってまで守るものなの?
ウィリアムのカリスマ性は周りが持ち上げて生じたものでもなく、生来生まれ持ったものなんだから誰のせいにも出来ないのに。
人の上に立つ人間は弱くあってはいけないし、仮に弱さがあったとしても自分の考えを曲げてはいけない。
弱さを持ちながらも自分を曲げない強さを奮い立たせて生きているんだと思ったのに、簡単に揺らいでしまうんだね。
支配者のはずなのに、支配者の器じゃなかったんだなと思ってしまった。
大英帝国を変えるなんて大それたこと、ウィリアムには向いてなかったんだろうな。
最後の事件での、ウィリアムとシャーロックは結局何がしたかったんだろう。
粗末な茶番を見せられたように思う。
作者様はこういう流れを思い描いていたらしいけど、ウィリアムのカリスマ性を消してシャーロックの探偵としての概念を駄目にしてまで、この滝ダイブが描きたかったのかなぁ…
お互いを通して人間らしさを取り戻す過程を描きたかったのかな。
そのために今まで描いてきた全てを台無しにして、でも別の魅力が生まれたかとといえばわたしには感じられなかった。
悲しい、虚しい、やりきれない。
わたしは「ウィリアム可哀想」という感想には「なんで?」を返すし、「ウィリアムには幸せになってほしい」という感想にも「なんで?」を返すし、「ウィリアムには笑っていてほしい」という感想にも「なんで?」を返す。
自分で選んだ道を歩み、自分が望み思い描いていた結末を迎えようとしているのにどうして可哀想なんだろう。
あれだけ頭が良いのに、人を殺した罪悪感が途方もなく重たい感情だと気付かない方がおかしいでしょう。
自分の身勝手でたくさんの人を殺して、それ以上の人の人生を狂わせた人間に幸せになってほしい心理が分からない。
わたしはたくさん苦しんでほしいと思う。
殺した人間の数だけの災厄が一気に訪れればいいと思う。
ウィリアムのせいで笑って過ごすことが出来なくなった人が大勢いるのに、ウィリアムは笑っているなんてどう考えてもおかしいよ。
ウィリアムに幸せになってほしいと願う人は、ウィリアムが「人を殺している」という事実を深く考えていないんじゃないかな…
「悪は殺していい」が成り立つ世界、「自分が望むなら他者はどれだけ犠牲にしてもいい」が成り立つ世界、怖いどころの話じゃないのに。
ウィリアムが言っていたように、いくら償おうと過去に犯した過ちが消えるなんてこと絶対にないのに。
わたしは漫画の世界とはいえ許せない境目があるので、ウィリアム含めモリアーティ陣営はみんな苦しんでほしいと思う。
もちろんルイスもたくさん苦しんで苦しんで死んでほしいと思うよ!
でもやっぱり推しには甘くなるので、ウィリアムとアルバート兄様と再会して三人一緒に死んでほしいな!!
わたしはウィリアムが救われて良い人間だと思えない。
救われてしまうのなら納得できるだけの展開を期待していた。
でも実際はご都合主義で、納得しようもない粗末な展開で…三年間の間に一体どんな贖罪の方法を見つけたのかがすごく気になる。
というか結局あの抱擁といいあの煽り文といい、やっぱりどう考えても一部の腐女子票を獲得しようとしてるのが見え見えで萎えちゃうな〜〜〜!!!と思った。
あーもうウィリアム格好悪い!
お前さんには失望した!!
この格好悪さを覆すような格好良さを身につけて再登場してほしいな〜〜〜期待してんよ!!!!!
以下、4月19日追記。
アニメ14話がちょうどわたしが憂国をちゃんとすきになったきっかけの話で、最後の事件を知っている身として初めて見るメディア化だったから複雑だったなぁ。
あんなに格好いいこと言っておいて最後の事件であれでしょ。
もう、格好悪いどころじゃないっすね!
何、最後まで意思を貫けないどころか計画をこなす覚悟すらなかったとかもはや笑ってしまうんだが。
最後の事件は茶番だったなと思ってたけど、今改めて醜聞編を見てみるとここも茶番に見えてくるし、多分最初から最後までぜーんぶ茶番なんだろうな。
茶番のモリアーティ…わたしは茶番をすきになっていたのか…ショック…
作者様は何を書きたかったんだろう、モリアーティの何を描きたかったんだろう、彼らを通して何を伝えたいんだろう。
描いてきたこと全部が虚構だったから、三年後の世界で新しく描写していくのかな。
罪を犯しても真面目に償えば報われますって?
そんなわけないと思うんだけど。
法で裁けない悪を裁いてきたウィリアム達を裁く法もやっぱり存在しないんなら、ウィリアム達を裁く巨悪が必要だよね。
そういえばシャーロックもウィリアムを友達だと思ってるから助けに入っただけで、そこに世界で愛される「名探偵シャーロック・ホームズ」としての姿は見えなかったなぁ。
個人の考えで動いちゃうのかぁ、推理を突き詰めて個人の善悪で判断せずその先は然るべき機関に託すのではなく、大罪人だけど友達だし自分も犯罪者だから馴れ合うように一緒に償おうとしちゃうのかぁ。
…そう至るまでの関係性、ある…?
運命だとか絆だとかそういうあやふやなもので括られてるっぽくて、普通の読者が納得できるだけの説得力、ないよなぁ…
せめてコナン・ドイル原案の文字外してくれたら良いのに。
シャーロキアンの人間が、自分の推理でモリアーティを追い詰めず、相棒のためとはいえ私情で人を殺し、自分の感情一つで犯罪者を救おうとするホームズを見て納得するのかな。
色んなパスティーシュあるから「無理だったら見ない」で慣れてるのかな。
わたしはパスティーシュに慣れてなかったから絶望が凄かったけど、わたしがにわかにホームズを知ってるだけだから絶望してるのかなぁ。
もうほんっと、幻滅と失望以外に何も感じないね。
今までに描いてきた「憂国のモリアーティ」なんだったの。
悲しい悔しいやりきれない。
ここまですきになった自分が馬鹿みたいだよ〜〜〜しんどい(;ω;)
でも「贖罪のための物語」に方向転換したんだから今度こそ急じゃない・矛盾のない展開を期待してる…