メタル初体験のゆとりが、KNOTFEST JAPAN 2016に行って思ったこと
メタルという音楽ジャンルを通ってきていない。
ゆとり世代のど真ん中で大学までスポーツをして過ごした僕は、音楽といえば小学校のときはSMAPとかモー娘。が給食の時間に流れて、中学に上がるとカラオケでミスチルとか湘南乃風を歌った。高校では、まだ出てきたばかりのAKB48のCDを大量に買ってみたりしたし、大学生になると、流行りの邦楽に加えて、ジャスティン・ビーバーをはじめとしたビルボードチャート上位の曲を数曲知ってたら、それはもう「音楽に詳しいヤツ」になる。
現代の20代前半のリアルな音楽事情はこんなところで、そんな環境で過ごしてきたから、スリップノットに端を発するメタルという音楽のジャンルに関して、まったくといっていいほど無知である。これは、僕がメタルにまったく興味がないということではなくて、単純に接触することが今までなかったという話である。
さて、冒頭でメタルに精通していないという前置きを長々としておいて恐縮だが、11月5日と6日に幕張メッセで開催された「KNOTFEST JAPAN 2016」に初めて行ってきた。
大きな声では言えないが、僕がこのフェスに足を運んだ本当の目的は、昨今のバンドTシャツブームにかこつけてマリリン・マンソンのTシャツを買うことだ。毎回KNOTFEST JAPANに参加しているという先輩に買ってきてもらおうと思っていたのだが、嬉々としてメタルの話をする先輩の様子を見ていたら、今まで接触してこなかったような人々が集まるフェスに興味がわいてしまったのだ。
初めて見たメタルのライヴは衝撃的だった。
気色の悪いマスクを付けて叫ぶボーカルや宙に浮かぶドラム。また、辺境の地の部族のようなフェイスペイントを施し、足長ピエロのような器具を付けて不気味にパフォーマンスしている。
そしてフロアの前の方では、円を描くように走りまわる人々、ぶつかり合う人々、群衆の波を泳ぐ人。後方まで埋め尽くされた多くの観衆も、不思議なハンドサインでバンドに応えている。
まるで何かを崇める宗教儀式のようだ。
(©KNOTFEST JAPAN 2016)
そんなライヴの熱狂を横目に見ながら、僕は本来の目的であるバンドTシャツを求め、物販エリアを目指した。お目当ては専らマリリン・マンソンだ。
マリリン・マンソンのTシャツは、ジャスティン・ビーバーの「Purpose Tour」のグッズとしてコラボされていたことで、新たな客層による新たな認識が生まれたアイテムである。マンソン様の顔がTシャツ前面に大きくプリントされているもの(写真・右から2番目)は人気で、販売開始直後にはSサイズ以外売り切れてしまったらしい。
僕は、ジャスティンが着ていたものと同じ「BIGGER THAN SATAN」と背中にプリントされたものを選んだ。直訳すると「悪魔より偉大なり」……ここにも宗教くさい匂いが漂っている。
僕にはよく見分けがつかなかったが、一緒に行った先輩の話によると今回のKNOTFEST JAPANに出ていないバンドのTシャツを着ていた人もたくさんいたそうだ。
プロレスラーのごとく屈強そうな男たちや、「スーサイド・スクワッド」のハーレイ・クインのようなメイクをした女たちが、おどろおどろしいイラストとバンドロゴが組み合わさったバンドTシャツを着ている。これらのイラストにも、五芒星やゴブリンなどの宗教的モチーフが散りばめられていた。
どうやら、彼らにとってバンドTシャツとは「自分が好きなバンドの主張」というだけにとどまらず、ひいては「自らの思想を表すもの」という重要な役割があると思われる。
しかし結論としては、僕はこの宗教にはハマらなかった。
昨今の「ゆとり世代」として、ただ単に「かっこいい」「みんな着てる」という理由でバンドTシャツを着ることが、僕にはできる。
裏表両面に特大プリントが施された、170cmの身長にしては大きいXLのこのTシャツは、ダメージの入ったスキニーパンツとブーツに合わせて、ラフに着るのが今風のスタイルになるんだろう。
僕自身は、まだメタルという音楽自体に大きく傾倒することはなさそうだ。だが、高名な海外バンドたちがこぞって集結するという希少性や、彼らを拝みに来るファンが形成する独特な世界観が、また僕をKNOTFEST JAPANに駆り立てるかもしれない。
ちなみに先輩は、「KNOTFESTと、主宰であるスリップノットへの敬意を表したい」と、オフィシャルグッズのコーチジャケットと、スリップノットのTシャツを購入。しかしスリップノットTにおいては、件のジャスティンのツアーグッズデザインを手掛けるデザイナー、ジェリー・ロレンゾが着ていたからという僕のように単純な購入理由もあったようだ。