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桜咲く一度っきりの今を詠む

2018.03.29 13:50

Facebook・ごとう 孝二さん投稿記事 「花見の言葉の由来は祓えからきている」

桜はいっせいに咲いて、一気に散る。

その潔さは、武士の心に通じるものとされていました。

しかし古代の日本人は、そのような見方と異なり、

桜の咲き方にこのような神の訪れを感じたようです。

「稲作のはじめのたいせつな時期に、田の神が来られて私たちを見守ってくださる」と。

田の神は桜の開花とともに、人里の近くに降りてきて、花が散ると帰っていく。

こう考えた古代人は、田の神に感謝の気持ちを述べようとして

桜の開花の時期に、桜の花を求めて山や野原を訪れました。

これが「春山入り」「春山行き」などとよばれる行事です。

さらに桜の花に宿る神様と過ごすことによって、

身体にたまった穢れが清められるとも考えられました。

古代の日本人は、桜を愛でることを神事と考えました。

そして室町時代に寺院や武家屋敷の庭園がさかんにつくられるようになると、

武士たちは庭の桜を見て、

「よけいなこだわりを捨てて、散るべきときは潔く散ろう」

と感じたといいます。

桜の花はこのようなものだったのですね。

私たちも花見を機に日ごろの

嫌な思いを祓い清めて清々しい気持ちで過ごしましょう。


http://blog.livedoor.jp/susanowo/archives/50076416.html 【春、花見の由来は祓いのための宗教的行事】より

◆◇◆花見の由来は、古来から祓(はら)いのための宗教的行事、元々は神事でお祭りだった

 桜の木の下での春の楽しみといえば、お花見です。「三日見ぬまの桜かな」と歌われたように、うっかりするとすぐに散ってしまうのが桜です。定番のお花見といえば、桜の木の下で日頃の憂さ晴らしとドンチャン騒ぎ、その日ばかりは無礼講のようです。お花見とは名目で、本当は桜は酒の肴にすぎず、飲み食いに重点があるようです。

 しかし、花見の由来は、古来から祓(はら)いのための宗教的行事だったようです。期日が設定され、野山に出かけ花を愛で、その下で楽しむことで、厄を祓(はら)い神さまと過ごすとされていました。かつては、秋の実りを願い、花の下でお祭りをし、花で収穫を占ったのです。開花は神様が降りられた証で、パッと散ると凶とされました。

 お花見は平安時代より貴族が始め、今の京都の二条城のあたりに天皇が行幸(ぎょうこう)し桜見物を行ったそうです。貴族・武士で盛んになり、豊臣秀吉が行った「吉野の花見」は有名です。江戸時代になると庶民の娯楽として定着しました。桜の季節が近づくとなぜか心が弾みます。日本人にとって、花見はきってもきれない春の楽しみになってしまったようです。

 お花見といえば 「桜」、何故でしょうか?古来「花」といえば「桜」をさすほど日本人にとっては大切な花だったようです。また桜は山の神が降りてくる時の目印になる木として、特別に神聖視されており、お花見につきもののお酒も、本来は神に供えたお下がりを皆でいただくものだったのです(今は、全く本来の意味を忘れてしまっていますね・・・苦笑)。さくらの「さ」は山の神さま(田の神さま・稲の神さま)、「くら」は山の神さま(田の神さま・稲の神さま)のおわします座を意味し、桜の木は神様の依り代であるのです。また、「咲く」から来ているという説もあり、花といえば桜、咲くといえば桜だったとしたら日本人好みの花ということになります。