神さまをためすな
2016.11.16 23:21
休み時間教室で〝神さまがいるなら、悲しい事件や戦争なんておきるはずがない!〟とおしゃべりしているこどもの声が聞こえてきた。
別室に私はいたので返答はできなかったが、家に帰っても思い出されたのでこの言葉について考えてみようと思う。
まず出てきたのは、人間が起こしたことを神さまが収束して責任をとる必要はないということだった。人間が起こしたケンカは人間が収めるのは当然と言える。
自分が起こしたことを神さまが何とかをするならば、人間はさながらペットのようだ。ペットならペットのやったことは飼い主の責任で、当然飼い主は改善や収束の義務を果たさなければならない。
人間はペットではないのだ。
人格(基本定義で判断、決断、責任をとれる自由意志をもつ存在)だからこそ、人間の始末は人間がするのが道理である。
ではあらかじめ〝事〟が起きないようにすればいいじゃない!という声が聞こえてきそうだか、未然に防ぐのも人の意志によって努力した結果でしか起こらない。
この世は人の世。魂がわざわざ肉体をまとって人間になり、人間同士で色んな経験をして成長する世界。
人間の意志によって動き、意志によって終わる秩序の世界。
神さまを否定するために用いられる〝常套句〟は、よく考えると意外にも人間の力を貶めてしまう、〝自虐〟の言葉の要素もあった。
KOH