フランス革命の道3-宮廷の習慣に戸惑う
2021.03.30 08:29
ヴェルサイユ宮中に入ったアントワネットは、まず儀礼にとまどう。これはルイ14世から厳格に決まっていたもので、着替えにも儀式があり一枚一枚2,3人の手に渡る。王太子妃はそれまで裸で待っていなければならないのだ。さらに故郷では考えられない「寵姫」という習慣がある。
当時のルイ15世の寵姫はデュ・バリー夫人だが、厳格なカトリックの教育を受け、父母も浮気をしなかったマリーには存在がわからない、従って声のかけ方がわからない。そしてデュ・バリー夫人が王に訴えて宮中の事件となった。母マリアは手紙で「一言くらいなんですか!」と言ってようやく収まった。
また大国同士の結婚は初めから政治が絡んでいた。宮廷には親墺派と反墺が居た。さらに故国は彼女をフランスが親墺派となる外交官と考えていた。幼いマリーがまそこまで考えられたか定かではない。また仏王妃はすでに亡くなっていて、後見役が居ないのも不幸だった。
そこで故国が願うのは、一日でも早い息子誕生である。しかしまだ14歳と15歳である。母マリアも初出産は20歳、王太子は幸か不幸か真面目だったが、趣味が錠前つくりというオタクっぽさ。心配する母に、マリーは73年に「夫婦関係になれたと思います」というような手紙を送る、まあその程度である。