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究極の第三者評価とは

2016.11.25 03:00

11月にして既にユニクロのダウン2枚重ねのDaisukeです。

ちなみに寒いとこ育ちです。


いきなりですが、スーパーで大根とか買えるじゃないですか、お金出せば簡単に。

それって何でなんですかね。


生産者や、流通させてる人や、スーパーやそこで棚に陳列してくれる人、レジを打ってくれる人、そしてその仕組み考えてくれた人とか、いろんな人が、各々の人生の大切な時間を使って私の欲しい大根を、ちょっと歩いて数分のスーパーでお金出せば買えるようにしていただいたからですよね。

もちろん、私はその大根に関わられた方々を存じませんし、知人でも無いので感謝以外に特別な感情はありません。


で、私がお支払いさせていただくその大根のお代金ですが、僭越ながら私自身も自分なりに頑張って大切なお客様から頂いたお金の一部から出ているんですよね。


てことは、私は全く知らない人のその"仕事"にリスペクトし、その仕事故についているお値段に納得し、同じように自身のお客様に評価として頂戴した大切なお金をお支払いしている訳ですよ。

でまたその私のお客様も、その先のお客様に評価されて得たお金を私ども会社にお支払いいただいていて、またその先も... と言った感じで評価=感謝のループな訳です。


つまりこれって、感謝とかリスペクトをお金という単位に変えた究極の第三者評価だと思うんです。



てことはですよ、"まともに"ご商売をされて経済的成功を収めていらっしゃる方って、それだけ多くの方の感謝を集めた結果なんちゃうかなと思う訳であります。


で、そんな方はそのお金の価値をご存知なんで、リスペクトできないものや人には一銭もお支払いになりません。

もちろん、"努力"とかの過程にお金を払う訳でもありません。(←ここ重要)

これは「ケチ」ではなく「カチ(価値)」を理解されていらっしゃるという事です。(ニッ!!)


つまり、 成功した事業会社の社長さん = 感謝を集めた人 = 良いお金の使い方を知っている = 使ったお金が大きくなって返ってくる = お金が回る と言えるんじゃないでしょうか。


ただ、いつの間にかお金と共に回ってる”感謝”と”リスペクト”がいつの間にか振り落とされて、”当たり前”っていうやつに変わってしまっていると言うのもありますよね。

これまた繰り返されてきた世の常と申しますか、、 


こうなってはいかんなぁと思いつつ、そもそもその前に我々もこうして感謝とリスペクトをいただいて、そのサイクルを大きくするためにこそ、得た感謝とリスペクトの還元、な〜んていう良いサイクルを生み出せるよう努力行きたいと思う訳であります。



って、

こんな当たり前の話や「まぁ良い話よね」で終わるような記事なら、対外的に良い話しかできなくなった時にでもしとけばよろしいと。


それでは暖機ができてきたところで言ってしまいましょう。


まず、前述の ”感謝とかリスペクトをお金という単位に変えた究極の第三者評価” を集めた”まとも”なご商売をされている方々を、そのままだと長いので、ここではもう少しシンプルな呼称にしましょう。


どうしましょうね。

うん、ここでは「良い人」と呼びましょう。


はい、ではその「良い人」ですが、それはもう大変でらっしゃいます。

時に、理解できない人には逆に"悪い人・嫌な人"と短絡的に揶揄されてしまうような厳しい決断も、責任として背負っていらっしゃるんです。

その上こうした「良い人」には不公平なほどに、もう少し浅い思考による"公平"とされるルールによって多くの制限を受けていらっしゃいます。

良い人が良い行いをしようとしているのに、ですよ。

これでは回り回って誰も幸せになりません。


で、そのルールってのは多数決で決まるじゃないですか。

大切な事ですよね。多数決。

幸せじゃ無いですか、多数決で決まる世の中。


でももしですよ、多くの人が他力本願で受動的で、できない理由を作って正当化する状況だったら、、??

例えばですね、「アベノミクスとか言ってるけど私には全然回ってこないよ!」みたいな。


ここでいう「良い人」が良い人になれた理由として、その全ての人が元々「良い環境」にあったからでは無いはずです。

現状に何の言い訳もせず、それぞれの置かれた状況からそれぞれ必要なチャレンジと結果に結びつく為の努力を行われたからです。

人ぞれぞれ置かれた状況は違えど、それが理由でできない事にはならないって事ですね。


まぁでも、心配しなくてもこうした「良い人」達はいろんな意見がある事も全てご存知で、その上で目的の為に目的に応じたリアクションをしていらっしゃいます。

そう、ちゃーんと”いなして”いらっしゃいますから。

ましてや私なんぞが言うまでもなく。

私なんてですね、ちょっと前期に会社が少額の税金を納めたからって、アスファルトにツバ吐いたりポイ捨てしてる××をみるともう、×××して×××して×××してやるんだから!! フガー!

まぁ、、落ち着いて話を戻しましょう。


ただね、そんな「良い人」達も等しく平等なのが、1日24時間って事です。


少しでも「良い人」が「良い行い」をし易くなるように、みんなで応援しましょうよ。

そうしないと「良い人」増えませんよ。減ったらえらい事です。

それこそ格差はますます拡大し、本気で食えない人が出てきます。


そしてその為には、やっぱり責任自分論で少しでも多くの人が自立思考になる事かなと。

それって結局自分が「良い人」になっていく事にも繋がるんです。


それ諦めるなら、せめて諦めた自分の個人的理由で、「良い人」やそこに向けて努力してる人の邪魔しない事ですね。

それは自分自身だけでなく、多くの人を不幸にする事になるから。



PS : 青春時代、「良い人なんだけどね・・・」というベタな振られ文句を何度も喰らい続け、"良い人"という響きに対して少し斜に構えてしまう自分がいる事は棚に上げてお送り致しました。