うむ。な話
ソイヤ1人にクスリとしてもらうためにやりすぎたと反省してるので、
急いでいろんな記事を更新して後ろに追いやりたいと思ってるけども。
ちょっとネタ記事をそろそろ書きたい時期だけど、
今年に入ってからなぞに仕事が忙しくて、なかなかアレがアレですけども。
最近Twitterでハフポストの記事がトレンドにいっつも出てて、まぁ広告料払ってるからトレンドになんざなってないくても、ハフポストをブロックしても、あそこに出るわけなんですが。
ハフポストどうこうはどうでもよくて、あーいう過大主語の偏った報道で世の中が溢れるほど、物語を作る側は楽になるなぁと思うこともあるんですよね。
あーいう記事でよく権利を主張しているわけですが、
「女性」であったり「人種」であったりと主語がめちゃくちゃデカいから、あのデカさのまま話すと全部不正解になっちゃうように出来てるわけなんですけど。
何かの話をするときの主語の大きさって結構大事で、
あれらのネット記事は主語が大きすぎていろんな考え方の人が意見してて全く議論に向いてないんすよ。(ここでいう"あれら"も主語デカいよというクソリプあざす)
全員が別の話してるのに言い合ってて、あんたとあんたは別の話してるからそれ議論じゃねぇよって。
そんでTwitterは140文字しかないからか主語がそもそも不足してることも多いっすね。
ハフポストとかが良く扱っている差別とかの話って、あえて偏った意見を"正しい"として発信してそれに対する各々が決めたそれぞれ違う主語の話で議論が始まる。
ただ話題が話題なだけに「それは違うんじゃないか」という意見は言えない。
そんな状況をあそこで作ってくれればくれるほど、逆の意見を抱えた人たちに逆の意見の素晴らしい一面を表現するだけで”それ!”という「言いたいけど言えないことを言ってくれた」気持ちにさせることができるから、片側のみに意見が偏ってくれるほど切り返すのが簡単というか。
誹謗中傷ダメ、差別ダメみたいなことを、
過大主語を使って議論している今は
作り手にとってはわりと追い風でもあるなぁと思ったりするなぁ。
もちろん主語がちゃんとしていたら差別も誹謗中傷もダメなんだけど、
Aさんの話なら周りがおかしいけど、Bさんの話聞いたらそれはBさんがおかしいなってこともあるし、そういうTBYな部分、あ、時と場合による部分を丁寧に拾って「その人の場合」を表現する演劇を観るとTwitterとかネット記事がごちゃごちゃ話題だけ提供してみんなで別々の事象なのに同じ話してるかのように言い合ってるみたいなウンコな状況と違って安心するというか。
そもそも自由とか平等が正義で、制限とか違いが悪いことのような話って、変な話じゃないですか。
同じ話ばっかしますけど締切も制約もなかったら、ミスチルだって新曲出せないかもしれない。
こんなテーマで、このドラマに合う曲で、このフレーズを使って欲しい。○月○日までに。
って制限があるからこそ、作れるものがあるよね。
作詞作曲してて、締切もテーマもなく、自由に作ってください!って言われたら、なんでもできるし自分で全部決めていいんだってなるけど、
まぁ、むずいよ。
自由なのにこの曲書くんだ俺ってなるよ。
締切なかったらそもそも「これでOK」ってならんしね。簡単には。
ここ直したいなぁっていつまでもなるし。
制限は悪ではないし、自由って別に素晴らしいものではない。
ただ、ある世界のある人のその場合に限った話に置いて、
「不平等でおかしい」という話をするわけだけど、
それが出来るのは、Twitterとかじゃないんでしょうね。
っていうか、まぁ何回も言うけど、誰かを悪く言うときは主語はハッキリしないと。
関係ない人、みんな傷つく。
普段は下書きで終わるけど、今は早く更新したいので公開です。
じゃあの