1928年4月1日
1928年4月1日 昭和3年
【内 閣】
[田中義一内閣]
総理 田中義一/外務 田中義一(兼任)/内務 鈴木喜三郎/大蔵 三土忠造/陸軍 白川義則/海軍 岡田啓介/司法 原嘉道/文部 水野錬太郎/農林 山本悌二郎/商工 中橋徳五郎/逓信 望月圭介/鉄道 小川平吉/内閣書記官長 鳩山一郎/法制局長官 前田米蔵
【元 老】
西園寺公望
【宮中主要官】
内大臣 平田東助/宮内大臣 牧野伸顕/枢密院議長 浜尾新/枢密院副議長 一木喜徳郎
【軍部高官】
[陸 軍]
陸軍次官 白川義則/軍務局長 畑英太郎/参謀総長 河合操/参謀次長 武藤信義/教育総監 大庭二郎
[海 軍]
海軍次官 岡田啓介/軍令部総長 山下源太郎
【植民地高官】
朝鮮総督 斎藤実/台湾総督 内田嘉吉/関東長官 児玉秀雄/樺太庁長官 永井金次部/南洋庁長官 横田郷助
満鉄社長 安広伴一郎
【東 京】
府知事 宇佐美勝夫/市長 中村是公
【国際連盟】
事務総長 ジェームズ・ドラモンド (第7代パース伯爵=英)/事務次長 杉村陽太郎
岡山県倉敷[くらしき]市が市制施行
都窪郡倉敷町が市制施行し、倉敷市(初代)が発足(岡山県で2番目の市)。倉敷という地名は、中世に支配地の年貢米や貢納物を領主へ送るために、周辺の支配地からそれらを集めておく場所であった「倉敷地」に由来しているとする説が地元の歴史家の間では有力とされる。倉敷村はかつて倉敷地であったといわれている。倉敷地は「蔵屋敷が立ち並んだので、『蔵屋敷』地が転訛して『倉敷』地となった」と云われ、また「倉とは船蔵屋敷あるいは水夫屋敷のことを指す」ともいわれる。倉敷村が誕生したのは戦国時代~安土桃山時代の間(1565年~1585年)であるといわれ、『蔵敷』『倉輔』等とも書かれることもあった。江戸時代に幕府代官所が置かれ陣屋町となり、また物資の集散地になり、川港として栄えて豪商の蔵が建ち並び商家町として繁栄。現在の美観地区周辺の基礎が生まれた。なお、倉敷地は全国各地にあったが、倉敷市同様に現代まで倉敷地に由来する地名が残っている例がある。たとえば同じ岡山県内の美作市林野も戦国時代頃から倉敷村と呼ばれた。なお、こちらも江戸時代に天領となり代官所があった。1918年(大正7年)美作の英田郡倉敷町は旧郷名の林野郷(はいのごう)に由来する林野(はやしの)町に改名し備中の都窪郡倉敷町に倉敷の名を譲った形となった。現在も林野から吉野川(吉井川支流)下流の美作市巨勢(こせ)に下倉敷という字が残っており、宇野バスが運行する路線に下倉敷のバス停があるなど、倉敷地の名残は現在も残っている。