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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

ロシア帝国の道15-エカチェリ‐ナ2世登場

2021.04.01 07:48

1762年クーデターで帝位に就いたエカチェリーナ2世は、本名をゾフィーというドイツ人である。ただ一つの強みは、息子パーヴェルだったが、これも実父はロマノフ家といえない疑いがある。ともかく、愛人のアレクセイ・オルロフや貴族の支持で、帝位に就いた彼女は、あまり強く出られなかった。

前帝ピョートル3世が暗殺されたときから、ロシア得意の僭称者が次々と現れ、幽閉されたアンナ女帝の息子イワン6世を脱出させる試みもあったが、イワンは64年に暗殺された。対外的成功を得たい女帝が目をつけたのがポーランドである。ポ王アウグスト3世は、ピョートル大帝が追放から復帰させた王である。

63年ポ王が崩御すると、女帝は、子供まで作った愛人スタニスワフ2世を、ロシア軍の威力によりポ王にした。その際、プロイセンに支持させるため、フリードリヒ2世と64年に露普同盟を結んだ。このときには、大王は7年戦争の教訓で、女性をバカにはしなかったらしい。

ポーランドの国教はカトリックで、他の宗派は認められていなかった。68年2月、女帝はロシア軍の圧力で、露ポ条約を締結し、宗教の自由の啓蒙主義の名のもとに、正教をポーランドに認めさせた上で、事実上の属国にした。欧州はまたもや女の力を思い知り、普大王は今度はバカにせず利用しようと思う。