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さいたま自死遺族の集い*星のしずく

今心桜

2021.04.01 22:45

※以下NHKドキュメンタリー番組の取材撮影兼の臨床美術ワークでした。

 (放送では割愛されています)



先日、事後初めて、桜並木を【鑑賞する】という目的(世間で言われるところの花見)で外を歩きました。


私の場合は娘を自死で喪ってから5回目の春にして、やっとまともに『桜』を体感できる精神状態になったのかなと、このときに思いました。

自分のまわりの世界に、半分曇りガラスのようなフィルターがかけられていたのが、取り外された感覚…。


場所は大宮の氷川神社の…裏?です。

なんと初めて(;^ω^)足を踏み入れました。


あのあたりには千本桜と言われる名所もあります。

娘が生きていた頃は毎年家族4人で初詣に出向いていた氷川神社なのに、そのすぐ裏側に有名なお花見スポットがあっても……チェックさえしていなかったという……。


意外に近場の名所を訪れていないものです。

というか、そんなに何を忙しくしていたのでしょう私は。

だから娘は………

(桜に纏わる自責がひょっこり顔を出します)


娘が亡くなってから意識し出した場所、行くことになった場所、やることになった事、やれるようになってしまった事 ……活動範囲が広がり続けているという不思議。

(コロナ禍にもかかわらず)

右肺だけで生きているハイリスク者とは思えません⇒(^_^;)。




この日は、板の上に桜の絵を描くという臨床美術(クリニカルアート)のセッションを受けてみたいと、自死遺族当事者美術班『チームB』で集いました。


五感をフルに使って感じ取りながら描く桜。

ナマの桜並木に想いを馳せながら歩き、香りだとか肌に感じる風だとか、まわりの音にも耳をすませ、感じ取ったものから、自分の中にある『今心桜~イマココザクラ』を描いてゆきます。


とはいえ、これがなかなか一筋縄では行きません。

それが今回のテーマであり作画の要なのでしょうね。


 *


筆は使わず、板に垂らした一滴の青墨から、板の角度を変える(動かす)ことのみで枝を描いていくのですが、当たり前に自分が頭で思い描いたような枝にはなりません。


まるで人生のようではありませんか。

思いがけないことが起きる、望んでいないこと、想定外のこともあったり。


とてもイビツな枝が出来上がったら、今度は散策で感じ取った空気感だとかを、今の自分の気持ちにも重ねながらハードパステルや別の画材で、素手だけで描き入れていきます。


今年の桜は、私の感覚ですと先に述べたように、事後初めて半透明フィルターを取っ払えた状態で観れたように思いましたので、まんま清々しいパステルカラーといった感じでした。



そして最後に桜の花を指先で咲かせていきます。

枝は思い通りにはいかなくとも、どんなふうに花を咲かせるのか、自分の過去、現在、未来、どこを重視して思い描くのかも自由です。


📷出来上がりの絵は、帰宅して娘コーナーに手向けました。。


なんじゃこりゃ!な桜になりましたが!!!

描いていて……


とても気持ちよかったのです。

(あくまで今の私はです)


人により一番苦しい桜を描いたり、寂しい気持ちも入り混じったり、あたりまえに違うのだと思います。


今年の桜は、描いているうちに、娘のいるであろう天地に届けたい気持ちが大きくなっていました(*^^*)。


花弁よ、香りよ、天地へ届け!とばかりに、上へ上へと咲かせ(花びらを舞い上がらせ)てしまっていますね~…。

過去桜ではなく、今から先(残りの人生)未来へ咲かせて活きたい『今心桜』を描き出せた日のように感じました。


これが一年前だったらどうだったのか、二年前なら……。



📷こちら一緒にチャレンジしたクロさんの今心桜です。


なんとなく春の嵐?

けれどぽってり重みのある桜が健気に力強く咲いてるように私には感じました。



臨床美術は自己肯定感やお互いの「違い」を認め、尊重しあうことが出来るグループでのセラピーにもなるようです。

心の療法・整理にも繋がる、アートワークの可能性への期待は、モノ作りと絵画が大好きだった亡き娘とともに、私の中ではむくむくと育っているようです。

星のしずく*管理人



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