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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

ロシア帝国の道16-ポーランド、トルコ侵攻

2021.04.02 10:52

ロシアの乗っ取りでポーランド各地で反乱が起こった。エカチェリーナはヴォルテールに、自分は信教の自由を擁護している、と手紙を書いた。そして1686年10月、反乱者を追ってロシア軍がオスマン国境を越えたことがきっかけとなり、第一次露土戦争が勃発した。女帝にとっては想定内であった。

ロシア軍はポーランドを前線基地に使い、モルダヴィアとワラキアの大半を占領して、黒海への出口を得た。さらにロシアはイギリスの支援を得て、露艦隊を、ブリテン島で補給して、英領ジブラルタルを通過して、地中海にさしむけた。露艦隊は70年6月、チェスマ湾の海戦で大勝利を収めた。

ロシアの勝利にプロイセンの大王はビビっていた。ロシアの南進はオーストリアを脅すかもしれない。普露同盟で戦争しなければならない。そこで69年8月、女帝マリアと違い、友好的な息子神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世を招き、友好関係を築く。翌年にはヨーセフが返礼に招き、宰相カウニッツも同席した。

71年オーストリア軍はポーランドに侵入、さすがに露墺戦争はしたくないエカチェリーナにフリードリヒは提案した。お互いにポーランドの好きな所を取ればいい、と。そしてそれに自分も乗らせてもらう。そうすれば、オーストリアにシュレージエンはもう返さなくてもいいだろう。

下はイワン・アイバゾフスキー作「チェスマの戦い」