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<Artist Talk> 三輪恭子『耳をすませて描く』記録

2021.04.09 15:38

三輪恭子 滞在・公開制作プログラム『耳をすませて描く』の最終日に行った、アーティストトークのレポートです。

ゲストに高松市美術館の石田智子さんをお迎えし、対話形式でお話を進めました。

三輪さんの過去作品にまで遡り、今回の『聞き描き』の実験を経て、どのような成果が得られたのかを紐解く非常に興味深い記録となっています。

動画のアーカイブをYoutubeにて、またワークインプログレスの様子を三輪自身の手記にてnoteに公開中ですのでそちらも併せてご覧ください。 


開催日時:2021年2月14日(日) 19:00–

登壇:三輪恭子

   土居大記(Zunzun-planC)

   矢野恵利子(同上)

ゲスト:石田智子(高松市美術館学芸員)

開催場所:Zunzun-planC



※本文は一部抜粋・編集しております。




矢野:

皆様お集りいただきましてありがとうございます。Zunzun-planCは、アーティストの矢野恵利子と土居大記が2020年秋に立ち上げたアーティスト・ラン・スペースで、現代美術を中心に、面白い活動の紹介・交流・実験の場というコンセプトで運営されています。

2020年12月から2021年1月に公開したこけら落とし展では、私と土居の共作を1点発表させていただきました。

そしてこのセカンドプログラムでは、アーティスト・イン・レジデンスプログラムとして神奈川県から三輪恭子さんをお招きし、ここに滞在してもらいながら、ワーク・イン・プログレスの公開を2週間やってまいりました。

完成している作品を皆さんに紹介するという形ではなく、Zunzun-planCのコンセプトの1つに「アーティストが新しいことを実験し、新しいことにどんどん挑戦し、失敗を恐れない場所をつくりたい」という思いもあったので、三輪さんには好きなように、せっかくだから今までやっていないことを行ってほしいと最初にお伝えしました。

そして今回『聞き描き』という、三輪さんにとって新しい技法の実験を行いました。最終的には来てくれた人にどんどん参加してもらうという形になってよかったかなと個人的には思っています。

Zunzun-planCとしては、これからも自身の紹介も含めて、面白い・興味深い取り組みを、高松の人に向けてを中心に紹介していけたらいいなという理想があります。ただ、運営の私たちもアーティストなので、どこまでできるかというのは私たちにとっても実験ですね。


では、三輪恭子の過去作品、これは今回どうして聞き描きという新しい取り組みを始めることになったのかという話に繋がってくるので、三輪さんご自身からプレゼンしていただこうと思います。




過去作品の紹介と『聞き描き』をはじめた経緯


三輪:

宮崎県出身、今は横浜で作品をつくっている三輪恭子と申します。

元々私は立体の方をメインにつくってきていたんですよね。5年くらい前までは絵は全く描いていなかったんです。



<写真1>

《遠景》 2010年 凸レンズ、トレース紙

©MIWA Kyoko


<写真1>これは凸レンズとトレーシングペーパーを使ってたインスタレーションです。アトリエとして使っていた倉庫の、人の視点、目の視点、色んな視点を、トレーシングペーパーに、窓から見える風景を映すことで、その人・その場所の記憶みたいなモノを物質化しようとする装置です。



<写真2>

《空き地》 2010年 草刈り機、陶片

©MIWA Kyoko


<写真2>これは、佐賀県の、もともと陶器の工房があった場所の草がボーボーで空き地になっていたので、そこの草を全部刈り取って地面を掘り起こし、中に埋まっている陶器を洗い出して並べただけの作品です。その場所に埋まってしまったものを目の前に差し出して、そこからその場所に拠った出来事を考えていくというもので、今とやっていることがあまり変わってないなという印象があるんですけれど、この時はですね、この土地を持っているおばあちゃんがすごく喜んでいました。



<写真3>

《粘土日記》2017-18年 石粉粘土・テキスト

©MIWA Kyoko


<写真3>これは近作ですね。その日あった一番印象深い出来事を石粉粘土の彫刻にして、毎日1個ずつ日記的につくっていくということを、1年近く続けました。大掃除をしたとか、飛行機に乗ったとか、寒くてずっと家にいたとか。結局、これも自分のお守りみたいなものなんですけれど、その日あったことを忘れないぞと、記しとして残していきました。



<写真4>

複数のドローイングから成るシリーズ《無題(与論島)》より「目の前で笑うあなた。」

2015年  紙にパステル、ペン

©MIWA Kyoko


並行してドローイングを始めたのが2015年からです。

<写真4>これは与論島という鹿児島の南の方にある島の儀式についてです。洗骨儀礼という亡くなった人の骨を洗う儀式があって、完全に亡くなったものにその家族が再会するための方法だったので、めっちゃ面白いなと思って、与論島に取材に行きました。その時島の人から聞いた話を元にドローイングに起こしていったのが始まりです。今回の聞き描きに似ているんですけれど、その時は、島の人に出来たものを見せてどうですかと聞くといった擦り合わせは無しで、完全に自分の主観を使っただけでした。要は、妄想で描いていたようなところがあったので、今思えばちょっと押し付けがましいのかなと思うんですけれど。


その後も色々と、与論島の洗骨儀礼がどういう変遷を遂げていったのか、また、与論島や沖縄からハワイの方に移民にいった人たちがたくさんいるのですが、例えば結婚する相手がキリスト教であったりまた全然違う国の人だったりするので、信じている宗教みたいなものがどういう風に変わっていったのか、個人的に何を信じているんだろうかということが気になって、ハワイに取材に行って絵に描いてみました。


ただ、よく作家が「リサーチを経て」って言葉を使うじゃないですか。そのリサーチっていう言葉がだんだん嫌になってきちゃって、リサーチって学者の方がちゃんとやっているんじゃないかっていう気になってきたんです。結局、ハワイにリサーチに出ていっても、生まれ育った場所を思い出すんですよね。宮崎に似ているなとか、そういえば今家族どうしてるかなとか。ちゃんと自分の足元を見て絵を描いた方がいいんじゃないかなと思って、自分の日常や身の周りであったことを描きたいなと思ってここ1、2年は描いてきました。

例えば、近所のおばさんがめちゃくちゃ花壇を勝手に作っているのがいいなと思って描いたり、横浜の大きい観覧車を散歩している時に見て、わあ、すごく残しておきたいなと思って描いたり、素朴に、日記のような感じで描いてきたんですけれども。<写真5.6>

<写真5.6>

複数のドローイングから成るシリーズ《ハッピーマーク・ドローイング》より

2019年 紙にパステル、ペン

©MIWA Kyoko




ただ、自分のことを自分でずっと描き続けるのが今度は窮屈になってきて、自分の考えているイメージを自分で再生産するだけだったら、同じような雰囲気とかストーリー性、スタイルが固まってきてしまって、気持ち悪いなと思いはじめて、今回の聞き描きというものにつながっていきます。

人のイメージを私が描くことで、語る人は自分のイメージからちょっと距離を置ける、私も自分のイメージからちょっと距離を置いて、人の話を聞くことで、そこから自分のイメージを想起して他人のイメージと自分のイメージが合わさる部分を共有して描いていくと、第三者から見ても面白いイメージができるんじゃないかと思って聞き描きをはじめました。




『聞き描き』とはなにか


Photo:Kyoko Miwa


Photo:Takehiro Iikawa


今回のプログラムの様子を写真でお見せします。

高松に来る前に、まずは土居君と矢野さんに実験台になってもらって、1月の間に6回、LINE電話で聞き描きをやりました。お題もすごく適当な、印象に残っている同級生の顔、忘れられない場所など、ランダムに話題をふってきたんですけれど、その中で、実は聞き描きは繊細な作業だということが分かりました。いきなり核心に迫る質問だと拒否されたり、かと思えば同じ質問でもさらっと話してくれる人もいたり。

実験を繰り返す中で、2つのテーマのうち話しやすい方の質問を選んでもらうスタイルで、ルール表(質問シート)を作りました。なんでもかんでも聞いていいわけじゃないし、適切な聞き方があるだろうということです。



テーマA:「あなたのお守りに関するお話を聞かせてください」。


お守りというものは、持ち主の存在を後押したり、肯定したりする大事なものです。お守りがその人の手元に渡ってきた経緯や背景に見える話を聞くことで、その人の本質的な部分や支えになっている部分、肯定する要素が見えてくるのではないかと思ってこのテーマを設けました。

ただこの質問だとその人の核心にいきなり振りすぎて、拒否反応を起こしたり、話している間に本人も知らないうちにしんどくなったりということも起こってくると考えられたので、もう1つの聞き描きのテーマBも設置しました。


テーマB:「人によく話すようなストーリー性のある話題ではないけれど、どうしても忘れらず、何回か1人でふと思い出す話を聞かせてください」。


ふと思い出してしまうことの中に、その人らしさが入っているんじゃないかなと思ってこのテーマを設けました。


元々は矢野さんと土居君ともう1・2人ぐらいを対象に聞き描きを深めていって、来てもらったお客さんには語り手と私の擦り合わせの経緯を楽しんでもらおうと思っていたんですけれど、実際訪問してきてくれた人にこの質問シートを見せると「私はねぇ」とか言って話し始めてくれる人が結構多かったんですね。その内容や意見交換があまりにも面白すぎたので、途中で路線を変更しました。

2週間の間はなるべくいろんな人の話を聞いていく。ただ、2週間だと全員分のドローイングは絶対完成しないから、1人分に絞って1枚だけ完成させるという路線に変更しました。

この質問シートに則って、テーマAかBの好きな方、話したい人は両方というように、テーブルの上に模造紙を敷いて色々メモしてもらったり、時には絵を描いてもらったりしながら、16人分ぐらい、いろんな人からエピソードを話してもらいました。今皆さんの周りの壁に貼ってあるメモは全部違う人のエピソードのものになっています。詳細は私だけが知っていますけれど。



<写真7>

ケント紙に油彩、パステル、790×535mm

©MIWA Kyoko



展示の様子

Photo:Takehiro Iikawa



<写真7>そして、土居君が小さい時によく忍び込んでいた屋上の話、この話を作品として完成させようという風に決めました。

途中で何回も、土居君から「もうちょっとコンクリートの感じがこうだ」とか「空はあんまり見てなかった」とか、もうちょっとぼんやりとかそんなに淡くないとか色があるとか言われながら加筆訂正をしたり、実際、2人で屋上があったと思われる場所に行ってみたりもして、追体験というか、その場所に対する体験の共有をやっていきました。実際はその屋上はおそらく既に取り壊されていたのですが、見つからない屋上に対して、2人であーでもないこーでもないと話しながら、1つの架空、架空じゃないけれど1個の屋上のイメージをつくっていく作業を制作としてはメインでやって、無事14日間で作品を完成させました。




『聞き描き』は2週間でどのように変化していったのか



石田:

コロナ禍で結構大変なこともあったかと思うのですが、無事高松で開催できてよかったなと、私は嬉しく思っています。

Zunzun-planCという場所も結構特殊ですね。

ワークインプログレスを見せていったり、あと、三輪さんは高松という場所に長く滞在するのは初めてだと思うのですが、高松の人にたくさんお話を聞いた中で、率直な感想や、制作にどのように影響したかなどを聞けたらなと思っています。


三輪:

2週間と結構長期間滞在したのですが、高松の人が話してくれるから、高松にまつわる風景の話をよく聞きました。実際その場所に行く作業は、土居君だけでなくもう1人とも行ってみたので、郊外の、観光であまり行かないような普通の住宅地に行ったりもして。しかも、土居君のケースだと小さい時によく遊んでいた場所だったので、一緒に歩きながら土居君もだんだん、土居君は土居君なんだけれどなんとなく小学生に戻っているのかも、みたいな気持ちで、一緒に時間を少し超えて高松を歩けているような気がして、それが身体的に入ってきたのがすごくよかったです。自分が媒体になって入ってくるなっていう感じがしました。アウトプットにどう影響するかまではわからないですけれど、インプットとしては、普通に高松に来るのとは全然違う感じがしました。


石田:

人から話を聞いて、作品にしようと考えながら歩くと、街の見方が全然違いますよね。


三輪:

消化の仕方が違う。海にまつわる話も結構あって、香川県の海の話と、元々別の海のある街にいた人はそこの海との違いについてとか。それと、高松と私の出身地の宮崎もものすごく似ているんですね。

建物もあまり高くないし空が広い感じが似てるけれど、違う街だなと。自分の中でも、被さる部分ってなんだろうなと考えたりしました。


石田:

ワークインプログレスで見せていくという方法はどうでしたか?今までされたことはありますか?


三輪:

ないです。オープンスタジオならありますけれど、パフォーマンスじみていますよね、オープンスタジオって。


石田:

見せようと思ってやっている感じですね。


三輪:

そう、何かを流し込んでいる現場を見せたりとか。

今回は話を聞くのが中心だったから、本当にじっくり、1人あたり2時間とかかかりました。カウンセリングじゃないかなって。


石田:

そうですね。結構大変でしたよね。


三輪:

大変でしたね。Zunzun-planCの特性というのが、パブリックな場所とちょっと違ってワンルームに近い場所で、予約制で、お客さんは時間を決めて、3階まで登って来る。そこが聞き描きの感じとすごく合っていたというか。結構、皆プライベートの話をしていくから。

例えば、人数が1人増えただけでも口をつぐんでしまう人もいるんですよね。

めちゃくちゃデリケートな感じだなと思っていたんですけれど、友達が帰った途端に喋り出したり。采配が難しいので結構気を張って、常に場の雰囲気を見ながら進める感じはありました。それが実現できたのはこの場所だったからなのではと思います。

占い師にはなんでも相談できたりするじゃないですか。今回も外部からパッとやって来た人がこじんまりした部屋にいて、普段言わないようなことをぽろっと言って、妙な親近感というか、初めて会ったとは感じないなとつぶやいて帰っていった人もいて、それができたのはここだからだったのではと。もっと広い場所やパブリックな場所だったらこうはならなかった気がしました。ここでよかったです。


石田:

この場所が聞き描きのスタイルにあっていたんですね。

結局いろんな人から話を聞くようになって、でも最終的に作品を1点仕上げるということになったと思います。

さっきの与論島の話の時は、妄想で描いてしまったところもあったという話でしたが、今回は人の記憶に寄り添っていましたよね。土居さんと一緒に記憶の場所まで行くということをされたと思うんですけれど、実際そうやって語り手の記憶に寄り添っていった感想を教えて欲しいです。

記憶の再現は、話を聞いた人の景色に寄り添って、三輪さんが思った映像ではなく、話している人が話している映像に合わせようと思ったんですか?


三輪:

そうですね。やっぱりその方が断然おもしろいなというのがあって。

自分で勝手に描くと、本当に自分のスタイルだけでそこから出られないんですよ。

でも人と話し合いながらやると絶対自分じゃ描かない感じのことを言われたりするのでそういうところがいいなと。


石田:

それこそ描いている時に、土居さんにもうちょっとコンクリートが、とか言われたんですよね。最初は空を描いていたけれど、みたいにね。


三輪:

空の色も勝手に変えましたけれど、夕方くらいの感じがいいかなとか、放課後かなと思って。夕焼け前くらいの色にしてみようっていう風に。


石田:

自分の中で考えて描いてしまうと自分のスタイルから離れられないっていうのもあるから、今回は話を聞いた人の記憶にできるだけ寄り添うようにしたんですね。




自分のエピソードを絵にしてもらうということ



石田:

Zunzun-planCのお2人にお聞きします。土居さんの分は1枚作品として出来上がっています。矢野さんの分も一応ドローイングとして途中まで描かれていますが、作品として出てきたものは、自分の記憶や話したことと比較してどうでしたか?


土居:

黄色に塗ってからはじめてみた時、黄色なんだ、と思いました。自分の記憶では霞の青空だったから。放課後って聞いてなるほどって思ったけれど。

黄色かどうかは別に問題ではなくて、これを見たときにあの記憶を思い出すのかって聞かれると、半々かなって。この企画をしていなくて、こういうプロセスも知らずにこれを見て、自分の記憶を思い出すかって言われると半々な感じがします。でも確かに僕が言った描写はこれだから、なんで違うんだろうとは思う。

どんなに描写を頑張っても絶対に記憶とは違うと思うから、その追いつかない差が多分魅力なんじゃないかなと僕は思っています。


石田:

記憶に寄り添って描いていて、その記憶との差があったけれど、またそこが面白さということですね。矢野さんはどうですか?


矢野:

私の描いてもらった絵は、神社の境内の中にぐちゃぐちゃになって散らばっている男性成人用雑誌の絵です。<写真8>

<写真8>


私が小学生の頃の記憶です。この景色自体はもっと汚いというのを三輪さんにはずっと伝えています。ちょっと透明感がありすぎるしこんな澄んだ空気じゃないし、もっと散らばっているし、もっと雨でぐちゃぐちゃだし、とにかくもっと汚い。私の記憶の中のリアリティとしての話ですが。

そもそもなんでこの絵を描いているのかという話をしてもいいですか?

私と土居君は何回か被験体になり、オンラインも含めていろんな話をしていった中で気がついたのですが、私は結構繊細だったんです。

三輪さんの出したテーマはものすごく何気ないものなんだけれど、私の中では消化しきれていない問題に繋がる話だったりして、話せなくなって泣いちゃったりとか、なんで今これをここで話して、しかも絵にしてもらわなければいけないんだっていうように、自分の中でしっかり向き合いきれていない、完結していないような問題に触れるような話になると、結構取り乱してしまうことが多かったんですよね。

でも三輪さんはそういうことがしたいわけじゃない。それが目的ではなくて、これは例えとしてよく言っているんですけれども、三輪さんは、人生を双六のマスに例えるならば、そのマスの周辺にあるような、もうちょっとささやかなエピソードっていうのを抽出したいから、もっと深夜ラジオ放送ノリでいいんだよってよく言われたんですけれど。


三輪:

そう、ラジオでハガキ読み上げる感じです。


矢野:

そういうエピソードを出して欲しいということで、このエピソードになったんですよ。だから私としてはこの絵はちびまるこちゃん的なエピソードとしての絵なんですけれど、この絵が欲しいかって言われたらちょっとよくわからない。

ネタ的な小さいキーホールダーとしてなら欲しいかなって思うんだけれど、絵画としてっていう話になったら、これは欲しいのか?という気持ちがあるかなと思いました。

でもきっとこの風景って今はあまり見られなくなっているんですよね。雑誌自体が散らばっているという風景自体があまりないから、私が小学生の時の時代の象徴なのかなあと。


石田:

あまり見られなくなってきているという言い方が天然記念物みたいで面白いですね。

私はこの作品結構面白いと思っていて、実はもう1点あるんですよね。それとセットで見せたらより面白かったかなと。私は欲しいと思いました。

矢野さんのエピソードもドローイングにしていって、どちらかというと矢野さんのエピソードの方が、最初に言っていた双六のマスじゃないということですよね。

周辺のマスにもならないような出来事、初めはそういう話を描きたいということだったんですよね。

でも結局は土居さんのエピソードを選んで描いて、その後いろんな人の話も聞いて、最終的に1点仕上げようって考えたのかなと思うんですけれど、土居さんのエピソードを選ぼうと思ったプロセスや、いろんな人の話を聞いてもそのエピソードを選ばなかったということ、例えば矢野さんの話は土居さんの話とほぼ同じ時期に聞き始めているのに、土居さんのエピソードを選んで作品に仕上げたというのは、どういう紆余曲折があったのかなということをお聞きしたいです。

それぞれのエピソードをちょっとずつ描いてもよかったわけですし。


三輪:

ああ、速描きで。道端で似顔絵描いている人みたいに。聞いて、はい、こうですか?って。


石田:

そういうことでよかったのかもしれないですよね。なのでこの完成形になったプロセスっていうのを教えてもらえたらなと。


三輪:

矢野さんや土居君とは友人として信頼関係が地盤にあったというのはあります。そして土居君の屋上に行ってみるというのを高松に来てから3日目あたりにやってみたんですね。それまでは矢野さんと土居くんの話を同時並行で描き進めていたんですけれど、土居君の方はやっぱりその場所に行ったことが私の中ではかなり大きくて、プロセスに厚みがだせたなというのが大きかったです。

矢野さんのは・・・これは・・・面白い。


石田:

笑えるという意味でも興味深いという意味でもかなり面白いです。


三輪:

でもこれ欲しいかなあ?と考えたりもしました。一旦保留にしていたんですよ。半分成り行きもあるんですけれど、みんな面白い話をしてくるし、これはだめだぞ、収拾つかなくなるぞと思いました。ただ1個は絶対仕上げて落とし前をつけて帰りたいと思っていたから、じゃあ地盤の固まっている土居君のにしようと。

矢野さんのも仕上げますよ勿論。終わって仕上げますけど、今回は無理です。一旦保留。

ですので、土居君の方に集中して、他の皆さんのお話はドローイングにはならないということを前もって説明し、了承してもらった上で話してもらおうと、途中で整理しました。

それがこの結末になっています。


石田:

作品としては「仕上げたい」という気持ちがあったんですか?


三輪:

1個を収斂したいという気持ちがあります。




 聞き描きの実験を通して変わったところと変わらなかったところ 



石田:

最後こうやって仕上げたのは三輪さんらしいなと思って。というのは、今回のプログラムって、この行為自体を作品にすることもできるけれど、やっぱり1枚のドローイングとして残すことに拘ったところはすごく面白いな、変わらないところなのかなと思ったんです。

でも最初にお話を伺った時は、自分のやり方を変えたいようなことを仰っていたとも思うんですけれど。

これは言っていいのか分からないけれど、三輪さん、「もっと自分は面白い人間なのに」と言っていて。私もそう思います、お話ししていて面白いなと思ったし。会う前に作品だけを見た時は、もっと物静かな、髪の毛サラって感じの人かと思ってたんですけれど、実際会うともっとざっくばらんにも話せるし、結構おもしろいことも言ってくれるしという感じだったので。

三輪さんは、人柄、面白さ、深夜ラジオノリなどをもっと作品で表現したい、自分のスタイルを変えたいと言っていて。あと、自分だけの考えで描いていたら切り取る風景なども同じになってくるというのも仰っていましたけれど、

今回のプログラムをやってご自身で変わったなと思うところと、変わらなかったなと思うところはありますか。


三輪:

まずちょっと釈明させてもらうと、私は面白い人間だっていう「面白い」は、頭がいいとかそういうことではなくて、下世話なものが好きだったり、くだらないものが好きだったりっていうことなんですよね。今日もこういうTシャツ(白目をむいている人の顔がプリントされたTシャツ)を着ていますし。

普段ふざけた感じなのに、なぜか出来てくる作品はまじめな感じになるっていうのが納得いかないと思って、自分ってそんなんだっけ?違くない?みたいなのが嫌だなと思っていたんですよね。

それもあって一発目は矢野さんの成人用雑誌の話をやってみようか、これは自分の型を破れるんじゃないかと思ったんですけれど、透明感出とるやないか!みたいになって、くっそーって思ってたんですよね。ぐちゃぐちゃ感とかを画像検索して、矢野さんと、「これ?」「あ、それそれ・・・」とか言いながらやってたんですけれど、目標の収拾がつかなくなったんで、面白い部分をを表現するという目標は置いておきましょうとなりました。

質問なんでしたっけ?(笑)


石田:

今回のプログラムをやって自分が変わったなと思うところと、ここは変えられないなと思うところ、今後もこうやっていくんだろうなと思う、自分の特徴や持ち味みたいなものについてです。


三輪:

人と話し合うことで自分をなるべく変えていったり考えたりという時間が、1人でやっている時より断然多くなったので、そこがやっぱり変わったかなと思います。

あと、制作のプロセスがもっと複雑になったなとか、その分すごく面白くなったなという変化は感じますね。

逆に変わらない部分としては、結局、例えばさっき言ったように、聞いたらすぐ「イエーイ」って描く、「うわーい」みたいなノリで「面白いや!」というつくりかたは、出来なかった。

土居君と現地に行くこともですが、描き始めてすぐに「これでいいよね」みたいにはならず、屋上の色を塗った時も、土居君が「あ、オレンジ色、いいね。」と言ってくれて「よし!」って思ったりと、慎重に詰めていく感じが、結局自分は真面目にやっちゃうんだなと思いました。変わらなかった。ついつい真面目にやってしまう。こういう風に収斂しちゃったというのが、変わりませんでした。


石田:

なるほど。変わろうと思ったからこそ変わらなかったところが分かるというのもおもしろいなと思ったんですけれど。

土居さんがさっき、この絵をみて自分の記憶を思い出すかどうかは半々と仰っていたと思うんですが、別の人が見たらまた別の記憶を思い出すかもしれないじゃないですか。そういう記憶の一部分を三輪さんが描いたこと、しかも割と完成度を高めて描いたことによって、記憶とはちょっとだけ離れた場面になったのかなと思っています。

またそれを見て思い出すこと、また別のことを皆が思い出すということもあるから、記憶のお守り、頭に残っている記憶の一場面一場面を象徴的に取り出して描くというやり方だと思うのだけれど、人の記憶を描くことで、三輪さんだけのものじゃないということを皆が知っているし、違う記憶かもしれないけれど、それを見てよりいろんな人が思い出せるような記憶になったのかなと。今までの作品とはそこが違うのかなと思います。

今までの作品は、これは三輪さんの記憶なんだろうなと鑑賞者は思っているからそうとしか見ないところがあったけれど、人の記憶を描いたことで、「あ、どんな記憶かな」と、自分の記憶を手繰っていくところに広がりがあったのかなと私は思いました。

プロセスも見られたのでとても面白かったです。

今後の活動についはどうですか?この後横浜に戻るんですよね。今も黄金町でレジデンスをしているんですよね。


三輪:

そうですね、まず今回聞いたお話も全部は描ききれないんですけれども、何枚か描きあげたいって思っているものを完成させようかなと思います。あと、今回収拾つかないなと思ったことがたくさんあったので、例えばイメージが全然浮かばなかったエピソードもあったんですよね。それがなんでなんだろうと考え直したり、もうちょっと人から話を聞くテクニック、心理学的なものもちゃんとしなきゃいけないなと。


石田:

では聞き描きは今後も続けていこうと思っているんですね。


三輪:

はい。占い師形式にして部屋を作って1人しか来られないようにするなど、色々ルールを改良していくと、もっと匿名的だけれど皆が共有できるようなドローイングが描けてくるのかなと思いました。考えることが多いですね。




質疑応答   – 『聞き描き』を誰に届けようとしているのか –



石田:

ありがとうございました。ではフロアから質問いただきましょう。


お客様A:

大変興味深いお話ありがとうございます。作品のお話を伺っていて気になったことが2つあって、欲しいか欲しくないかという話を、皆さんや、モデルになられた土居君や矢野さんの口からも出ていました。

今回、対話ということにすごく重点を置いて、いろんな作品に通じるキーワードになっているのかなと思いながらお話を伺っていたんですね。

で、その対話をしている人たちやモノや記憶というのがあって、それをどこに向かって投げているのか。

それが気になっているのはやっぱり、欲しいか欲しくないかっていう言葉が出てきているということでもあって、伺っている限りだと、哲学で言うところの「適当」といわれるところをつくって、今回の作品は特にそうだと思うんですけれど、皆でそこを喚起しているというところを揺さぶっているのかなと思ったんですが、果たしてそれをどのレンジで投げていこうとしているのかなというのがちょっと気になったんですよ。

すごく近い相手だったりとか、モデルになっている人たちだったりとか、日本という枠の中なのか、そのイメージを持たれているのか持たれてもいないのかというところを聞いてみたいなと。


三輪:

まず、欲しいか欲しくないか問題というのはこの期間中にも話になったんですけれど、描かれた本人、土居君は、自分の思い出に関しては欲しくないかもしれないけれど、例えばまったく違うエピソードの、詳細も知らないけれど出来上がってきたドローイングに関しては欲しくなる可能性はあるという話はしていました。


土居:

その場合は、すごく身近なレンジということですか?対象が身近な人になるのか、他の国の名も知らない人が欲しくなるのかということを意識して表現しているのかというご質問ですか?


三輪:

例えば海外の全然知らない人が・・・という話ですか?


お客様A:

そうです。100年後の誰かがそれをみた時に、作品のバックグラウンドを聞いて面白いと思うかもしれないし、土居君のおばあちゃんが土居君の思い出を買いたいと思うかもしれないだとか、色々な可能性があると思っています。三輪さんがどういうことをイメージしていて、誰に届けたいと思っているのか、それこそ届けたいという思いさえないのかというのが聞きたくて。


三輪:

私は結構、博物館に行った時に、4万年前の化石とか、昔の人がつくったフォークや木彫りの動物などをみて、よく残っているなあと思うんですね。

このドローイングに関しても、やっぱりどの時代の人が見てもある程度何かを喚起するような抽象性を持たせたいと思っていますね。だから今回紙に油絵の具を使って描いているのですが、耐久性のことは勿論頭をよぎりました。先ほど見せた過去作の中で、粘土を使った日記をお見せしましたが、石粉粘土が何年持つのかを電話で問い合わせたり、永久って考えると陶器ですよねとか、漆の作家に聞いて、漆で塗ったら何千年持つのかというような話はしましたね。


お客様A:

そうなると尚のこと不思議になってくるのが、関わった土居君が「欲しいか?」と首をひねる状況になっていることが興味深いなと。

普遍性が欲しいと言っているにも関わらず、モデルになった人が首をひねるというのは、今まで聞いた作品やいろんな話の中ではあまりないケースになっているというのが面白いな、興味深いなと。一番関わったはずの人が「どうか」と思うというのが。

でも土居君も他の人たちのものは欲しいと思ったりすることがあるという、そこに何かがあるような気がします。


三輪:

土居君のもともとの性格もある気がします。


お客様B:

それについて思うのですが、土居さんは自分で描けるんですよね。作家だから。この景色を自分で描くこともできるから、人が描いた自分の景色と違うものをあえて手に入れる必要がないからかもしれない。だからもし、描けない人、自分の風景を表す手段を持たない人を対象にリサーチしてつくった作品なら、違う答えだったのではと。


三輪:

そうだと思います。人によってそこが本当に違ってくると思います。


お客様B:

そう、だから特殊例かもしれないです。


お客様A:

でも、それを敢えて、特殊例を今2個並べているわけじゃないですか。「作家さん」と「作家さん」の思い出を。そこには意図はなかったんですか。


三輪:

はっきり言ってそこに意図はないです。やっぱり、言い訳になるかもしれないですけれど、初めてやることなので、ある程度信頼関係もあって話も通るとなると、ここに呼んでくれたZunzun-planCの人たちかなと。ただ、仰っていただいたことは私も本当に思っていて、美術関係じゃない人から話を聞きたいなと思いますね。

土居君の現場取材中も、屋上の証言を得るために現場に行ったら結局屋上はなかったんですけれど、その向かいに40年くらいやっている美容室があって、そこの人が屋上のあったアパートについて詳細に話してくれたんですよね。こういう建物でこういう歴史があってと。そういう人から話を聞くと、また全然、話し方やこっちの意図の理解のされ方も全然違うんだろうなと。

別の作品でも、今横浜で滞在している黄金町レジデンスで、町内会に「今度こういう作品作るんです」と説明しに行ったことがあったんですけれど、町内会のおじいさんが「うーんなんかよくわかんないけどさあ、こう、ぱーっと明るいもんつくって、楽しませてくれよぉ」とか言うんですよ。そういう、ああ・・・となる感じを乗り越えていけるようにしたいなと思っていますね。ちょっと話逸れましたけどね。


お客様B:

誰に届けようとしているのかということについて、私も三輪さんに聞きたいんですけれど、

もし三輪さんがいらっしゃらない場所でこの作品を展示もしくはネットで配信する際に、その絵の背景にある物語は、テキストでつけますか?つけませんか?


三輪:

これも議論になったんですけれど、結局つけないほうがいいんじゃないかなと。

ドローイングを描くルール、話し合って擦り合わせていったよとか、実際現地に行くこともあるとか、そういう一般的なプロセスだけを文面化して、今後続けて行く場合は絵だけがある状態で、タイトルなどもいらないのではないかなと。

そこからルールだけを知って想像するのが一番いいのではないかと思っています。


石田:

そろそろお時間ですが皆さん他になにかありますか?


矢野:

Aさんの質問に私が答えられるかどうかわからないですけれど、この作品について、いる・いらないっていうワードを雑に出しちゃったなと思ったんです。私がいらなくても、何気ない日常の、三輪さんの言葉を借りると「普通の人が普通の生活をしていることの記録」って、その時代背景をものすごく色濃く示しているというのは今回気付きであったんですね。

だから、もしかしたら私はこの絵はいらないかもしれない。それはどうしてかというと、私がこの時代を生きているから。

私は別に必要としていないかもしれないけれども、後世の人だったり、後世の人とまでは言わなくても、この風景を見ていない人にとってはものすごく興味深かったり考えさせられるものになったりということもあるのではないかというのは、後々気付きとしてあったことをお伝えしておきたいなと思って。


お客様A:

私も写真を撮っていたので、当然そうだと思っているんですよね。誰かが欲しいと思ってくれた瞬間に、表現には最大限の価値が生まれる可能性があると思っていて。でも今回の件に関しては、すごく特殊だなと思ったのが、割とセンシティブな話を聞き出した部分があると思うんですよね。双六で言うところの大きなマスではないかもしれないけれども周辺を彩る部分だったとして、すごく重要な記憶を聞き出していることになっているからこそだと思うんですよね。それを当人が「そんなにでも・・・」という話になっていて、それに言及もしているということが興味深いと思っただけなんで。


矢野:

確かに私もそう思いました。だからこそ「え、なんで、これがそんなに面白いの?」と自覚がないというのは、そこを生きている私たちが、そういう感覚を当たり前のように享受しているからであって、それが別の人、別の環境、別の時代の人たちからみたらものすごく面白いという、そのギャップが、もしかしたらキーなのかなと思ったりもしました。


三輪:

私はもっと、単純に「そうか・・・欲しくないか、もっと頑張らなきゃ」と思ったんですけれど。


お客様A:

きっといろんな可能性があると思っています。そこに答えを急に求める必要性はなくて、ただ単純にもうちょっと検証しても面白いだろうなと。

本当に実力が足りなかっただけなのか、関係性の問題で出てくる人間の心の何かなのかということを掘り下げることに価値があると思います。


三輪:

私も本当に価値があると思っているんですよね。やはり数がもっと必要だなと感じます。美容師が1000人くらい切らないと髪質把握できないように。

多様な引き出し、プロセスを経て、やっと形になってくるから、結構長期的にやらないと花開くまでに時間がかかるなとも思いましたね。ですので、一個だけだとわからないです。


お客様A:

楽しみですね。


三輪:

ですね。いい気がします、すごく。


石田:

今後も聞き描きをやっていくということなので、皆で追いかけていきたいと思います。


三輪:

やりたいですね。ものすごいエネルギー使うんですよこれ。何気に。めっちゃ食べているし、午後ずっと聞いているし。


石田:

皆で差し入れして。


三輪:

14日間やって結構クタクタに。


石田:

しかもこれしかやってないですもんね。


三輪:

休んだら、これからもやります!!となると思います。楽しいです。

今日は本当にありがとうございました。



(本文書き起こし・編集:矢野恵利子)







































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