蓬莱(ほうらい)、蓬左(ほうさ)の由来
https://ameblo.jp/k11m8s7/entry-11127600780.html 【熱田『蓬莱伝説』】 より
<熱田は蓬莱の仙境であり、巨大な亀の甲羅の上にある。>
熱田の地は古来から「蓬莱島」と呼ばれています。
その由来は、波静かな年魚市潟(あゆちがた)に面し、老松古杉の生い茂る熱田の杜が、海に突き出る岬のように見える事から、不老不死の神仙の住む蓬莱島(中国の伝説)に擬せられたからであろうといわれています。
熱田を蓬莱島とたとえるなら、その地底には巨大な亀が横たわっている筈です。
金色の亀の背に大宮が建てられ、首の部分に八剣宮が、頭の部分に上知我麻(かみちかま)神社が、尾の部分に高座結御子(たかくらむすびみこ)神社が建てられ熱田宮を蓬莱島と呼ぶと「熱田宮秘釋見聞」に記されています。熱田の古いお寺の山号に亀がつくのはこのためです。
【熱田蓬莱伝説と楊貴妃】
なぜか昔から、熱田の蓬莱伝説を語れば、この世界三大美女の楊貴妃の名前が出てきます。古くから熱田の地は中国でいう不老不死の島「蓬莱島」とされてきました。こうした伝説は鎌倉時代から書物に記されています。
この伝説は中国の唐の時代に遡ります。中国の玄宗皇帝は野心いっぱいの人物で、東の海上にある日本を侵略する隙をうかがっていました。
この話をいち早く察知した。日本の神々は、一堂に集まり、作戦を練りました。
その結果、熱田大明神が絶世の美女に変身して、玄宗に近づきその美貌で皇帝をたぶらかすという作戦でした。
最初はうまく行っていたのですが、やがて、それもばれてしまい熱田に逃げ帰って来たという話です。
この蓬莱伝説は日本全国にありますが、鎌倉時代以前に遡れるのは、熱田、富士山、三重県熊野市の3箇所です。富士山の蓬莱伝説には、何とあのかぐや姫が登場します。どちらの女性も美しさで男性を翻弄した事は皆さんもご存知ですよね。
さて、この熱田に楊貴妃のお墓(五輪塔)が存在したと言われています。 熱田神宮内の清水社のあたりに、明治の初めごろまで残されていたそうです。
https://www.travel.co.jp/guide/article/17069/ 【スゴすぎる神話と伝説の杜!名古屋「熱田神宮」の特別な神域】 より
伊勢神宮、出雲大社とも異なる厳かな空気の愛知県名古屋市にある熱田神宮。草なぎの剣を御神体とし、天照大神始め五座神を祀る熱田の杜は、スゴすぎる神話と伝説の宝庫です。
熱田神宮本殿裏を巡る「こころの小径」を御存じでしょうか。熱田神宮でも特別に厳かな空気が漂う神域です。数々の神話や伝説が発祥した社を通り、熱田大神の荒魂を祀る一之御崎神社に至ります。神宮にまつわる伝説と「こころの小径」をご紹介します。
「蓬莱(ほうらい)、蓬左(ほうさ)」の由来は、楊貴妃にもつながる
「蓬莱(ほうらい)島」とは中国から見た「楽園」、不老不死の神仙が住む地です。東方の海にあると信じられました。熱田の杜は、美しい松林に囲まれ、海に突き出して見えたことから、古来「蓬莱島」だと考えられました。名古屋には「蓬州」や「蓬左」という呼び名もあり、「蓬左文庫」もあるのです。ひつまぶしで人気の「蓬莱軒」が熱田にあることにも因縁を感じませんか?
そんな熱田に伝わるのが楊貴妃伝説。唐の玄宗皇帝が日本を攻めようとした時、日本の神々が寄り集り協議、熱田の大神が楊家に生まれ、楊貴妃として玄宗皇帝をたぶらかし、日本攻略を思いとどまらせようと決まります。このたくらみは成功しますが、玄宗皇帝は安禄山の乱で楊貴妃を失います。楊貴妃に変身していた熱田大神は、元の姿にもどり、宇津海浦(うつみうら/現在の知多半島内海)まで船で戻り、熱田まで帰りました。そして、楊貴妃のために石塔が供えられたのです。
この石塔の先端の石が、清水社裏の泉にある石(写真)だと伝わっています。この石に3回泉の水をかけると、願いが叶い、この水で顔を洗うと世界三大美人の楊貴妃のようになれるというので、日本人、外国人を問わず、女性が集まるパワースポットです。清水社と泉は、こころの小径入り口からすぐにあります。
本殿、社務所と神楽殿前を通ると、右手に「こころの小径」の入り口があります。小径に沿って、土用殿があります。明治時代まで神剣(草なぎの剣)が奉安されていたお社です。
龍神社と先ほどご紹介した清水社があり、千年の時を超えた楠の巨木が大地を抱え込むように力強い姿で立っています。そして、金網で区切られた制限区域に入ります。こころの小径は、熱田神宮本殿の裏手をゆったりとうねります。うっそうとした杜に霊気が漂い、地面にはウラジロが密生します。平坦な熱田神宮にあって清水社を回り込むと、緩やかな登り。こころおだやかに歩きましょう。
やがて、小径は本殿の真裏へ出ます。更に進むと北西角に小さなお社、一之御崎神社です。熱田大神の荒魂(あらみたま)を祀っています。こころの小径は9:00~16:00のみ参拝可能ですが、撮影制限表示がありますので注意しましょう。
一之御崎神社から本殿の西側を通り本殿前に戻ります、まっすぐに伸びた道に荘厳な空気が流れています。
一之御崎神社(いちのみさきじんじゃ)の参拝をすると、熱田神宮本宮の西側を通り本殿前にでます。熱田神宮には、境内に本宮、別宮一社、摂社八社、末社十八社の二十八社あります。境外にも摂社四社、末社十三社あり、境内・境外合わせ四十五社あります。
本宮は、熱田大神である草なぎの剣を御霊代(みたましろ)とする天照大神を祭神とし、以下五柱を相殿神(あいどのかみ)として祀ります。
天照大神(あまてらすおおみかみ)
素戔嗚尊(すさのおのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
宮簀媛命(みやずひめのみこと)
建稲種命(たけいなだねのみこと)
素戔嗚尊は、天照大神の弟、日本武尊は、天照大神の子孫で十二代景行天皇の皇子。従い、この三神は大和朝廷に関わる神々です。
宮簀媛命は、日本武尊の妃。建稲種命は、宮簀媛命の兄。この二神は尾張氏の祖先です。建稲種命は、日本武尊の東征に副官として従ったといわれています。尊と命を分けているのは、命が尊にお仕えした関係です。草なぎの剣を打ち振った日本武尊を中心として五神のつながりが分かります。
熱田神宮の「五座の大神」とは
熱田神宮南門(正門)の左側にある上知我麻神社(かみちかまじんじゃ/写真)。祭神は、乎止与命(おとよのみこと)で、宮簀媛命と建稲種命の父です。一方、熱田神宮北西の角に下知我麻神社(しもちかまじんじゃ)があり、祭神は、真敷刀俾命(ましきとべのみこと)で、乎止与命の妃、宮簀媛命と建稲種命の母。下知我麻神社は熱田神宮西門から一旦境外へ出て、神宮横を北上しお参りします。
本宮の祭神、上知我麻神社、下知我麻神社に祀られる尾張氏の四柱の存在が、大和朝廷への貢献が大きかった事がうかがえます。
http://network2010.org/nc400/tokugawa/hosalibrary.html 【蓬左文庫】より
家康の蔵書を今に残す「蓬左文庫」
※以下の文章は上の動画から書き起こした内容です。
御文庫(明治初年)。18世紀初頭、名古屋城二の丸庭園内に建設された書物蔵。
御文庫(明治初年)。18世紀初頭、名古屋城二の丸庭園内に建設された書物蔵。
― 蓬左文庫の名前の由来
蓬左文庫のホウサというのは江戸時代の名古屋の別称です。蓬というのはヨモギですが蓬来の宮を指す言葉です。左というのはひだりなんですが、左方ないし周辺という意味がありまして歴史ある熱田の宮の周辺に出来た新しい町ということで名古屋を洒落て呼んだのが蓬左という意味です。
名古屋城のことも蓬左城と言ってましたので、その蓬左城に伝えられた書物を所蔵する文庫ということで蓬左文庫と命名しました。東京の尾張徳川家の屋敷の中で(昭和10年)開館しました。
展示されている「駿河御譲本」の河内本源氏物語
展示されている「駿河御譲本」の河内本源氏物語
― 御文庫の基礎となった「駿河御譲本」
名古屋につきましては現在の場所になるんですが、大名道具を中心とした徳川美術館が昭和10年のほぼ同じ時期に開館しています。尾張徳川家の蔵書を中心として優れた日本や中国、朝鮮の書物を所蔵している文庫ということが言えます。蔵書の中心になっておりますのが、尾張藩時代の御文庫ということになります。御文庫というのは藩主の蔵書なんです。
その基礎を築きましたのは初代の義直という人物で、徳川家康の九番目の息子になります。家康の文化的な面を一番受け継いだと言われている人物なんですけれども、自身でもいろんな書物を収集したりもしています。文庫をつくるに当たって基礎とした中心が父親から譲られた書物ということになります。これは「駿河御譲本」という風にいうんですが、なぜかといいますと家康は晩年に駿河に隠居をしております。50代以降に書物の収集などにも非常に積極的にかかわりました。
書物の収集に積極的だった徳川家康
書物の収集に積極的だった徳川家康
特に武家がつくった最初の文庫と言われる金沢文庫の蔵書であるとか、秀吉の行った朝鮮出兵で日本にだいぶん入ってきたと言われているお隣の朝鮮半島の李朝で作られた技術の高い金属活字印刷の出版物であるとか、当時としての最高レベルの書物を集めていたわけです。
隠居するに当りまして自分のお気に入りの物を持って隠居しまして、大体1万冊あったと言われていますが、(それを)駿河文庫といっていたわけです。亡くなりましたときに江戸と御三家に分けられまして、義直に対して約3000冊を遺品として渡したということになります。非常に貴重な資料が入っていまして、それを中心に初代藩主義直は尾張藩の文庫の基礎を作っていったということになります。
閲覧室ではコンピュータを使って蔵書のカラー画像を見ることができる
閲覧室ではコンピュータを使って蔵書のカラー画像を見ることができる
― 将来の市民、研究者のために出来るだけ良い状態で残していきたい
重要文化財になっているものなんかを、そうそう皆さんに手にとって見ていただくわけにはいかないのでカラー画像で見ていただいたり、絵本のようなものも出来るだけカラー画像を整備してご覧いただけるような事を考えています。
今の市民の方だけのものではないので、将来の市民、研究者のために出来るだけ良い状態で残していきたいという事なので、保存を考えつつ、より深い研究なり調査なりをしていただけるようなシステムにしていきたいと考えております。