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生の詩人 金子兜太 ④

2018.04.03 10:40

http://kuuon.web.fc2.com/SEINOSIJIN/SEINOSIJIN.131.html 【〈生の詩人 金子兜太〉】より

261

ぼたん雪家籠る少年の声なり 

ぼたん雪家籠る少年の声なり    皆『む』S61~63

 ぼたん雪が降っている。家籠る少年の声がする。また、降っているぼたん雪そのものが家籠る少年の声であるというような言い方。ぶたん雪の持つ雰囲気がある。草田男の「降る雪や明治は遠くなりにけり」は降る雪と時間覚との交錯であったが、この皆子句の場合はぼたん雪と聴覚の交錯である。そしてその音声が家籠る少年の声であるから、作者の人間への思いというものがこの句にはある。

262

旅の椅子春の入江がここ

まできている

旅の椅子春の入江がここまできている  皆『む』S61~63

 「旅の椅子」という言葉によるイメージの広がりが大きい。旅行をしていてたまたま一つの椅子に腰掛けているという状況であるが、これはそのまま私達の生のあり方そのものの状況であるという感慨がわく。そしてその旅の椅子のところまで春の入江が来ているというのである。とても広くて明るい生の感じ方がある。

263

わが最南端あおぶ鯛の幸の瑠璃色

わが最南端あおぶ鯛の幸の瑠璃色  皆『む』S61~63

 若い頃、トカラ列島の諏訪瀬島に滞在していた時にこのアオブダイを見たことがある。見ただけでなく食べたこともある。図鑑で見てみるとこのアオブダイにはその内臓に毒があるそうで、あの時仲間みんなで夜中酷い下痢をしたのはこのアオブダイの所為だったのかもしれないと思い出している。仲間というのはあの時代(1960年頃)のいわゆるヒッピー連中で、プリミティーブな生を求めて諏訪瀬に住んだことがあるのである。現在でもその続きで諏訪瀬に住んでいる人もいるのであるが、とにかく真面目で懐かしい人々であり時代であった。

 この句を読むとあの諏訪瀬の事が思い出される。あの時代は「わが最南端」でありまた「幸の瑠璃色」であったとも思えるのである。打算というものが無くまた組織的でもなく、いわば人間のハートの無垢の力だけを信じていただけの時代であったような気がする。

       アオブダイ

http://sumomokarin.blog57.fc2.com/blog-date-20060713.htmlより

264

白い雲蒲の穂などつかまえている

白い雲蒲の穂などつかまえている   皆『む』S61~63

 ちょっと散歩に出かけた時のやさしい風景スケッチといったところ。ノートの片隅にちょっと鉛筆でスケッチしたという感じのものであるが、その描線にはやさしい魅力がある。

265

むしかりの白花白花オルゴール

むしかりの白花白花オルゴール    皆『む』S61~63

  〈白花白花〉は[しろはなしろはな]とルビ

 この句集『むしかりの花』という題はこの句に由来するものだそうである。そしてそれだけに皆子句の良い特徴を持っている気がする。頭を疲れさすような意味は全て削除されていて快い韻律に近いものだけがある。むしかりの花の呼吸と作者の呼吸がぴったりと合っているという感じである。大げさに言えば主客合一あるいは天人合一ということの具現である。宇宙は一つのリズムでできている、そしてむしかりの花も作者もそのリズムに溶け合っているという感じであろうか。

266

鶫旅立つ朧月夜の朧の躯

鶫旅立つ朧月夜の朧の躯    皆『黒』平1~8

 『むしかりの花』の次の第二句集『黒猫』の鑑賞に入ったのであるが、この句集は平成九年の四月に上梓されている。昭和の残りの句も少しはあるかもしれないが、ほぼ平成に入ってからの作句とみていいのではなかろうか。それで取り上げる句の後ろに〈皆『黒』平1~8〉と付けることにした。

 皆子さんはこの平成九年の二月に腎臓癌ということで入院手術している。そしてその闘病生活の中で作られた句集『花恋』がある。したがってこの句集『黒猫』は死の病が発見される前の、そしてまた若い頃よりは落ち着いたであろう生活の中での比較的に穏やかな感情の句集であると推測するのであるが、読み進めてみたい。

 朧月夜に自分は朧の躯を持っている、そして鶫は旅立ってゆく。まさに自然に溶け込んだ常住坐臥の有り様であると言えないだろうか。そして逆に僅かではあるが、魂の飛躍に対する憧れのようなものが隠されているような気がしないでもない。何故そんな気がするのかと言えば、あの『花恋』での魂の飛躍と呼べるようなものを私が意識しているからかもしれない。

267

雪柳白く斜なり夫の休息

雪柳白く斜(ななめ)なり夫の休息   皆『黒』平1~8

 「雪柳白く斜なり」と「夫の休息」が何処かで響くので頂いた。多分この夫が兜太であるということも私の中で響いてくる要素であろう。あのたっぷりとした体つきやバイタリティーの固まりのような印象と雪柳がそぐわない感じ。しかしその内面の芯の部分ではとても雪柳がそぐう感じ。また「白く斜なり」というのもそぐう感じで言い得ている。一般的にも、雪柳が白く斜に咲いている、そして夫が休息しているという図は、一つの満ちた時間として絵になっている。

268

中空や桐の花抱えきれぬ律子

 義妹金子律子急逝

中空や桐の花抱えきれぬ律子      皆『黒』平1~8

 死んだ人の魂が天あるいは空の向うに行くというのは、死に対して私達が抱く観念の一つとしてかなり一般性があるのではないか。空という何も束縛がない自由な感じや、空の向うといえば何か理想的な国があるような感じが人間の気持ちに合うからではなかろうか。したがって親しい人が死んだすぐ後にはその人の魂は中空にまだ有るという観念も当然起る。中空に咲くたくさんの桐の花を見上げた時に作者は義妹のことを感じ、またたくさんの桐の花があたかも義妹の魂を祝福しているように感じたのではないだろうか。

269

星から来て

 今は句集『黒猫』の第一章(六十句)を読んでいるのであるが、この第一章(六十句)は冒頭の十一句に続いて〈星から来てー北京・西安・蘇州・上海旅吟〉と小題のある四十九句が続く。旅吟ということもあり、また皆子さんのこの時分の在り方がなせる業でもあるかもしれないが、いやもしかしたら皆子さんの生涯にわたる在り方かもしれないが、この〈星から来て〉という小題が相応しい感じがするのである。星から来た人が目にする事物を書き留めてゆくと、こんなふうになるのではないかと思うわけである。皆子さんの在り方と書いたが、実際にはこの〈星から来て〉というのは私達全てに言えることかもしれない。星から来て私達はこの日この時この場所を旅しているという感じかたは、物事に捕われないで客観的に生きて行くための有効な一つの人間存在の見方である。人生は一つの旅。そしてその間に記録するあらゆることは旅吟にすぎないとも言える。

270

家鴨小屋の白濁も見え鉄路の音

 さてこの〈星から来てー北京・西安・蘇州・上海旅吟という小題の最初の句は

家鴨小屋の白濁も見え鉄路の音     皆『黒』平1~8

である。印象としてはスナップ写真である。しかしかなり見るアングルの確かな写真家のそれであるという感じである。旅人であるから、そこにはどこか自分とは遠い世界の事物を写し取っているという印象があり、しかしまたその風物を読者に思い浮かばせる描写力がある。大体においてこのような印象の句が続く。冒頭の数句を並べてみると

麻打ち洗う運河暗緑の旅なり

透き徹るようだ水牛に麻の花

腰丈の朝草を刈り流離もあり

鉄路歩くも習慣のように草のように

櫓は足で草積む舟のゆく運河

木陰ありて水影があり舟繋ぐ

となる。中国大陸の風物と星人(ほしびと)としての作者の気持ちが織り成されている織物を眺めるようでもある。

271

夫の眠りの青い水鳥水草に 

夫の眠りの青い水鳥水草に     皆『黒』平1~8

 中国大陸旅行同行の夫を眺めている。「夫の眠りの青い 水鳥水草に」と切って読むと解りやすい気がする。金子先生は皆子夫人とともに中国が好きだということを聞く。その中国旅行。中国旅行とは限らないかもしれない。私の感じとして兜太には旅が似合う。私の限られた俳句を読むという行為からしても旅の匂いのする俳人は限られている。どこかしら旅の匂いがしないとその俳人を読んでいて息が詰まる感じがある。そういう意味で芭蕉などは好きなのであるが、しかし芭蕉には土の匂いというものはあまりしない。土の匂いと旅の匂いの両方を感じさせてくれる俳人は真の意味で金子兜太くらいしかいないのではないか。一茶もそうだと言えばそうであるが、その旅の意味が少し違うし、また土の匂いもネガティブなところがある。そういう意味で金子兜太は私にしてみれば全一的な感じがするのである。話は少し逸れたが、その旅の似合う夫である兜太の旅での眠りを「青い」という感じで受け取り、また「青い水鳥水草に」という感じで受け取ったのではないだろうか。つまり旅にある兜太は水草を得た水鳥のように精気がある感じなのではなかろうか。

272

少女はひとり水草に寄る静かな舟 

少女はひとり水草に寄る静かな舟    皆『黒』平1~8

 とてもいい句だ。好きな句だと言ってもいい。こんな地球であったら、と思う。こんな抒情であったら、と思う。こんな映像に出会いたい、と思う。単なる旅吟を越えている。いや、旅吟として最上質のものだ、と思う。

273

旅行をするなら 

 私も妻も結婚してかれこれ四十年近くになろうとするが、いわゆる旅行というものに行ったことがない。行きたいのに余裕がないというのではない。そもそもそんなに旅行の欲求を感じないのである。確かに現実の生に常に追われてその余裕がないのかもしれない。だから日曜や休日という観念さえも殆どない。偶には、旅行をするとしたら何処に行きたいかなどと話すこともあるが、それも単なる楽しい会話としてだけで終るのである。そういう会話の時には、私は常にインドだとか中国だとかの田舎のような場所を言うのであるが、その意識は何か人間の一つの原郷あるいは原風景に出会いたいというようなものがあるからに違いないのである。金子皆子さんの中国旅吟を読んでいるのであるが、そういう旅行つまり私の頭の中だけにある旅行で私が出会いたいと想っている風景に近いものがある。桃源郷という言葉さえ浮かんで来る。

土の家桃花鳥(とき)いろの薔薇に陽は跳ぶ 皆『黒』平1~8

芙蓉の土に水を流して朝濯ぎ          〃

鶏一羽老婆と草に動かぬは佳し         〃

木槿花群鉄路いくつも横切りし         〃

柳絮舞いわれらを直(ひた)に遠ざかる      〃

養蜂家族いま紫の野花に暮す          〃

茘枝甘し車窓の憂い食べてしまう        〃

ユーカリに凭(よ)る女(ひと)若し籠を置き    〃

西瓜喰むユーカリ野面石獣たち         〃

西瓜山積み野積み山積み子ら遊ぶ        〃

桐の木に桐の実煉瓦の家づくり         〃

鈴懸の並木ウイグルのメロン売り        〃

小声あり瑠璃壷とならぶ青林檎         〃

大墳墓の草山のみち小麦干す          〃

桃花鳥(とき)いろの絹も炎天も素朴       〃

274

星からきてポプラ並木の白桃売り 

星からきてポプラ並木の白桃売り    皆『黒』平1~8

 この中国旅吟のタイトルにもなっている〈星から来て〉という言葉はこの句から来ているのであろう。星から来てポプラ並木の白桃売りに出会ったとも取れるし、星から来てポプラ並木で白桃を売っている(人物)とも取れる。素直に読めば後者だろう。白髪の老人が白桃を売っているというような状況を考えればいかにもそれらしいが、いずれにしろ星から来たような感じを受ける人物だったのかもしれない。多分作者の無意識の中にある、自分は星から来たという表現がある意味適切であるような感覚の投影が、この白桃売りを星から来た人物であるという感覚を起させたと見るのが当りかもしれない。時折、この人は星から来た人だという感覚を抱かせる作家がいるのではないか。海程の田口満代子さんの句集を読んだ時などはそんな感じを抱いた。皆子さんにしても『花恋』などに見られる激しい希求は自分の古里である星を無意識のうちに恋い焦がれていると見ても理解できるものがある。

275

魚想いいたり藹々とポプラ被る 

魚想いいたり藹々(あいあい)とポプラ被る  皆『黒』平1~8

 ポプラ並木の下を仲間と歩いている。木洩れ日があるような雰囲気もある。自分たちは魚のようだというような感覚が起る。自由に群れてこの気持ちの良いポプラの樹々の下を泳いでゆくようだ。「藹々(あいあい)とポプラ被る」という表現がその音韻の楽しさも含めて魅力がある。

276

大揚子江はらからという混沌 

大揚子江はらからという混沌       皆『黒』平1~8

 「はらからという混沌」で頂いた。「大揚子江」というのは置き換えられる可能性がある気がする。というのも私は自分の経験から「ガンジス河」に置き換えて鑑賞しているからである。ガンジス河も揚子江もそこに暮す人間にとっての在り方は本質的に変わらないのではないかと思うのである。大河であり、そこに暮す人間にとってはもう殆ど生活の大部分である。洗濯も炊事もするだろう。飲み水でもあるだろう。田や畠を潤す水源でもあるだろう。船による交通の手段でもあるだろう。沢山の沢山の祈りも捧げられるだろう。時によっては墓場となるかもしれない。人間の歴史以前から在り、人間の歴史の後にも存在するに違いない悠久の大河である。そういう大河を見て、「はらからという混沌」と言っている。とても解る気がするのである。はらからは兄弟姉妹親類縁者の事であり、また人類全体の事でもあるのではなかろうか。

277

人は水にも楊柳にも似る涙湧き

人は水にも楊柳(やなぎ)にも似る涙湧き   皆『黒』平1~8

 アニミズムに支えられた旅愁。そんな言葉が思い浮かんだ。旅愁なのであるが、藤村の

小諸なる古城のほとり   雲白く遊子悲しむ

緑なすはこべは萌えず   若草も籍(し)くによしなし

・・・・・・・・・・・・

あたゝかき光はあれど   野に満つる香も知らず

・・・・・・・・・・・・

濁り酒濁れる飲みて       草枕しばし慰む

というような感傷ではない。また鴨長明の

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。・・・・・

というような無常感でもない。

 藤村にしても長明にしても自然との分離感があるからどこか悲しく体の芯が蒼ざめてくる感じがあるが、皆子句の場合は自然との分離感が無いから悲しくはなく、したがって体の芯のところで温かい感じがある。

278

わが北に大観覧車あり弥生

わが北に大観覧車あり弥生     皆『黒』平1~8

 この句集『黒猫』の第二章の冒頭の句である。自分の北に大観覧車があって、そして季節は弥生である、というのである。北という方向は私には私達が向かってゆく方向、あるいはいずれ行かなければならない方向であるという気がするのであるが如何か。南は下るという感じ、リラックスするという感じがあり、西や東は意識の水平移動であるという感じがある。北へ向かうということは登るという感じ、未だ未知なるものへの道程であるという感じがある。まだ行ったことのない所、そして何もない空虚な場所であるという感じもある。そういうようなことを考えながらこの句を読んでいるのであるが、作者は自分の北の方角に大観覧車があると言うのである。実際にそういう事実を書いたのかもしれないが、この意識は非常に若々しいのではあるまいか。「弥生」と言い切っているのも心の弾みの現れである気がする。

279

春銀河兄と弟のもの昔

春銀河兄と弟のもの昔        皆『黒』平1~8

 俳句という形式はやはり不思議な形式である。こんなに小さくそしてこんなに大きい。「兄と弟のもの音」という身近で何でもない些細なこと、取るに足りないとさえ言えるような小さな事が宇宙の事象にも匹敵するような事なのだという詩的事実に気付かせてくれる。・・・と鑑賞を始めたのであるが、この句は「もの音」ではなく「もの昔」となっていることに気が付いた。さあどうしよう。実際「春銀河兄と弟のもの音」というのも捨てがたいのであるが捨てるとしよう。

 あらためて掲出句の鑑賞。

 これは春銀河の下で、兄や弟と暮した昔を懐かしんでいるという風情である。春銀河の持つほのぼのとした詩情が、兄と弟のものを見て昔を懐かしんでいるという内容にとてもよく合っているのではないだろうか。

 女性というのは身近な人間の関係性の中に生きる度合いが男性よりも強い。もし両句に共通性があるとすれば、そういう女性の特性が現れているということである。

280

令 法の花の次ぎ次ぎ零れ髪白し

令 法(りょうぶ)の花の次ぎ次ぎ零れ髪白し  皆『黒』平1~8

 令 法の花が次々に零れるように自分も歳を取って髪も白くなってしまったなあ、という感慨もある。そしてまた、令 法の花の白があたかも髪を白くしたというような令 法の花とのいのちの交感もあり、このほうがむしろ全面に出ている感じである。いずれにしろ自然のいのちと自分のいのちの交流感が魅力である。令 法の花であるというのが相応しい。

281

眠りこけてゆく雲蓮の花が咲き 

眠りこけてゆく雲蓮の花が咲き    皆『黒』平1~8

 天国だとか浄土だとか、そんな所に居るような気がする。綺麗でもあり何の問題もないようであるが、退屈で眠い。天国だとか浄土だとかはこの世でのもろもろの苦しみの対極として人間の心に宿るものであるが、実際全ての苦痛や問題を避けるような形で人間が想い浮かべる天国や浄土というものは退屈で眠いだろう。人間の生の途上でもこのような時間は訪れる。生におけるあらゆる厄介な問題や苦痛が遠ざかっているような時間である。金子皆子さんにおいても、そのような時間だったのではないだろうか。この句集『黒猫』の後には病や死と直面せざるを得ない時期がやってくるのであるが、そのことなどを考えながらこの句を読んでいると、ある意味では幸せな退屈な時間だったのではないかなどと思えるのである。

282

抱きかかえ童女は重し霧螢 

抱きかかえ童女は重し霧螢    皆『黒』平1~8

 「抱きかかえ童女は重し霧の中」と「抱きかかえ童女は重し霧螢」の違いを考えている。「霧の中」なら多分そういうような句はたくさんあるだろうし一般的な感じである。「霧螢」となると単なる一つの場面を描いたばかりでなく、いのちへの親近感がより強く感じられる。つまりそこに作者の主張がある気がする。一般的に俳句のつまらなさは、そこに主張がないからである。あったとしても僅かに匂うようにあるのみであり、しかしそれが俳句の良さであるというのがある程度固定した俳句観なのではなかろうか。この俳句の一般性、つまりあまり主張を入れる必要がないということ、が多くの人が作りやすいということで、手軽な遊びとして俳句人口が多いのかもしれない。それはそれで良いことではあると思うが、俳句を続けていく上に於ては、自分の主張を俳句に込められるようにならなければ、結局は俳句というものに飽きてしまうだろうし、俳句は飽きられてしまうだろうと思うのである。反論としては、他人の小主観を聞かされるのはうんざりするというものがある。これは非常に解ることである。だから戒めとしては、自分の主張を表現しないという方向ではなく、自分の主張が小主観ではなく普遍的なものであるかどうか、あるいは自分の主張が普遍的なものへのベクトルを持っているかどうかを検証することではないだろうか。例えばこの句においては、霧の中の螢という希有で大切なものの感じが童女を抱きかかえるという行為の時の心持ちに響いて、全体としてとても大切ないのちに対峙している、あるいはいのちへの尊敬、いのちの尊厳、そういうものを私は大事にしていますよ、という主張である。この主張あるいはこの感じ方は確実に普遍的なものへのベクトルを持っている。少々論が難しくなってしまったかもしれない。

283

透明ガラス恐し虎杖の花の白浪 

透明ガラス恐し虎杖の花の白浪    皆『黒』平1~8

 〈八甲田山 三句〉と前書のある一句目

 解らないながらも魅かれる句である。「透明ガラス恐し」というのがそういう心理的な経験を持ったことがないから解らないのである。また「虎杖の花の白浪」がとても美しいのである。そしてもしかしたら「虎杖の花の白浪」の美しさを引き立てているのは「透明ガラス恐し」という言葉なのかもしれないとも思うのである。二元対立の美しさとでも言えようか。最近久しぶりにドストエフスキーの『白痴』を読んだが、あのナスターシャの美しさというのは二元対立の美しさなのではないかなどとこの句を読んで思ったりしている。ナスターシャばかりでなくあの小説に登場する人物は全てその美しさも醜さも面白さもこの二元対立ということから出てくるのではないだろうか。人間精神の深淵であると同時に悲劇的なものも含まれてくる。どうしようもない美しさ。『白痴』の主人公であるムイシュキン公爵の茫然としてしまう心が解るような気がしてきた。

284

海鳥千羽面影が降る野萩が降る

海鳥千羽面影が降る野萩が降る    皆『黒』平1~8

  〈八甲田山 三句〉と前書のある二句目

 前書との関連が解らないのであるが(つまり八甲田山に海鳥がいるのだろうか)、「海鳥千羽」を目の前にして「面影が降る野萩が降る」というように解すれば、それはいわば映画の一つの回想シーンのようであり、大きな迫力のある大画面が見えてくる。1977年の映画に「八甲田山」という映画があったが(私は見ていない)、その映画と関係あるのだろうか。八甲田山というのは青森市の南側にそびえる火山群の総称であるのだそうであるが(私は行ったことがない)、それとの関連が解らないと正確には鑑賞できないのであろうが、この映像感が魅力的なので頂いた。

285

赤のまま眠り大熊座小熊座

赤のまま眠り大熊座小熊座    皆『黒』平1~8

 メルヘンの世界の一情景のような雰囲気。

 わが家では今、妻の母が来て滞在している。認知症とまではいかないが物忘れは激しい。そして子供のような感情になってきている。些細なことですぐに泣いたりするのである。そして私の妻の自然への感受性はこの母から受け継いだのではないかと思えるくらいに自然への感受性が強く、しかもそれが純粋になって来ているようにも思える。山を見ては「きれいねえ。きれいねえ」と私などから見ると大げさなくらいにのべつ言う。別にそんなにきれいな山でもないのである。朝早く起きてしまった時などは窓から見える山をじっと見ている姿が印象的である。そんな義母のことをこの句から連想したのであるが、それは「赤のまま」という言葉に「赤ん坊のまま」という連想が働いてしまったからである。妙な鑑賞ではあるが、童心ということに関してはこの句の持つものと義母の状態というのはそんなに外れてはいない。

286

白髪増え一日柿むきなど嬉し

白髪増え一日柿むきなど嬉し    皆『黒』平1~8

 この句を読んでまた、わが家に滞在している義母のことを思う。義母はほぼ金子皆子さんと同じ年代である。この年代の人に共通するのかどうかは知らないが、とにかく何か仕事をしていないといられない。仕事をしていれば御機嫌である。世話をしている妻に「何か仕事はないか、何かやることはないか」と常に言っている。身体が弱っているし頭の働きも弱っているので、義母に出来ることを探すのに妻も工夫が必要である。それで簡単な編み物とか織り物とか繕いものとかをやってもらっている。そういえば今年は小豆の皮剥きは全て義母がやってくれた。小豆は手で一つ一つ皮を剥くととてもきれいに剥けるのでとても助かった。そして義母は特にこういう仕事が好きなようである。つまり趣味のようではなく生産的な生活にかかわる仕事である。考えてみれば義母の生涯の殆どは働きづめの生活であった。妻の実家は魚屋であり、かなり手広く商売をしていたので常に忙しい家であったのであるが、その中でも特に義母は寝る時間もないほど長時間働いていたように私には見える。そしてそのことが苦痛とかではなく実は義母の生の張りになっていたのだということが今にしてみれば解る気がするのである。だから義母はいわゆる働き者なのであるが、逆に言えば何もしないで居ることが出来ないという欠点もある。違う言い方をすれば自分で主体的に仕事を見つけることが出来ないという欠点である。一言で言えば創造性の欠如ということなのであるが、実はこれは義母一人の問題ではなく多くの人が抱えている問題なのではなかろうか。そういう意味で、自分を表現する手段つまり創造性を解放する手段としての一つの媒体である俳句というものに出会った金子皆子さんは幸運だったのではないだろうか。

287

夢のような

 〈中国 春 三句〉と前書のあるうちの一句

春の水汲む胡桃林に住む娘らか      皆『黒』平1~8

風に移りゆきしは藁雀(あおじ)梨の花      〃

陽の蛇を見たり木槿を下りてゆく        〃

肋骨骨折百日紅の花期永し           〃

 〈モロッコ 七句〉と前書のあるうちの一句

果てしなきオリーブの山をゆく旅愁       〃 

 『黒猫』の第二章の末尾の句をいくつか拾ってみたのである。金子皆子さんの句を読もうと私が思ったのは、皆子さんが金子先生の伴侶であるということもあるし、またあの『花恋』における死や病や孤独というものに直面した時の句に大層魅かれたからであるが、この『黒猫』も『花恋』の前奏として読んでいる意識が常に私の中にはある。人間誰しもにやって来る死という現実に直面する以前の生における夢のような幸せな一つの時間の流れというものを感じる。もっとも、夢のようなという観点から見れば、金子皆子さんの生涯は、『むしかりの花』や『花恋』の時期も含めて全て夢のような彩りがあるのではあるが。

288

黒猫逝きおだまきの花の次ぎ次ぎ

黒猫逝きおだまきの花の次ぎ次ぎ     皆『黒』平1~8

 一つのいのちともう一つのいのちの親密な関係。むしろ大きな一つのいのちの中にこれらの個々のいのちは生々流転している。黒猫のいのちもおだまきのいのちもひとつである。このおおきないのちの中でさまざまな色彩をともなって個々のいのちは生成消滅流転している。

 昨日のNHKのクローズアップ現代で、日本では今餓死者が増えているということを話題にしていた。一人の五十代の男性は病気で働くことが出来ない。その彼は生活保護を体よく断られたということで餓死した。それまでは野草などを食べて生きていたらしい。手記には「おにぎりが食いたい」「もう二十日間米を食っていない」というようなことが書かれていたそうである。他方では飽食の時代である。テレビでは愚かとも言えるようなグルメ番組が盛んである。またダイエットへの異常なまでの興味の蔓延。このアンバランス、このいのちの繋がりが断ちきれているような状態。多分この現象は日本だけのことではなく世界の現象であるのかもしれない。また人間だけのことではなく地球のことでもあるのかもしれない。悲観的にならざるを得ない。

 この皆子句と同じ時の兜太には次の句がある

きぶし蕾み老猫逝きぬ皆泣きぬ    『両神』     

 噛みしめたいものである。

289

ブーメランに少年二人あり惜春

ブーメランに少年二人あり惜春    皆『黒』平1~8

 この「惜春」には逝く春を惜しむという感じ方から始まって、輝かしい少年の日々を惜しむというニュアンスが強く加わってくる。また作者の年齢や行方を考慮に入れて読むと、この生の日々そのものに対する惜別の情のようなものを私は感じてしまうのである。この生きている日々が惜しくて惜しくて、また愛しくて愛しくて堪らないということは誰にでもあるのではないだろうか。

 またこの句の場合「惜しむ春」や「春惜しむ」ではなくて「惜春」と言い方がとても相応しいように思う。句全体の切れの空間が大きく存在してくるし、またその空間には沈黙が満ちている。「ブーメランに少年二人春惜しむ」などと比べれば一目瞭然である。この句の読後感における沈黙あるいは空(くう)の感じは存在的である、と言えるような質の高いものである。

290

青竹一本積み悠々の手漕ぎの舟

青竹一本積み悠々の手漕ぎの舟    皆『黒』平1~8

 〈金鳳花ー中国旅吟ー〉と題された一連の句の中の一句

 私は中国へ行ったことがない。外国といえば約三十年前にインドへ行ったのみである。現在では中国もインドも経済発展が著しいと聞くので、とても昔のようではないのかもしれない。昔のようというのは、時間が流れていないような、時間が過去現在未来と流れているのではなくただ大きな現在がゆったりと流れているようなそんな時間の流れであるような、インドや中国はもう見つけることができないのかもしれない。やむを得ないと思いながらも残念でもある。この句はそのようなゆったりとした時間が流れていた時代の中国やインドを思いださせてくれる。「青竹一本積み」という描写がそうさせてくれる元である。

291

聡明さ

水牛立つ朝の棉摘みは星摘み    皆『黒』平1~8

木槿の花に土の家君ら聡明        〃

青年よ汝は鵲星の鳥           〃 

 〈金鳳花ー中国旅吟ー〉と題された一連の句の中の三句

 これは並んでいる三句である。特に同じ題材を描いているのではないが、物事を見る作者の目の位置にある共通性を感じるので、まとめて取り上げた。そのキーワードは「聡明」ということである。ラジニーシが言っている、「私は聡明な学者や知識人に殆ど出会ったことがない。引き換えて聡明な農夫や大工などにはたくさん出会った」と。たくさんの専門知識をあやつる学者や知識人というのは一見物事を深く理解しているように見え、偉そうにも見えるのであるが、本質的には愚鈍な人が多いのである。それに引き換え、いわゆる手で仕事をする人々、純朴そうに見える人々の中にはその顔に聡明さの光りが宿っていることが時々ある。聡明さというのは知識の集積からは得られない。聡明さとは、物事に対する直感力でありまた物事に創造的に対処してゆく能力であり、また勇気である。二句目からはそういう人々の顔が見えてくる。そういう人々は一句目のように神話的な世界に住み得る。そして三句目のように未来への若々しい力が宿るとすれば、彼等にこそ宿るのである。

292

野の電車空席に昼顔が咲いて

野の電車空席に昼顔が咲いて    皆『黒』平1~8

 野そのものを電車と見立てて、その空席に昼顔が咲いているという解釈と、空席に昼顔が咲いているような電車ということを夢想している、という解釈ができる。どういう筋書きだか忘れてしまったが、以前私はエンジンルームが花園になっている自動車というものが登場する童話を書いた記憶がある。どういう心持ちでその童話を書いたのかも忘れてしまったのであるが、この句を読んで、そういうことを書いたことを思い出した。エンジンルームが花園になっている自動車とか、空席に昼顔の咲いている電車だとか、実際夢にでも見そうな話であるし、明るい超現実というような雰囲気を持っている。

293

浜梨の実に歯を当てむ鳥のメルヘン

浜梨の実に歯を当てむ鳥のメルヘン   皆『黒』平1~8

   〈ドイツ行 二句〉と題された句の中の二句目

 「わたしは鳥・・浜梨の実に歯をあてむ」と皆子さんは半分鳥になっている。そういうふうに心の中で戯けたわむれている。「鳥のメルヘン」という結び方に軽い快い戯けを感じるのである。〈ドイツ行〉という前書を考え合わせると、「わたしは渡り鳥だわ・・」というような旅特有の解放感も感じる。

294

くるぶし草紅葉くるぶしの佛さま

くるぶし草紅葉くるぶしの佛さま   皆『黒』平1~8

 全体にくすぐったいような楽しい気分になってくる。草の中に足を投げ出して座っている。季節は秋で草紅葉している。その中に自分のくるぶしがある。白くて可愛らしいくるぶし。そこで作者は「くるぶしの佛さま」と言ってみたくなる。可愛らしいリズム感が快い愛すべき小品。

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人を得て硝子戸桃の花の映

人を得て硝子戸桃の花の映     皆『黒』平1~8

 「人を得て」という一見奇妙な言葉遣いに引かれた。この言葉によって一つの不思議な世界感覚に引き込まれた。私は何時も自己中心的に世界を見ている。自分が世界をどう見るか。自分と世界との関係は何なのか。そしてそもそもこの自分というのは何なのか。このように常に自己中心的である。しかしこの句においてはこういう自分というものの外側から世界を眺めているという感じがある。幽体離脱というような言葉さえ思い浮かんで来る不思議な感覚であり、乾いた感覚である。

 私は「人を得て」の「人」はすなわち作者自身のことであると取って感じていたのであるが、もしかしたらこの「人」は作者以外の他者であるのかもしれない、と思い直した。そのほうがむしろ人間的であるし心和むものはあるし皆子さんらしいという感じがある。多分こっちの方ではないか。初めの解釈だと、あまりに乾いた世界観であるし、金子皆子さんはそれ程乾いてはいないで潤いがあるはずだからである。

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帰る鶫か少年の部屋の大きな灯

帰る鶫か少年の部屋の大きな灯     皆『黒』平1~8

 たっぷりと大きくてあたたかいもの、そういう眼差しを感じる。少年の部屋の大きな灯があり、そして空には帰って行く鶫がいるという構図の絵または映像が心に浮かんだりする。その映像の醸し出す雰囲気があたたかい光に満ちているのである。

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兄は亡し海桐の花垣を海へ

兄は亡し海桐(とべら)の花垣を海へ   皆『黒』平1~8

 〈隠岐(宿にて兄の訃報を聞く) 七句〉と前書のある六句目

 亡兄への想いとともに海桐の花垣があるような場所を海の方へ歩いて行く。意識の半分は亡兄のようであり風のようであり、足で歩いているのか流されているのか不確かなような意識を感じる。この世で縁のあった人が死んだ時の心の浮遊感のようなものを感じるのである。また歩いているのが海桐の花の咲く場所であるというのも、歩いていく先が海であるというのも生死の境の意識に相応しい気がする。また「海へ」とだけ言って、歩いているのか漂っているのか解らないのも、その雰囲気がある。

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耳遠くなりゆく不思議綿虫も

耳遠くなりゆく不思議綿虫も     皆『黒』平1~8

 異時間あるいは異次元空間に誘い込まれる感じといったらいいだろうか。実は私は綿虫をはっきりとこれが綿虫だと意識して見た記憶がない。初雪が降る頃にふわふわと群れをなしてまるで雪が降っているように飛ぶのだという。見たような気もするしそうでない気もする。早い時期に俳句に巡り合っていたら意識して見ていたかもしれない。とにかく綿虫のイメージは私の中では朧なのであるが、それなりのイメージはある。

 「耳遠くなりゆく不思議」というのが実際に耳が遠くなるのではなく、意識がすっと遠くへ運ばれるという感覚を思うのである。これは「綿虫」というものから触発された感覚であると思う。同じような感覚の働いた句に草田男の「降る雪や明治は遠くなりにけり」というのがある。この草田男句の場合は歴史的時間軸にそっての意識の移動であるが、この皆子句の場合はむしろ超時間への意識の移動かもしれないし、指示がないから却って「綿虫」の存在感だけがある。「綿虫も」の「も」は綿虫も遠くなりゆくというような「も」ではなかろうか。

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冬の昼月少女期は松籟のなかに

冬の昼月少女期は松籟のなかに     皆『黒』平1~8

 冬の昼月が出ている。松に風が吹いている。そういう雰囲気の中で作者は自分の少女時代を想っている。その松籟の音の中に自分の少女時代が見えたり隠れたりするような雰囲気。何と言ったらいいだろうか。単に感傷的というのではない。時間の不思議あるいは記憶の不思議のようなものがある。

 私自身の少年期にまつわる印象的な場面の一つに、遊びほうけて家に帰らなければならない夕方の刻に、沈みゆく夕日を見ながら、ああ大人になりたくないなあと思った瞬間があるが、誰でもこのように自分の子供時代と結びついた風景を持っているものではなかろうか。この私の風景は多分小学校低学年くらいの頃であったと思うが、この金子皆子さんの句の場合の少女期はもう少し上の思春期に近い感じがある。子供から大人へ移る時期の鬱々としたあのモノクロの感じがあるからである。

 あるいはまたこの松籟は直接自分の少女期の記憶に結びつくものではなくて、自分の黄金の少女期と現在の自分を隔てるベールのようなものとして捉えられているのかもしれない。

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木炭の触れあう音の綺麗な月見草

木炭(すみ)の触れあう音の綺麗な月見草   皆『黒』平1~8

 私はどちらかというと意味で句を読む方である。理屈っぽい人間なのかもしれない。ところでこの句などはその意味の何だかんだを考える必要が無い。そこに投げ出されている感覚的な美だけを受け取ればそれで事足りてしまう。そしてそれだけで充分である。そしてまた美とはそういうものではないかなどと思ってしまう。さらにこの世界は実はそのように存在するのではないかとも思ってしまう。この宇宙はただ単に美としてそこに投げ出されているのであり、別に思考の対象として在るわけではないということである。こういう句を読むと思考のがらくたが何処かへ飛んでいってしまう感じで気持ちがいい。金子皆子さんの句に「まんさく咲きしか想いは簡単になる」というのがあったが、そういうような気分である。