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Crossroads 〜20歳の時、なにしてた?〜

vol.30山本修平さん【世界を平和にするために、ホテルを作る。この道一筋14年、山本さんの挑戦】

2021.04.04 04:42

ホテル・旅館業に携わって、約14年。幼い頃から”世界一の接客”に憧れ、高校卒業と同時に
接客を生業とする世界に飛び込んだ山本さん。山本さんのこれまでの人生、そしてこれからの展望を紐解きます。 



 ■接客への憧れは祖母が営む喫茶店から 



 「初めての記憶は、小学校低学年の時に家族に連れられて行った大阪の帝国ホテルのディナーです。その時のきらびやかな店内の様子に感動して、いつか高級ホテルで働いてみたい!と思った微かな記憶が残っています。」

そのエピソードは、山本さんの原体験として残っている。

その他にも影響を受けていたのが、市場で喫茶店を営んでいた祖母の姿だ。母とともに店頭に立つことも多かったという山本さん。社交的で人と話すことが大好きで、次第に接客業の面白さにのめり込んでいった。 

 そして、どうせやるなら世界一の接客を学んでみたいと思い始めた山本さん。 
自営業を営んでいた父が「自分の好きなことをしなさい」と背中を押してくれたことも支えとなり、高校卒業したのち、ホテルの専門学校で学ぶこととなる。

専門学校入学後は、ホスピタリティの基礎を学ぶ座学の授業はもちろん、バーテンダーやベッドメイキングなど、実務の経験も積みながら、接客の世界に浸って行った。 

「中でも印象深いのは、1年生の夏から、2年生にかけての半年間、ニュージーランドのホテルでインターンシップをしたことですね。世界で最も美しい散歩道として有名なミルフォードトラック近くのホテルで働きました。」

世界中から出稼ぎに来ていた従業員や、切磋琢磨しあう同期との関わりはもちろん、
欧米風の少しばかりおおらかなホスピタリティーも新鮮な経験だった。 


■「お客様の三歩先を見る」を徹底した、グローバルスタンダード 


帰国後はすぐに就職活動が始まり、見事ペニンシュラホテルに内定。卒業年度の2007年オープンした同ホテルで、オープンスタッフとして働き始めることとなる。 

 「入社後、一番驚いたのは、世界中のペニンシュラスタッフが共通して大事にしているビヘイビアスタンダード(行動規範)の中身です。“お客様の前でガムを噛まない”って言う項目があって。(笑)世界中のスタッフが、高いレベルで同じホテルのブランドを守り抜くためのものですが、びっくりしました。ガム噛まないでしょって(笑)」 
 ペニンシュラ時代に得た一番大きなものは、「お客様の目線の先の三歩先を見る」という考え方だという。

「入社してすぐは、“お客様が手を挙げる、席を立とうとしている”その瞬間を察知して、すぐに気づこう、と思っていたのですが、どうしても先に気がつく上司がいたんです。
その先輩から、人は、何かしようとする時に、目線が動くということを教えてもらいました。トイレに行きたければ、トイレの方向へ無意識に目線が動いたり、レジを探して目を動かしたり…“お客様が、なぜ・どのように動こうとしているのか、動く前に感じとる”ということを先輩から学び、次第にエレベータの開く音や、目線一つでお客様の行動を先回りしてお迎えすることができるようになりました。」 


■スタンダードを自分で作る


世界的に有名な高級ホテルで、文字通り世界一の接客を学んでいた山本さんだが、2009年に父が亡くなったことを契機に、関西のオリエンタルホテルに転職することになる。

「手をあげたら何でも挑戦させてくれる社風で、前職とはまた全く違う環境でした。前職はグローバルスタンダード学び守っていくことが大事だったけれど、ここは新しい会社だったからこそ、スタンダードを自分たちで作っていく楽しさがありました。」

在職中に、全客室のバスルームに女性向けのアクセサリー入れの設置を提案したり、宴会会場の紙で印刷されていた行灯をデジタルサイネージに変更し、ブライダルフェアやレストランの案内を流せるように工夫したり…
革新的なことも、“お客さんのため、ホテルのためになる提案なら心よく歓迎する”というチャレンジングな組織風土の中で、6年間働いた山本さん。

「会社の規模が次第に大きくなる中で、自分の未来が容易に想像できてしまうことに気づき、そのタイミングで先輩から熊本県の阿蘇に高級オーベルジュを作ろうという誘いを受けて、次の挑戦をすることにしたんです。」 


■思いがけぬ失業と、小さな旅館で当たり前を変える挑戦 



0からリゾート施設を作るという新しい挑戦へ、まさに向かおうとしている時に、思いがけぬ形で計画が破綻してしまう。2016年に起きた熊本地震だ。熊本県と阿蘇をつなぐ橋が瓦解し、オーベルジュを作る計画は白紙へと戻ってしまったのだ。
そんな時、手を差し伸べてくれたのは前職の先輩だった。伊豆にある小さな旅館の紹介を受け、転職。家族経営の旅館を海外の投資家が購入したことを受けて、昔からある古いオペレーションや、旧態依然としたサービスの当たり前を更新して欲しい、という大きなミッションを背負っての再スタートとなった。 
変化を好まない人たちと、変化を求める人たちの間に立って、これまでの当たり前を少しずつ変えていくために奮闘していました。」 


■運命に踊らされながらも、導いてくれたのは人の縁   


その後、熊本での挑戦を望んでいたメンバーと再会。沖縄でオールインクルーシブスタイル
(宿泊代に滞在中の宿泊施設館内で消費する、ほぼすべての料金が含まれる滞在スタイル)
のホテル造りに挑戦することになる。コンセプトは、大人の隠れ家。ビラタイプの広々とした客室には、露天風呂とプールを完備し、食事も好きな時間に楽しむことができる。

 「初めての、0からのホテル造りでした。ホテルの名前、壁の色やHP、ベッドの色などはもちろん、建設段階から関わっていたので、照明の角度や、配線に至るまで、細かくこだわり抜いて造り上げました。」

 軌道に乗ったタイミングではあったが、出産・子育てを機にタイミングで本州に拠点を移すことに。しかし引越し後、一念発起して転職した先が、入社後1ヶ月でホテル事業を閉鎖することになってしまう。

「運命に翻弄される過去が幾つもありましたが、自分を支えてきたのは、“周りの人の助けとなんとかなる精神”かもしれないですね。」

そう笑って話す山本さん。人を大切にし、信頼を重ねてきたからこそ、人の縁が窮地の時の支えとなるのだろう。
  


■良いホテルを増やせば、世界が平和になる


山本さんの今後の野望は、宿泊業のコンサルティング、そして究極のリラクゼーション施設、リトリートを作ることだ。

 「正直、やりたいことが沢山ありすぎて選べないですが、(笑)究極は、世界が平和になればいいなと思っています。日本ってどの宿に泊まっても外れないよね、と言う人たちが増えたら、戦争は起きないと思うんです。好きな国と戦争はしないはず、だと思うんです。
観光立国として、日本にある中小規模のホテルをよくしていきたいですね。」

 もう一つが、究極のリラクゼーション。リトリートを作ってみたいという野望だ。到着したら携帯をお預かりして、健康診断のヒアリングからスタート。食事も完全カスタマイズ制で、スパやヨガなどのプログラムも盛り込む…日頃の疲れを落として、次の日から頑張れる活力を蓄えてもらうことが目的だという。

「完全に持論ですが、Resortは“re:繰り返す+sort:順番を整える”の意味だと思うんです。乱れた心身を組み直して、整えていく。予防医療が主流な海外から着想を得て、地域活性化と絡めて、泊まれるだけじゃない、唯一の経験が楽しめる施設を作ってみたいですね。」 

観光を通して、世界を平和にする。山本さんの挑戦はまだ始まったばかりだ。