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natural GOUP*

呪いを解きに

2016.11.20 23:49

先に言います。

今日のブログはとてもネチネチしていて文章も纏っていなくて見難いと思います。そして長くなると思います。

本当はきっと書かなくてもいい事。



だから、ここから先は


私の事が好きな人だけ見てください。




「なんでこの時期に北海道目指してるの?!南から始めればいいじゃない!」


旅を始めた時、みんなに言われました。雪も降りだすだろうし、農作業もストップする時期だし、、。


だけど、私には先に北海道へ行かなければいけない理由(目的)がありました。


それは、

『呪いを解くこと』


これをせずに旅をしても、結果これまでの人生と何も変わらない。


そんな思いに駆られ、北海道を目指していました。




北海道に何があるのか。

私の家族がいます。

函館に育ててくれた家族。

札幌に本当の家族。


私は自分の可能性をとても自分を信じています。だけど自分にとことん自信がありません。見た目から性格から嫌いなところだらけでコンプレックスの塊なのです。


家庭環境が複雑だったため

小さな頃から自分を守ろうと人をよく観察する癖がついていました。


そして生まれ持ってエンパスという他人の感情を自分の感情とリンクさせやすい性質をもっているために、普通の人なら気にしないくらいの小さな相手の反応、自分の発言やしてしまったことに落ち込んだり後悔したり、、。

消えてしまいたくなるくらい不安な気持ちになったり、体調が悪くなったり。繊細で敏感なところがあります。



浅い付き合いの人からすると、私はコミュニケーション能力が高い、明るいラテン系の女の子に見えるようなのですが、

本当は人とのコミュニケーションが大の苦手なのです。

大切に思っている人に嫌われたくなくて、仲良くなってから人見知りになる事がよくあったり。

シーンとした空気が苦手で無意味にずっと言葉を発していたり。


気づかず我慢していたり溜め込んだ感情を何かをきっかけに突然爆発させてしまったり、過去付き合った彼なんかにはヒステリックをぶつけてしまったり。

心を友達にも恋人にも家族にも全く開けなくて。人にどう見られてるかが怖いんです。相手にどう思われてたっていいや!って頭で思ってるけどエンパスなもんで心に負の感情がくる。

もうね、自分が嫌で面倒くさくてどうしようもなくて、、。



頭で分かっているのに、その場になると心がついていかない。

だけど、そんな自分を終わらせたくて。変わりたくて人生もっともっとよくなりたくて楽しみたくて、、。


その元凶になっているところが過去にある事に前々から気づいていたから。


私はその呪いを解くために北海道を目指しました。




私の家庭環境は、、まぁ複雑でした。



私は産みの母親と会ったことがありません。


私の家族は

父、兄、叔父、叔母、従兄弟。

そしてシャンティです。


私の産みの母親はタイ人で元デリヘル嬢。海外出張の多かった父が現地で出会い、兄を授かったことを機に結婚し日本にやってきました。

しかし それから5年後、私が生まれてすぐ。私を育てるのが嫌で家族を捨てて何処かへ行ってしまったといいます。

母の事もあり、周りから自分がどう見られているかを幼い頃から気にするようになりました。


東京で多忙だった父は1人で2人の子どもを育てることが出来ず、まだ赤ちゃんだった私は北海道の叔父叔母の元に引き取られることになりました。


以後私は、叔母の事を”お母さん”と呼び、その家庭で18歳まで育ててもらいました。


私が引き取られたとき、その家の1人息子は13〜15歳くらいだったと思います。18年間一緒に暮らした その従兄弟と、私はちゃんと会話をしたことがありません。元々優等生だった従兄弟は私が引き取られた事がきっかけでそこから引きこもりになってしまったのです。 

基本無表情、たまに目が合ったり私が何かすると睨まれ「うるせぇ」「汚ねぇ」「ブス」「死ね」などと度々罵声を浴びせられる事がありました。

どう反応していいか分からず、たぶん私はヘラヘラしていたと思います。ただ小さい頃は流石に怖いとおもっていたことは覚えていますね。



育ての母(叔母)もなかなか凄くて。

もうね

本当に、

鬼ババァ!!!

ってずーっと思っていました。

勿論、本当の母のように慕っているし感謝もしているし大切で愛おしい人です!

だけどね、今くらいにならないと叔母のキャラクターが理解出来ないというか、、子どもの頃の私には、、ね。


簡単にどんな人かと言うと、、


何でも熟す完璧な人。

すごく真面目な人。

全部自分が正しいと思っている人。

ありがとうとごめんなさいを言わない人。

とにかく潰して潰して伸ばそうとする人。

物事を否定から捉える人。

自分にも人にも厳しい人。

とっても愛情深いのに、それを上手く表現出来ない人。


と言った感じでしょうか。


旦那である叔父が認めるほど

性格が悪いんじゃなく、口が悪いところがあるのです。


純粋な子どもだった私は全てを間に受けてしまったんですね、、。


当時、私は「いい子にしていれば大好きなお父さんが迎えに来てくれる!」そう信じて生きていました。


父と兄とは年に2回、お盆とお正月だけ会う事ができました。


あれは小学生になるかならないか位のとあるお盆。大好きな父が北海道に会いにきてくれていました。嬉しくて父にベッタリ、父のお手伝いがしたくて仕方がない。

そんな私を見て

「あんたって子は、お父さんの前ではいい子になるんだね!!」と叔母。

そして、ネタの如く私の失敗話ばかり父に話す叔母。


いつもだってそんな我儘なつもりは無かった私は

大好きなお父さんに悪い子と思われて迎えに来てもらえなくなっちゃう、私いつもいい子にしてるよ。

どうしたらいいの?叔母の前でお父さんに甘えて嫌われちゃったら、この家にいられなくなっちゃう。そうしたら、お父さんがもっと困って私の事を嫌いになっちゃう。

と、子どもながらに色んな気持ちになり、そのお盆以降あまり素直に父に近づけなくなったのを覚えています。


それから、幼い頃に

何故か「叔父さんは汚いから近づくんじゃない!!」と言われ、私は18年間育ててくれた叔父とほとんど会話した事がありませんでした。


叔母の私に対する口癖は

「自分の意見を言いたいならね、自分で稼いで自分で生活出来るようになってからにしなさい!」


「あんたがいると楽しくない。私がしたいこと何も出来やしない。」


「あんたは笑うとブサイクだから笑うんじゃない。」


「あんたは本当に何をやってもだめ。中途半端。」



『この家にいれなくなったら、お父さんの迷惑になってしまう。』

という気持ちから何を言われても平気な振りをしていました。

叔母に認めて欲しくて

小学生の頃から学校でも生徒会長をやったり、友達と遊びたいのも我慢して習い事も1週間全部埋めて、勉強もスポーツもいつもトップになれるように子どもながら相当頑張った。


だけど、やっぱり褒めてもらう事はありませんでした。

1番印象に残っているのは、小学生から続けた陸上で中学3年の時初めて地区で大会記録を更新して優勝した日。私は賞状と金メダルを持って1番に叔母に見せに行きました。

すると、

「あんたが速かったんじゃないの。今回たまたま周りが遅かっただけよ。」と、、。


これは本当にショックで、、。ブサイク弄りもあり、この頃から私は家族の前で笑わなくなりました。


他にも「友達を家まで車で送って?」

とお願いすると。

「あんたは友達に利用されてるんだよ、友達選びなさい。」などなど、、


学校指定の絵の具セットが何故か叔母の指示で私だけ男子用の色を選ばれていたり、

高校受験の時も、ランクを1つ下げてトップになりなさい!!と本当に行きたい所ではない学校を選ぶことになったり、、


何をしても否定される。最後の決定権は私には無い。と、もう半ば諦めていたんですよね。色んなこと。



今思うと、自分の思いを言い返す事が出来ない環境で凄く凄く我慢していたんだなぁと思います。



アルバイトを始めた高校の時、怒りの頂点で初めて叔母に言い返したのを覚えています。

「もういい!!なんにも言わないで!!自分で稼げるようになったんだから自分の事は自分でするよ!」と。


そして、ちょうどその頃

大好きだった明るく優しい父が鬱病になりました。

まるで人が変わったように物事をマイナスにしか見なくなり、無口になり。精神薬漬けになり、、。

思春期真っ盛りの私は、そんな父を受け入れられず接する事ができなくなり、、。

私はすべての家族に対して「うん。」「いい。」「うざい。」しか言葉を交わさなくなりました。

(因みに兄は何があったのか、、自殺願望が度々あり、私の事が怖いといって連絡すらとってもらえない感じで。)



ストレスの限界もあったのだと思うのですが、この頃は私も原因不明のヒステリーになり、物を壊したくなったり全身血が出るくらい搔きむしったり、、。もしかしたら、人生で1番辛い時だったのかもしれないなー。

ちょうどクラスでも仲の良かったグループからハブられたりね。笑


高校卒業の時に地元から遠く離れた、入試次第で費用が全額免除になる短大へ勝手に入学し家族に何も言わせず実家を離れ、


さらに短大卒業時には、そのまま誰にも相談せずに北海道を離れるために

沖縄に就職を決めたのでした。


これが私の北海道の思い出。



いやね、

嫌なこと、悲しいことって本っ当に蓋を出来るもので

こんなのの記憶って普段はスッパリ忘れてるんです。

(お酒を飲むとたまに思い出すかな )

お父さんが鬱病な事も忘れているし、そもそも自分がハーフな事も忘れてるくらい笑


家族とはいえ別の個人なわけだから、まぁ何を言われようとも、何が起きようとも、どうでもいいと思える時はどうでもいいのです。

今回言葉にして

1つ書き出したらゾロゾロゾロゾロ記憶が蘇ってきて恐ろしくネチネチした内容に、、。スミマセン


話は戻り。


題名にある、今回私が解きに来た

『呪い』

とは、、、。


「ブサイク」と言われた事でも「死ね」と言われたことでもなく。


叔母に言われたショックな言葉達でもなく。(←多少なりトラウマにはなってますが)



自分で自分にかけてしまった呪い。


『私は愛されてはいけない』

『私は幸せになってはいけない』

『いい子にしていないと居場所が無くなる』



え?どうゆうこと?

と思われるかもしれないのですが、



単純に愛され下手なんです。



相手に尽くすことで『ここにいれる』を作り出そうとする。それは等価交換で愛ではない、ただの押し付けの愛情表現。

愛されてはいけない、、と心のどこかで思い込んでしまっていたのでしょう。だから相手のアクションを待つのが苦手だし、相手に好きと先に言われると引いてしまう。




それがこの呪い。


これは別に言葉で自分に言い聞かせたものではなくて


心のどこかに突っかかっているものを言葉にすると

この3つがしっくりくるかなぁって。




でも家族の事を向き合って考えたら自分が壊れてしまうんじゃないか?って頭で考えちゃって怖くてずっと、見て見ぬ振りをしていた。


だって向き合わなくても生きていけるし

今の私でも愛してくれる彼氏や友達がいたりしたし。なんとなく幸せだしって。

でも、気づいたら自分自身にも心を開けなくなっていってて、奥底の自分はとてもとても寂しくなっていて、その瞬間だけでも忘れたくて適当な人とのSEXやお酒に逃げたり、仕事も辞めれなくなって

今をやり過ごす方に流れて命の無駄遣いをしてしまっていたの。


最近までエンパスって知らなかったのもあって、なんで私ってこんな性格なの。と自分が大嫌いになっていってた。


『愛されてはいけない』は自分自身を愛することさえ拒否していた。

無意識に。

ずっと分からなかった。元凶と向き合うことから逃げていたから。



2年位前から、私は両方の家族に電話を月1かけるようになってました。

親が70歳を越えたのもあったし、

私自身が親の気持ちが分かるようになって角がとれてきたから。

水商売を長年やったおかげで叔母の悪口さえネタにして返せるくらいになったから。

それと社会人になってから半年に一度必ず送られてくる叔父からの応援の手紙が私を救ってくれたから。

ずっと昔、叔父に謝った事がありました。私のせいで息子さんが、、ごめんなさい。と。

叔父は「18年も育ててきた。本当の娘だと思ってる。」と返してくれました。ほとんど話したことだってなかったのに。




準備は出来てる。


今の私なら大丈夫。

もう自分を愛することも、

幸せになることも、

許せる。


だから、北海道に帰った。帰って向き合わなきゃと思った。

これから出会う人達と、心を開いて繋がりたかった。



呪いと言っている

私の思い込み。

それは

『私のせいで お母さんが出て行った。だから私の家族は壊れてしまった。だからお父さんもお兄ちゃんも幸せじゃなくなってしまった。』

『私が引き取られたせいで従兄弟が引きこもりになった。だから嫌われて当然だし、叔母が私に厳しく当たるのも当然。私がこの家族を壊してしまった。私がこの家の幸せを奪った』


『わたしが2つの家族を壊してしまったんだ。


だから、私は幸せになってはいけない。


償いとしていい子にしていよう。』


と、いうもの。


何度も言うけれど、言葉にして思ったことはないです。でもこうやって言葉に起こすと、こんな感じかな、、。


 『相手の意を汲まないとここにいれなくなる。』というトラウマのような癖もここからきてるなぁと思います。





超話しが長くなりました。


結果北海道に帰ってどうなったかというと



1つ、

札幌の父には会うことを拒否されました。

残念➰




2つ、

函館の実家で

呪いが解けました✳︎



だって、全部思い込みのまやかしだったんだもん。



私が勝手に

『家族各々を幸せじゃない。』と決めつけていただけなのです。

だから私だけ幸せになっちゃいけない。楽しんじゃいけない。そう思い込んでたのです。


何か話したわけでもありません。

何かしたわけでもない。

ただ帰って、ご飯食べて寝て起きての繰り返し!笑


昔となにも変わらない。


従兄弟とも会話はしないし、なんで帰ってきたブス!とか言われるし


叔母も相変わらず、否定ばっかりな言い方をする。


お父さんにも来ないで。と拒否されたけど、、。


それは、みんな今そうしたいからそうしてて

それって、したい事をしてるってことで(^^)各々幸せじゃん!って✳︎


だから、私もしたい事をしてて本心で今を見ていいんだ!って


いつでも幸せと思ったら幸せで、幸せじゃないと思ったら幸せじゃない。


全く同じものを、どう見てるかなんだよな〜って。




私はこれまで、ただ在るものに対して、無いふりをしていただけなんだ!!


楽しいときに、私は心から楽しんじゃ駄目なんだって勝手に負の感情を持ち合わせていたのです。



つまりね、私は家族に愛されてたわけです。

家族に壁を作っていたのは私だった。


叔母は口は悪いけど、自分の時間を私を育てるために使って生きてきてくれていて。

私を否定するけど、

そんなダメダメな貴方でさえ、私は愛しているわ。

という事だったのだと今なら分かります。

言葉の分、ちゃんと行動で示して返してくれてたのに素直に受け止めれず、マイナスな部分ばかり拾っていたのは私だった。


長年住んだお家だけど、

よく知っている人達だけど、


初めて、もう少しここに居たい。

実家っていいなぁ〜と思いました。


どうしてあんなに居心地が悪く感じていたんだろう、、。



いや、やっぱり他の人から見たら相当不思議な空気感の家族だと思います。(^_^;)笑


強がりとかじゃなくてね

私には、この家族のこの距離感が  凄く愛おしいんだって思い知らされた帰省だったわけです。



世の中には、いろんな家庭があって

外からみたら幸せそうでも、実際本人達がどう捉えてるかはその人達次第で、、

虐待されたり、本人達以外には分からない悲しい思いをして苦しんでいる人もたくさんいると思う。



私の場合はこんな感じだったって事で、


しかも、このタイミングで勇気を持って実家に帰って呪いが解かれて良かったなぁ〜って思います。


インナーチャイルドを癒す帰省になりました✳︎



家族の会話の的になって輪を繋いでくれたシャンティに本当に感謝\(^o^)/

口は悪いが、行動は愛情たっぷりの叔母。「あんたが帰ってきた所為で仕事が増えるわ〜」と言いながら、私の好きなものが用意されていた。北海道を感じるご飯〜

車に棚が欲しいといったらスノコでDIYしてくれた叔父さん\(^o^)/

ブスは来なくていいから犬だけよこせばいいのに。と独り言で会話してくる従兄弟 笑

部屋にあった造花をそっと頭に乗せてみたが、無視する叔母 笑


こんな事を仕掛けらる自分の成長を感じた瞬間(´Д` )

出発のときに持たせてくれた おにぎり。そして、叔父さんには内緒ね!とお小遣いが入っていた。・゜・(ノД`)・゜・。

超超超超超超超超助かります!!!




うん、どう考えても、やっぱり私愛されてた。


なーんか、もしかして私、、。

人生大分損して生きてきたかも〜(´Д` )


30年かけて いい経験しましたわ!!



そして強くなったし

今、心が温かい(^^)嬉しい✳︎


ここまでグダグダ長〜いブログ見てくれて本当にありがとうございます!


私の家族のお話でした✳︎


今日から年明けまで、和歌山でみかん狩りバイトです〜頑張ります\(^o^)/





P.S  


カバンの中から、見覚えのないシャンティのオヤツが(°_°)!!!

意地悪な従兄弟45歳は、私の事は嫌いだけどシャンティの事は愛してる模様です(^^)笑




YUKA