ミクロコスモス
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000150626 【ミクロコスモス 松尾芭蕉に向って】より
内容紹介
俳諧は最小の詩型の中にこの世、この宇宙の森羅万象を映し出し、封じ込める秘法に他ならない。最小の宇宙の中に最大の宇宙をつかみ取るのである。それが達成された時、最小と最大は対応しあう……。芭蕉の言語空間と精神世界の究極を探るキーワードを、大宇宙に対応するミクロコスモス(小宇宙)に求め、「おくのほそ道」「七部集」等の諸作の深部にクリティカルに迫り、新しい芭蕉像を創造した力作評論。
目次
第1章 ミクロコスモス――松尾芭蕉に向って
第2章 自己引用の振幅
第3章 風羅坊(ふうらぼう)の実存
第4章 「隠」に入り、「隠」を出づ
第5章 翁の遊行(ゆぎょう)
第6章 死のくぐり抜け
第7章 「生きて帰る心」
第8章 一期一会(いちごいちえ)の知者
第9章 生命の「軽み」
第10章 風のトポス
第11章 「物の見えたるひかり」
第12章 言語空間の旅人
http://www.mori7.net/mine/ike/indexr.php?yama=nnga&tuki=05&syuu=4 【ヒントの池】より抜粋
【1】芭蕉はこう言っている――連句の席にのぞんだときには、文机を前にして間髪を入れず句を作るのであって、迷っては駄目である。作りおわって文机から句を引きおろせば、すでにそれは反故でしかない。【2】――もちろんこれは、その一瞬に持てる力量のすべてを燃やしきらねばならないという意味であり、誰にも首肯できる作者の覚悟だが、しかしそれとは別に、そこで成った句は、いかに名作であっても「文台引おろせば即すなわち反故也」なのだろうか。【3】おそらくこの言葉も、名作は記録されて後にのこるということと別に矛盾する言説ではあるまい。作品が録されて後世に伝わる、すなわち俳諧の歴史と、俳諧の場はその成立の一瞬の中にあるというのとは、別次元の出来事であり、ここで芭蕉が言いたかったのは歴史ではなく、「場」というものが俳諧には不可避であるという一事にほかならなかった。【4】そう思うと「文台引おろせば即すなわち反故也」は、芭蕉の時間感覚の中に、「場」を含む形で時間が流れつづけていたことの証言と受け取れよう。
「場」といっても、空間的拡がりの形態をとった「場」を思い描いてみることはたやすい。【5】空間的な延長線が、特定の原理基準に基づいて限定され、塞き止められて囲壁いへきや枠ができれば、すぐに「場」が成立する。「場」は限定、区劃されているが、固定してはいずに絶えず更新され、変形してゆくものでもある。【6】「場」は地盤ではない。そこからすれば、「場」は時間的な「場」でもあるだろう。芭蕉の『おくのほそ道』の旅も、絶えず入れ替り改まる「場」を方々と求めたさすらいの歩みであったが、これについては後で考えてゆくことにしたい。【7】その旅先で土地の俳人にもてなされ、人々寄り集って一巻の歌仙を巻いた情景ともなれば、明らかに連衆によって形づくられた「場」が見えてくるし、従前からこの「場」は「座」として語られてきた。
(中略)
【8】一年三百六十五日、この物理的な年の長さにおいて、祝祭の時間の占める割合はごく僅か、短いのが通例であろう。長々といつま∵でも祭が続き、終ったとも終っていないとも取れる曖昧さが生じたりすれば祭は堕落、変質する。【9】祭の特色は時間的に限定され、純粋であることであり、短い時間のあいだしか持続しないことである。たとえ数日に亙って祭が催されても、過ぎたあとで思い返してみれば、短かった、あっという間に過ぎ去ったという一抹の思いが残るのが祭なのだ。【0】「褻」に対して「晴」の時間が、「俗」に対して「聖」の時間が負ったのは、内的な魔性の霊力とその時間的な短さである。一瞬の燃焼のうちにすべてが成るか然らざれば無という極点的な思想までも含めて、そこには短いもの、小なるものへと向かって凝縮してゆく力がはたらいている。松尾芭蕉は俳諧と名付けられる詩のわざに時間的な「場」を設定したが、そのことを通じて――時間の構造を通じて――小なるものに封じ込められた重さを感じとっていた。それが彼の詩人的な存在理法についての認識であったという風に私は解したい。
(高橋英夫『ミクロコスモス――松尾芭蕉に向って』より)
http://kokugojuku.com/blog999 【一人旅 奥の細道 番外編 – 松尾芭蕉の俳句の重量】 より
過日、大学入試の問題をチェックしていて、下記のような文章に出会いました。
旅が「場」の顕在化を意味したというなら、旅とはすでに祝祭的である。というより、日常と祝祭の意識化が旅なのだ。民俗学でいう「晴」と「褻」の連接や交代の眺めは、芭蕉の旅路にも存在していた。俳諧にたずさわり、連衆と相会して連句を作り、批評を交わし、歓語し、宴を張り、それが果てての後は別れ別れに去ってゆくという芭蕉の時間の推移は、ちょうど季節の祭の歓を尽くしての後、乱散する玉串、七五三縄、酒盃、徳利の類を置き棄て、踏み分けて人々が立ってゆく祭りの終わりの情景に重ね合わされる。
高橋英夫「ミクロコスモス-松尾芭蕉に向って」より引用
大学入試の論説文としては標準的な難度の文章ですが、ここだけ読むとちょっと分かりにくいかもしれません。私なりの考えも補足しておきます。
芭蕉は文学に携わる者として、俳諧・連句の「場」に全霊を込め、魂を燃焼し尽くした。持てる限りの力を爆発させる「場」は、限時的なものでしかありえない。限られた時間に己の想念を激発させるという点において、旅と文学的な「場」は近しいものである。旅は文学的「場」だ。祝祭だ。晴(ハレ)だ。
って、何かカッコつけすぎですね(笑)。このブログ風に要約すると、「旅っていいよネ!」ということです。
だいたい、松尾芭蕉の俳句って、超重量級だと思うんですよね。いや、本当に。普通の俳句が一文字1グラムだとしたら、芭蕉の俳句って一文字1トンぐらいのイメージ。17文字しかないのに、10トン以上の質量を持つ作品。もちろんそれは比喩ですけれど、それぐらいに込められたものが大きいと私は感じます。
だから、芭蕉の作品を読むというのはとても疲れる作業だとも感じます。嫌いじゃないんですよ、嫌いじゃないけれど、とても精神的なエネルギーを使わせられる感じがある。もし、芭蕉って簡単じゃん、サクサク読めるよと言う人がいれば、それは文学的な天才であるか、何も分かっていない人だと思います。芭蕉の術策中にまんまとはまっているとでも申しますか。
実際に芭蕉が句を詠んだ場所に出かけて、その句を思い出してみると、慄然とすることがあります。この言葉しかありえないという表現が凄味をもって迫ってくる。
それは、へらへら笑っているようにすら見える軽い感じのピッチャーが、時速数百キロの豪速球を投げてくるようなものです。
芭蕉は自作の中から厳選に厳選を重ねた上で、徹底的に推敲を加えて作品化していたということが、学者による研究で明らかになっていますが、そりゃそうだろうと思います。私には、丹精を込めて精神的な爆発物を造っている芭蕉の姿が思い浮かぶんですが、それは少し恐ろしい気もする情景です。