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ばし日和☀️

atelier basi 設立の思い

2021.04.05 07:05

生存者バイアスという言葉がよく、海外の大学に進学した学生の界隈で使われる。一度経験したからこそ、それまでの過程を過小評価する傾向がある。はたから見れば希少価値のある経験談を話す姿は、どうしても気取っているように見えてしまう。


事実として、苦労する度合いは人それぞれである。理解のある親や学校、塾に作られた基盤に支えられ、高い人望や知能で乗り切る人も多い。一方で、一から親を説得し、あらゆるところから信憑性が不明な情報を集め、最後は進学を奨学金の有無に左右される人もいる。どちらにせよ、多くの高校生は様々なイベントやキャンプに足を運んでは成功体験を吹き込まれ、先輩方の足跡をたどるよう取り組み、自分に焦点を当てることのないまま大学受験を終える。十代の最後という敏感な時期に、世間を知った気になりながら中身は減っていき、他人の言葉や意見で補填されていく。


高校生の時、とある有名な塾のイベントに参加するために親子で上京した。会場には多くの高校生がおり、都内や関西の有名進学校に在籍する人ばかりだった。塾の担当者は個人相談で忙しく、私にはちょうど遊びに来ていた塾の元受講者だという米国の有名大学に在籍する先輩方と話すように、別室に移された。


先輩方の経験談はどれもそこまでの差異がなく、受験を決めた時の葛藤、学校との交渉、経済的な制約、英語の勉強については特に苦労した話がなく、「エッセイを書くことが大変だった」というアドバイスだけをいただいた。順風満帆な経歴だと感じた。もちろん本人たちの幸運であり、努力も欠かせない環境なので、悪くは思わなかった。しかし、これほど自分の境遇と違う人たちが集まる慣れない場所で、自分に忠実であれるのか。誰かに自分の悩みを打ち明けても、聴いてくれる人がいるのだろうか。劣勢的な状況にいたわけではないのに、スタートラインがあまりにも異なることで自分を卑下し、主体的に判断を下すことを恐るようになった。成功経験を持つ人に評価されるために、白いキャンバスに戻されてもいいと思えたことが、十八歳の自己を見失わせるとは気づいていなかった。


受験時代を振り返って考えると、本当の意味で成長できる環境には出会えなかった。米大学に出願する際にはパーソナルエッセイを書くが、難関校に合格できるような心を動かす物語になるよう、事実を歪ませるよう言われることが多くあった。周りが従順に受け入れるなか、自分の軸を守り抜くのは難しかった。また、添削者は塾を介して知らないエディターに渡されていたため、一部の経験談は 「嘘っぽい」「胡散臭い」 と否定され、上手に書けた文は「ネットから引用したに違いない」と判断された。下の名前も知らない人に大事なエッセイを見てもらうと、このような誤解が生まれることは容易に考えられる。高校生としては物申せなかった。その後、何を書いても 「胡散臭い」と思われることが怖くなり、昔からの趣味であった英語の執筆活動を辞めた。


近年は海外大学進学向けの奨学金が増えつつも、海外大学の受験支援を行っている塾・団体は未だ数がかなり限られている。その中には、受講費が年間数百万に上るケースもあり、経済的にも受講できる家庭は限られる。また、国内大学受験とは異なり、この教師と気が合わないからという理由で、指導担当先を容易に変えることはできない。ただし、塾を利用せずに志望校選びから奨学金申請、課外活動の説明の仕方やインタビューの練習など、信頼できる先輩に手伝ってもらえたとしても、全てをお願いして乗り越えることは難しい。こうした理由で居場所をなくし、夢を諦める結末に至ったという声も、実際にatelier basiを応援いただいている方から伺った。


淘汰されることを恐れず、居馴れない世界に無理に合わせなくてもいいようなセイフティネットを創りたい、という思いが atelier basi を設立するきっかけになった。嘘をつかなくても良いよう、自己表現を行うための道具を伝授し、表現力を磨くことはもちろん、これまで「優秀である」ことを消費されてきた学生たちが、自分へピントを合わせられるような場所をつくりたかった。その結果、どの国のどの大学を志すかは関係ないし、途中で志が変わってもいいと思う。過去の自分を含め、誰かの夢を借りても、結果は空虚でしかないのだから、全てひっくるめて受け入れてくれる場所が atelier basi になればいいという思いを込めて、2020年4月に活動を始めた。


もちろん、受験は高い障壁を乗り越えることが本質ではない。多くの受験生は壁が高ければ高いほど目指す価値があると考えがちだが、常に難しいことに挑むことを美徳とする世界は息苦しい。しかし、大学のランキングなどに大きく左右される既存の受験ビジネスモデルはそのマインドセットを必然的に肯定する。だからこそ、非営利団体に存在価値がある。お金ではなく愛で回る構造が、「成功者を広告塔に立たせたい」という指導者のエゴをなくし、「自分の成功体験を主張したい」という生存者のエゴを持たず、「周りに認められたい」という受験生のエゴを適切に修正することで、本当の意味で生徒の健全的な成長を促すことができると思う。


既存の構造への疑問が、確かに atelier basi を立ち上げる原動力になった。しかし、現状を全面的に批判することではなく、頑張る学生への支援の手を増やすことが団体の存在意義である。高い積極性を持った子供から社会上位層を埋める世界でもなく、誰しもが同じ道を歩む世界でもなく、高校生の自分が欲しかった愛のある環境を作りたい。こうして、atelier basi は生まれました。


Skylar