ZIPANG TOKIO 2020「奥三河の花祭 第三話【豊根村 上黒川】700年以上に渡り継承 除霊、神人和合、無病息災、五穀豊穣を祈る!」
奥三河の花祭
毎年11月から3月にかけて東栄町、設楽町、豊根村の計15カ所で催される「花祭」。11月は、東栄町と豊根村の7カ所。国の重要無形民俗文化財にも指定されている「花祭」は、悪霊を払い除け、神人和合、五穀豊穣、無病息災を祈る目的で鎌倉時代から代々親から子、子から孫へと大切に伝承されてきた神事です。およそ40種類にもおよぶ舞が夜を徹して行われ、町外からもたくさんのファンが訪れ舞手と一体となって「て~ほへ、てほへ」の掛け声とともに全員で盛り上がります。
「花祭」とは 「テーホヘ、テホヘ」と、夜を徹して繰り広げられる花祭は、鎌倉時代末期から室町時代にかけて、熊野の山伏や加賀白山の聖によってこの地に伝えられたといわれています。 「冬至」の前後、太陽の力の復活を願って行われる「霜月神楽」の一種とされるこの祭りは、天竜川水系に今も伝わる神事芸能で700年以上にわたって継承されています。 当初は湯立てと清め中心の祭りだったと考えられますが、伊勢神楽や諏訪神楽なども取り入れながら、土地の人たちによって育まれ、約400年ほど前に現在に近い形態になったようです。 そのころは大神楽といって、七日七夜もかけて130番もの舞が盛大に行われ莫大な資金と労力が必要で、金100両、白米100俵が備蓄され、更に不足に備えて神楽林も保有していました。 数地区が一緒になって、7年目や20年目という間隔で行われていましたが、大行事のため七日七夜にわたる大神楽を省略・集大成し一日一夜の祭りとして完成されたのが現在の花祭であるといわれています。 大神楽がなぜ花祭になったのかは多くの人が持つ疑問であり、「花」の語源についても10前後の説があります。 祭りは花宿の清めから始まり、神迎え、湯立て、宮人の舞、青年の舞、稚児の舞、鬼の舞、禰宜や巫女・翁などの神々の祝福、少年の舞、湯で清める湯ばやし、神返しまで休む事なく、ほぼ一昼夜をかけておこなわれます。 八百万の神々を勧請し、諸願成就、厄難除け、生まれ清まりを祈願するこの祭りは、昭和51年に国の重要無形民俗文化財に指定され、毎年11月から3月上旬にかけて、郡内15ヵ所の地区で盛大に開催されます。
花祭は中世の末期頃からこの地方でおこなわれていたものと思われます。 記録では天正九年(1581)に御神日記が、文禄二年(1592)には花祭の祖形と思われる「花祭次第」が残されており、また慶長年間に入れば面型や神楽の記録が残っています。 このように400余年も「花」や「神楽」が、なぜ行われてきたか考えてみると、現在のように文化の進んだ時代と異なり、戦国時代には兵・馬の徴発により食糧は不足し、伝染病は蔓延し、戦争により肉親や近隣の人たちが死亡していきます。このような凶事は悪霊のなせる仕業と考えられ、これを祓いのぞき、生まれ清まりの祈願をすることにより、無病息災と五穀豊穣を祈り、死者の供養を行う以外には、方法がなかったと思われていました。 ところが、この神楽の執行には多額の金と物資が必要であったので、豊作の年しかできなく、不定期になりがちでした。それ故、神楽を省略して一日一夜の恒例祭として「花祭」が行われてきたと考えられています。 この花祭が国の重要無形民俗文化財として、昭和51年に国の指定を受け今日に至っています。 昔は旧暦11月14日に行われてきた霜月神楽でしたが、明治以降の施策である「廃仏毀釈」の影響を受けて大きな変化をし、太陽暦の実施や行政機関の休日等により1月5日となり、現在は1月3日の夕刻より、翌4日の10時頃まで行うようになりました。
第三話は豊根村「上黒川の花祭」
開催地
【上黒川の花祭】
花祭を観るときのマナー
花祭を見に行く前に!
11月から3月下旬までの寒い時期に、神社や集会所などで夜通し行っています。
路面の凍結にご注意ください。特に、冬用タイヤの装備やしっかりした防寒対策をお勧めします。
花祭りは見ているだけではダメ!
ぜひ参加してみよう!
舞手は「神」。神と一緒に舞うことで、「神と人が融合」します(神人和合)。
掛け声や歌ぐらを覚え、体を動かして参加してください。
ただし、舞子が舞庭の四方に舞出ることがありますので、決して邪魔にならないよう舞子の動きに注意してください。
また、鬼はマサカリを振り回します。
気をつけていないと大マサカリが頭に当たりケガをする場合がありますので、周りや鬼の動きにも注意しながら舞ってください。
なお、湯ばやしでは、お湯を浴びると病にかからないと歓迎されていますので、着替えがあるとよいです。
掛け声を合わせよう!
花祭に掛け声は欠かせません。
ただし、気をつけていただきたいのは地区により掛け声が違うという点です。
掛け声を誤ると舞子、楽(がく→太鼓)打ち共に調子が狂ってしまます。
すべてのパターンを習得するにはかなりの年月を要しますが、地元の人の掛け声を聞きながら、チャレンジしてみてください。
なお、観光客の方で、拍子に合わせて手拍子を打つ方が見受けられますが、花祭では手拍子は打ちません。
花祭の知っておきたい知識
舞庭(まいど)
花祭は舞庭と呼ばれる、四隅に柱が立てられた3m四方の土間で行われ、中央に大きな釜を据えて湯をわかし、天井には湯蓋、四方に「ざぜち」と呼ばれる切り紙の飾りをつるします。
この舞庭で、祓い清めの儀式から、地固めの舞、市の舞、三ツ舞、四ツ舞、湯ばやしなどの激しい舞が夜を徹して行われます。
湯蓋(ゆぶた)
舞庭の中央釜の真上に飾られる方形の天蓋状のもので、白紙又は五色の紙が使われ、神々の宿る所とされ、所により違いがあります。
色々な祭具の組み合わせにより構成され、びゃっけと神道又は千道で結ばれます。
ざぜち
白紙に字型、絵型を切り抜いたもので、神部屋、神座、舞庭の四方に吊るします。
20種類以上もの型があり、吊るす順序は決まっていません。
神事
二丁鉾
この舞は、老平の前にあった諏訪大明神の祭典に舞われたものでしたが、明治維新の神仏分離令に伴う神社合併の指導により熊野神社に合祀され、以来、熊野神社の拝殿において花祭時に舞われるようになりました。
一人舞で白衣を着て、両手に二丁鉾を持ってへっついのみ舞われます。
釜祓い
釜の三方へ釜幣を立て、正面に新菰を敷き、花太夫が瀧より迎えてきた水を釜の中に注ぎ、祭文を唱えて火と水を清め、全国(六十余州)の一の宮を勧請し、九字、印を結び湯伏せ・火伏せを行います。
湯立て
釜の正面に菰を敷き、花太夫が祭文を唱え、火水を清めると共に、地域内の大小の神紙一切を勧請し、火伏せ・湯伏せの作法を行うと共に諸神への上げ湯をし、氏子よりの祈願事項を奏上して諸神の加護を願います。
終了後、湯立ての笹の湯たぶさを4人が持って舞おろしの舞いをへっついのみ行います。
舞
撥の舞
舞庭の正面に菰を敷き、白衣を着、1人で撥を両手に持ち、二拍子、三拍子で笛とうたぐらのみでへっついのみ舞います。
順の舞(式さんば)
白衣を着、鈴と扇を持ち4人が四拍子でへっついのみ舞います。
地固めの舞 扇の手
扇、やちごま、剣の三折あり青年の舞です。
2人舞で衣装の上に白衣を着、鈴と扇を持って舞います。
鎮め(しずめ)
神座に菰を敷き、その上で花太夫2人が務めます。
火王は鼻高の面で太刀を持ち、水王は鳥かぶとを破り素面で柄杓を持つ、九字護身法を行い、印を結び反べいを踏み、呪文を唱え五方を舞います。
最も重要な神事とされています。
神楽では2日目の最初に白山(しらやま)で行われ、土公神を鎮める重要な神事とされています。
外道祓い(げどうばらい)
鎮に引き続き行われる神事であって、花太夫は素面となり火王は太刀、水王は刀の鞘を持ち、介添いの4人は剣を持って五方に向かい悪魔外道祓いをします。
門閉め
天狗打ちと言われ、外道祓いに続いて、鳥居の前で悪魔の侵入を防ぎ、天狗に門番を願って九字を切って終わります。
※外道祓い門閉めは、鎮めに引き続いて行うので鎮めの行事と思われています。
地固めの舞 やちの手
扇、やちごま、剣の三折あり青年の舞です。 2人舞で鈴とやちを持って舞います。
地固めの舞 剣の手(つるぎのて)
扇、やちごま、剣の三折あり青年の舞です。
2人舞で鈴と剣を持って舞います。
宝の舞
立願のために奉納する宝と鈴を持って舞う大人の4人舞で、白い上着を着、適宣間合いをみて行われます。
花の舞 扇の手
稚児の舞と言われ、その持っている扇、盆、湯桶の三折が舞われ、最も小さい子ども3人で舞います。
扇の手では、初め花笹と鈴を持って舞い、後に花笹を被り、鈴と扇を持って舞います。
宝の舞
立願のために奉納する宝と鈴を持って舞う大人の4人舞で、白い上着を着、適宣間合いをみて行われます。
花の舞 盆の手。
稚児の舞と言われ、その持っている扇、盆、湯桶の三折が舞われます。
盆の手では、子ども3人で花笹を被り、給仕の盆と鈴を持って舞います。
花の舞 舞上げ
神楽の生まれ清まりの立願花で満13歳の元服の時期を迎えると白の上衣を神社へ奉納し、その背中に「奉納熊野神社 何年の男・女」と墨書きし、これを着て舞いを奉納します。
もし舞のできない子どもは他の子どもが本人に代わって舞いを奉納します。
「清まり」の結願舞の名残です。
子ども3人が花笠を被り扇と鈴を持って舞います。
宝の舞
立願のために奉納する宝と鈴を持って舞う大人の4人舞で、白い上着を着、適宣間合いをみて行われます。
花の舞 湯桶の手(ゆとうのて)
稚児の舞と言われ、その持っている扇、盆、湯桶の三折が舞われます。
湯桶の手では、子ども3人で舞い、酒注ぎのために持っていた湯桶と鈴を持って舞います。
花の舞 舞上げ
神楽の生まれ清まりの立願花で満13歳の元服の時期を迎えると白の上衣を神社へ奉納し、その背中に「奉納熊野神社 何年の男・女」と墨書きし、これを着て舞いを奉納します。
もし舞のできない子どもは他の子どもが本人に代わって舞いを奉納します。
「清まり」の結願舞の名残です。
子ども3人が花笠を被り扇と鈴を持って舞います。
一の舞 三つ折れ
朝日の衣裳に白い上衣、鈴と扇、榊の小枝を持って出る1人舞で三折れ出ます。 舞が終わってから白衣を脱ぎ、次に出る山見鬼の世話をします。
山見鬼
神楽では「ひとくら遊び」と言われる鬼で、白山と言う「あの世」へ清まりの結願のためにおこもりをする人々を山見鬼は三途の川の橋(無名の橋)がかりで花太夫にとがめられ、「山見物に参って候」と言い白山に入って行き、山籠りの人々を助け出し、白山を鉞で打ち壊して引き揚げる鬼であるので、別名(東栄町の花では)山割鬼と言われています。
衣裳は赤色の衣に、太い帯を・゚、草鞋をはき、大きな面をつけ、腰に鈴、手に鉞を持って舞います。伴鬼も数面出ます。
舞は五方をにらみ、五方きり、五方きりたつ合わせ、たつ天、雲等を舞って終わります。
三ツ舞 扇の手
青年の3人舞で三折れ行います。衣裳は前途の通り。
扇と鈴を持って3人の青年が舞います。
三ツ舞 やちの手
青年の3人舞で三折れ行います。衣裳は前途の通り。
やちと鈴を持って3人の青年が舞います。
三ツ舞 剣の手(つるぎのて)
青年の3人舞で三折れ行います。衣裳は前途の通り。
剣と鈴を持って3人の青年が舞います。
剣の舞の3人は次の榊鬼の松明振りや世話をします。
榊鬼(さかきおに)
神話による出雲の神と熊野の神の榊引きの神話が根拠と思われるが、人と榊鬼との榊引きは知恵も力でも人間の方が優れているので辺べ、釜割、たい割、片手舞、両手舞、五方立等を舞い、祝福して退散します。
子鬼も数面出ます。
摺り子木 (すりこぎ)
神楽では「能をすべし」として翁、火の禰宣、巫女、婆、摺子木、杓子等を総称しています。
どうげん(道化)とも言われ、鬼の衣裳に各々面をつけ、鈴と摺子木・杓子に味噌をつけて、舞います。
そして観客の顔等に味噌を塗るなどして、観客を喜ばせます。
杓子(しゃもじ)
神楽では「能をすべし」として翁、火の禰宣、巫女、婆、摺子木、杓子等を総称しています。
どうげん(道化)とも言われ、鬼の衣裳に各々面をつけ、鈴と摺子木・杓子に味噌をつけて、舞います。
そして観客の顔等に味噌を塗るなどして、観客を喜ばせます。
巫女(みこ)
神楽では「能をすべし」として翁、火の禰宣、巫女、婆、摺子木、杓子等を総称しています。
巫女の衣裳と面をつけ、頭に揺らくの付いた冠を付け、扇と鈴を持って、御礼ぶんごうり、生まれ所を延べ、釜の廻りを舞って終わります。
婆
神楽では「能をすべし」として翁、火の禰宣、巫女、婆、摺子木、杓子等を総称しています。
婆の衣裳に面を付け、荷物を背負って、手に鈴と榊の小枝を持ち巫女に近づく若者に道化して妨害します。
火の 禰宜(ひのねぎ)
神楽では「能をすべし」として翁、火の禰宣、巫女、婆、摺子木、杓子等を総称しています。
朝日の衣裳に、白衣の上衣を着、宝と鈴を持って御礼ぶんごうり、生まれどころを延べ釜の廻りを舞って終わります。
翁
神楽では「能をすべし」として翁、火の禰宣、巫女、婆、摺子木、杓子等を総称しています。
先祖神が翁に姿を変えて花祭の舞庭に出てきて花祭を祝福し、ぶんごうり、生い立ち、婿入り、鎌倉入り等永い永い一代の物語を話します。
ひいなと鈴を持ち翁面をつけて出て五方を舞い、問答をして引き上げます。
四ツ舞 扇の手
青壮年の舞で、4人で舞います。
桐の衣裳で、はじめ上衣を持って舞い、次に上衣を着て鈴と扇を開いて舞う、四拍子の華麗な舞です。
四ツ舞 やちの手
青壮年の舞で、4人で舞います。
朝日の衣裳にやちと鈴を持って舞います。
四ツ舞
青壮年の舞で、4人で舞います。
桐の衣裳で、剣と鈴を持って舞います。
湯ばやし
朝日の衣裳に鈴を腰に差し、両手に湯たぶさを持って舞う4人舞です。
初め空湯(からゆ)と言われる舞いから始まり、終わりに近づくに従い釜の湯に湯たぶさを漬け四方に振り撒いて見物人や建物を清めます。
勇壮で大変人気の高い舞いです。
朝鬼
昔、民家で行われていた頃は、花宿の主人が朝鬼を務めましたが、宮花となった今は、氏子のなかの者が舞います。
朝鬼は親方は初めに舞庭へ出て最後の子鬼が終わるまで務めます。
そして服装は、朝鬼の面形をつけ、衣裳・持ち物は榊鬼に準じます。
獅子舞
大きな獅子を被り、後ろに子ども2人くらい入ります。 そして五方を舞い、湯たぶさをくわえ釜の湯で清め、シラミふくい等を努めます。 獅子の誘導や世話は白衣に白の御幣を持ち、額に面をつけた大人のおんべりが努めます。
開催日時と場所
日時: 1月3~4日 午後5時~翌正午 場所: 熊野神社 愛知県北設楽郡豊根村上黒川字老平24 日程・場所・開始時刻などは年ごとに異なる場合がありますので、事前に教育委員会までお問い合わせください。
「熊野神社」は上黒川花祭り会場になります。
木造不動明王立像が県指定文化財です。 登録年数は、昭和53年(1978年)
木造熊野三所懸仏も県指定文化財です。 登録年数は、昭和54年(1979年)
アクセスマップ
【お問い合わせ先】
豊根村教育委員会 電話:0536-85-1611
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(敬称略)
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