今の仕事の報酬は、次の仕事でもらうもの
極論だけどある意味正論だよな。
自分の労働単価を下げる事で費用対効果を上げるような事をしていると段々と雇い主からの評価が落ちていくような気がする。誰よりも頑張っているのに、いや、頑張っているからこそ。
「こいつは便利に扱える、こいつは潰れるまで使い倒す」というポジションに一度収まってしまうとそこからの脱却はなかなか難しいのではないだろうか。
上手く言葉に表せられないんだけど、特に高度な技術だとか資格だとかを要しない業務ってそんなに有難がられないよね。
今の職場の奴隷上司なんかは絶対に休むことなく深夜から午後まで常にバックアッパーとして備えている。どんなに体調が悪くても自腹でタクシーに乗って出勤している・・・。
とんでもなく大変だとは思うけれど、その業務は気合いでどうにかなってしまう。特殊な技能が要るわけでもなく、国家資格が要るわけでもないから、ある意味誰でも替えがきく(切羽詰まっているような奴隷を連れて来れれば)
結局弱みに付け込まれているだけなんだよね。「こいつは他では採用されないだろう、他に働き口なんかないだろう、どんな事があろうとうちにしがみつくしかないんだから無理をさせても離れていかない」ってね。
実際その通りだし、「ああ、この人って転職は出来ないだろうな」と傍から見ても分かるし、周囲もそういう目で見ているしそう話している。悔しくないのかな?と不思議に感じる。
本来は何らかの査定があって、昇給してもらうのが理想的なのかもしれなけれど、奴隷上司は給料が少ない・上がらない事を不満に感じて心を許している人には愚痴っているらしい。
職場から評価してもらえないのならば評価主を変えるしかないというのはバカでも思い付くもんな。だけどそんな風に評価を勝ち取るなんて容易ではない。だからみんな諦めて労力をミニマムに抑えつつ現状維持を目指すのだろう。
今の仕事で得た力を、職場を変える力に繋げる、移った先での報酬に繋げるというのは容易くはないけれど、それでもチャレンジしてみる価値は充分あると思う。
何故ならば、何もしなければそのままで何の変化も無いから。
当然報酬が上がるどころか、雇用条件が悪くなってもそれを飲み込まなければならないし、勤務先が業績悪化で雇用の継続が出来なくなるかもしれない。何らかの理由で他の仕事を探さなければならなくなるかもしれない。
現職に留まる前提だったとしても「次の職場で報酬アップを目指す」という気概で新たな技術の習得を目指すべきだな。
何の武器も持たずに丸裸で社会に放り投げられたら間違いなく生き延びられないでしょ。その「新たな技術」が何なのかは分からないし、時の経過で得た技術の価値も変わっていく。昔はパワーポイントが扱えるだけで仕事になっていた頃があったと聞いた事がある。
信じがたい。今はオフィスをかなり上級レベルまで使いこなせたって「日本語が話せます」程度の評価しか得られない。同じような能力をもつ求職者がゴロゴロしているのだからそんなものは当たり前過ぎるし何の有難みもないのだ。
変化に強くなる事、常に進化を目指す事、大変だけど意識していかなければ・・・。
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