【長崎市景観専門監】鍋冠山展望台:デザインは「コト」づくり
■事業概要
長崎市の展望台といえば稲佐山が有名であるが、市民には「鍋冠山のほうが好き」という人も少なくない。標高が稲佐山の半分程度であるため長崎のまちや港の活動が見えて、音も聞こえて来るので、見ていて飽きがこない。港を行き来する大型客船を見下ろし、帆船まつりの花火を目の前に見ることができる。この魅力的な眺望を十分に楽しむ展望台とするために、展望台の改修が行われることになり、景観専門監にアドバイスの依頼があった。
■整備コンセプトの検討
2002年8月に長崎市が策定していた「鍋冠山公園再整備の基本方針」では、当時の時代背景を反映してか「展望台施設をバリアフリー化し、誰もが頂上へ行くことができるよう整備する」と位置付けられていた。これに従って担当者および担当コンサルタント技術者が作成した整備計画案は、とにかくスロープに続くスロープの展望台であった。残念ながらこの案は、目的意識がバリアフリーに限定され過ぎており、展望台の魅力が全く欠けていた。バリアフリーは、現在ではクリアされていることが当然の条件であり、そのことだけで利用者が喜ぶような展望台にはならない。もっと利用者の体験を想像して、展望台からの眺望に感動してもらえるようなプランニングを考えないといけないとアドバイスした。そのためには、鍋冠山展望台からの眺望の持つ独自性をもっと細かくとらえて、わかりやすく表現する必要があった。
その際、私が参考にしていた風景デザインのイメージは、京都の東山三十六峰であった。参考までに下記に我が国の景観工学の創始者である中村良夫先生(東京工業大学名誉教授・京都大学名誉教授)のお言葉を引用する。
「ともかく三十六峰は言葉によって分節されている。視覚によってではない。そこが重要なのだ。余所者の眼には、東山と言っても、比叡の高い峰とそこから少し南の如意ヶ岳あたりの凹凸が目立つばかりで、あとはだらだらである。つまり視覚的分節はそれほど定かでない。ところが京の人には三十六峰は識別できると言う。視覚が山並みを分節するのではなく、言葉が山並みのだらだらした現実に区切りを入れていることになる。結局のところ、風景は見分け(視覚)、肌見分け(触覚)、言分けまたは読み分けの三者の重ね合わせによって成り立っているようだ。」(中村良夫「風景を愉しむ 風景を創る」(NHK人間講座2003.2-3月,p.53-54))
■整備内容の検討
長崎湾とこれを囲む山々から成る長崎のまちの景観、特に夜景には、この「言分け」が有効である。「言」が利用者の「コト」を生み出し、体験の価値を創造する。鍋冠山からの眺望をよくみれば、遠くは軍艦島(世界遺産)から女神大橋、第三船渠(世界遺産)、稲佐山、ジャイアントカンチレバークレーン(世界遺産)、占勝閣(世界遺産)、旧グラバー住宅(世界遺産)、英彦山等、長崎の自然や歴史を物語る多くの突出した要素が見渡せる。特に世界遺産が5つも見える眺望点は少なくとも我が国ではここ以外にないだろう。
展望台は、こうした眺望をぐるっと周回しながら楽しめる平面計画として、既存の展望台よりも前に張り出すことによって、さらに眺望を向上させた。転落防止柵のデザインや照明の配置についても昼間の眺望や夜景を阻害しないように設計を行った。
今後、展望台直下の駐車場が整備され、サインや樹木等も設置されて、ますます施設は充実する予定である。長崎湾をぐーっと見渡せる眺望は素晴らしく、今後は市民だけでなく観光客の皆様にも楽しんでもらえたらと願っている。