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鍼灸とエビデンス2

2021.04.06 22:47


古典も西洋医学のエビデンスと同じで、参考にはなりますが、それだけで臨床を行うことは困難です。


きっと、偉人達は、古典を読んで、それを解釈し、独自の方法を作っていたはずです。絶対に鵜呑みにはしていないかったはずです。

それがないなら古典は、単に思想に近いもののように思います。 

どのように古典を活かしていくのか? 


それも言語化の一つの方法ですが、あまりにも専門性が高すぎて覚えるだけで、時間と努力が必要です。初心者には敷居が高いのは事実です。 

それより、もっと基礎的なことで、身体を分析していく方法があるはずです。そして、それが必要だと考えます。


古典という偉大な書物に頼り切りで自分では何も新しいものを考えださないというのであれば、これからの発展はないでしょう。 昔に書かれた書物をそのまま実践し続けている医者がいたら、そんな先生に診てもらうのは私もゴメンして欲しいです。

どんな優れた方法であったとしても、その枠からはみ出て、自分で考え、自分で感じる努力をしていないと発展がないのは、どのような仕事でも同じです。


科学的なことはとても大事だと思っています。なぜなら、そういう地道な努力の結晶の結果だからです。しかし、最先端の科学をもってしてもわからないことが一杯ある訳です。 

エビデンスは、そのわからない部分を統計という手法で分析しただけのものです。エビデンスは重視するものではなく参考にするもののはずです。

もしかしたら、こういうこともあるかも知れないと言う発想の材料にはなりますが、それだけを信じて確率だけで治療しても、その患者さんにとってはロシアンルーレットと同じです。


確率論は万能ではないし、臨床的ではありません。それは普通に考えればわかることでしょう。確率が低くても、その人にとっては効果的な治療法である可能性もある訳です。

確率論だけで選ばれたら、そこから洩れた人は、捨てられるだけです。