追悼 ジェームズ・レヴァインさん
2021.04.06 23:33
以下は、2019年10月の鹿児島市歯科医師会会報への寄稿文の抜粋です。この年の9月に亡くなられたオペラ歌手のジェシー・ノーマンさんを追悼して誌しました。
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エントランスのシャガールは、ニューヨークを舞台とする映画等でご存知の方も少なくないでしょう。
1987年1月。この日のメトロポリタン歌劇場のプログラムはワグナーの『タンホイザー』。
44歳のジェームズ・レヴァインさんが、タクトを振りながらメロディーを口ずさむのが聴こえてくる、特等席で舞台に見入っていました。
裸婦かと見紛う衣装のバレエ・ダンサーが、舞台奥から駆け込んで来ます。パリ版です。1861年、フランスでの初演時に、自分の愛人のダンサーを出演させたいという貴族たちの要望に応え、パリ版ではバレエが加えられたのです。また、ヒトラーが愛したことで、ユダヤ社会の反発があり、長く演奏されなかったワグナーの作品が、芸術と政治は別物であると解禁されたのが1980年代でした。ジェームズ・レヴァインさんもユダヤ系の音楽家です。
ワグナー初体験に夢心地だった私は、しかし、第2幕『歌の殿堂』あたりで時差ボケもあり、夢心地が過ぎて寝入ってしまいました。気がつくと、観客は、オーケストラピットを覗き込んだり、喉の渇きを癒しにロビーへ出たりと、放牧された羊のようにもこもこと移動しています。休憩に入ったのです。
“Long”
と、隣の席の蝶ネクタイの紳士が、うんざりしたような顔で話しかけてきました。私も、
“Long”
と、返しました。紳士はさらに尋ねてきました。(英語です)
“あなたは日本のデザイナーですか?”
つづく