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義仲寺

2018.04.08 04:42

https://ameblo.jp/sisiza1949/entry-12519944132.html 【行く春を近江の人と惜しみける】より

○義仲寺で頂戴した、「芭蕉翁の大津での句~八十九句~」には、元禄三年庚午(1690年)、芭蕉四十七歳の作とある。

○義仲寺には、多くの句碑が並んでいるが、意外に芭蕉の句碑がそれほど多いわけではない。「義仲寺案内」が記す、義仲寺境内の芭蕉句碑は以下の通り。

  行春をあふみの人とおしみける   芭蕉桃青

  古池や蛙飛びこむ水の音      芭蕉翁

  旅に病で夢は枯野をかけ廻る    芭蕉翁

これが義仲寺に存在する芭蕉句碑の全てである。その中で、近江での作は、「行春を」の句だけである。上記の句で、義仲寺に相応しいのは、「行春を」句だけであろう。

  木曾の情雪や生えぬく春の草

    膳所草庵を人々訪ひけるに、

  あられせば網代の氷魚を煮て出さん

など、明らかに義仲寺作と思われる秀句の句碑がここに無いのが残念である。  

○芭蕉には、「行く春」句が三句存在し、それがすべて名句であるのも何か面白い。

  行春にわかの浦にて追付たり

  行く春や鳥啼き魚の目は泪

  行春を近江の人と惜しみける

○中でも、秀逸なのは『行く春や鳥啼き魚の目は泪』句であろう。この句は、「奥の細道」矢立ての初めの句として、特に芭蕉自身、自信を持って世に送り出した名句である。詳細は、書庫「奥細道俳諧事調」の中で、ブログ「行く春や鳥啼き魚の目は泪ー句解1」から「行く春や鳥啼き魚の目は泪ー句解13」まで、延々と説明しているので、参照されたい。名句名句と喧伝されるわりには、意外とその実、句鑑賞はまるでいい加減である。芭蕉が恐ろしい作家であることが全く理解されていない。

○「行春を近江の人と惜しみける」句で、有名なのは、何と言っても、向井去来「去来抄」の、次の一節であろう。

    行く春を近江の人と惜しみけり   ばせを

   先師曰く「尚白が難に、近江は丹波にも、行く春は行く歳にもふるべし、といへり。汝いかが聞き

  侍るや」。去来曰く「尚白が難あたらず。湖水朦朧として春を惜しむに便り有るべし。殊に今日の上

  に侍る」と申す。先師曰く「しかり。古人も此國春を愛する事、をさをさ都に劣らざるものを」。去

  来曰く「此の一言心に徹す。行く歳近江にゐ給はば、いかでか此の感ましまさん。行く春丹後にゐま

  さば、もとより此の情浮かぶまじ。風光の人を感動せしむる事、まことなるなり」と申す。先師曰く

  「汝は去来、ともに風雅をかたるべきものなり」と殊更に悦び給ひけり。

○まるで去来の自慢話を聞いているようで、少々耳障りな話であるが、尚白が難もあながち的外れなわけではない。と言うか、至極もっともな話である。

○「堅田集」や芭蕉真蹟では、

    志賀辛崎に舟を浮かべて、人々春の名残を言ひけるに、

  行春やあふみの人とおしみける

とあるから、この句は初案では、「行春や」であったことが判る。琵琶湖畔・志賀辛崎で近江の人々と春の名残を語った時の句であると言うことになる。だから、芭蕉は近江の人々と一緒になって感じた、惜行春の感慨を述べた句となっている。

○それを、

  行く春を近江の人と惜しみける

とすることには、非常に無理がある。芭蕉が近江の人と共有したのが行く春であるとすれば、尚白が難じるように、行く春は行く歳でもかまわないし、近江の人は丹波の人であっても勝手だし、自由だろう。

○ただ、俳諧は即物詩であることを忘れてはなるまい。俳諧からその場面を切り取ってしまえば、その詩はもう俳諧ではなくなる。本来、俳諧は普遍的なものではなくて、その場限りの一時的な現象に過ぎないものを切り取って詠むものである。そういう即物性を尊重するからこそ、芭蕉は、「行春や」と言う感慨を捨て、「行く春を」と言う直截性を選択したのであろう。

○俳諧はそういう際どいところに存在する文学なのであって、和歌や詩とは、まるでその性格を異にしている。だから、何時、何処で、誰が詠んだ句なのかが必ず追求される。俳諧で、挨拶・切れ字・季節の三要素が問題とされるのも、そこに起因している。

○中句「近江の人と」にしたところで、同じだろう。尚白が難じるように、近江でも丹波でも良いのだけれども、芭蕉の場合、それが偶々近江であったに過ぎない。即物詩である以上、その場を選択する余地は作者芭蕉であろうとない。ニュートンの場合、それが偶々リンゴであったし、ワシントンの場合、それが偶々桜の木であった。別に、ミカンでも梨でも良いし、白樺でも樅の木でも良いわけである。

○しかし、芭蕉が「行く春を近江の人と」と詠む以上、「近江の人」は、特別な人であることも忘れてはなるまい。結婚する人は誰でも良いわけであるが、結婚した人は特別な人である。芭蕉にとって、「近江の人」は、唯一無二の運命の人であることだけは間違いない。

○去来に、芭蕉が『汝は去来、ともに風雅をかたるべきものなり』と殊更に悦び給ふ」たのは、実際は苦笑だったのかも。芭蕉にとって、それだけ、近江の人は特別であり、行く春が大事な事であった。

○だから、義仲寺には、「行く春を近江の人と惜しみける」句がよく似合うのである。


https://japan-geographic.tv/shiga/otsu-gichuji.html 【滋賀県大津市 義仲寺 - JAPAN GEOGRAPHIC】