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運動していなければ死んでます

2021.04.08 22:44

鍼灸師にとって何が必要なのかを書いてきましたが、それを追求していると、運動とは何かに突き当たります。


運動は人間の営みです。

運動とはスポーツと言う意味ではありません。 

歩くのも運動です。椅子から立ち上がるのも運動です。ご飯を食べることも運動です。呼吸をすることも運動です。だから生きている人は運動を止めたことはないのです。 つまり、運動をしないといけないと思うことは、自分は今死んでいると言っているのと同じです。


一般の人はスポーツ=運動だと思っているかもわかりませんが、生きるだけで運動になっている訳です。だから生きている人が運動を止めた人はいません。運動は、その人が生きていく上でなくてはならないもののはずです。根元的なことだからこそ、そこに注目する訳です。

これがわかることが一番、その人の状態を理解できることなのでは? 

と考えられます。

鍼灸師にとって必要なことは、根本的な運動を理解することなんじゃないかと思います。それを理解する前に治療をしても意味がないとすら思えます。 もちろん、スポーツを理解するということではありませんよ。

スポーツは、私の伝えたい運動とは違い、勝負という特殊な環境にある運動の延長線上にある枝葉です。でも、つながっているから共通する部分が多くあります。スポーツは外です。私の言う運動は内です。


ゴルフをやっている人にも共通します。テニスやバスケット、サッカーも全く同じです。その動きは何で成り立っているのかがわかれば基本的なことは同じです。基本は同じですが、スポーツにはスポーツの流儀があります。それは上手くなって相手を打ち負かすというゲームという土台があるので、やっぱり勝たなければ面白くはないのだと思います。

鍼灸治療も同じです。やっぱり痛みがとれたり症状が改善してもらわないと意味がない訳です。運動の観点から、どんな状態が良くて、どんな状態が悪いのかを、ある程度定義することは可能です。

その基準となるのは内なる運動の理解だと思います。


鍼灸治療における脉診や腹診は一つの基準にはなると思いますが、それを理解するのが簡単ではないことは、やってみればわかります。長年やっている人でも、どこまで理解できているかわかっていないようにも思います。


圧痛があったから悪いのか?

脈が乱れているから悪いのか?


もっと単純に、もっとわかりやすいことがあるはずです。もっと理解していなくてはならないことがあるはずです。脉診や腹診は、根本ではありません。その枝葉です。

動くとは何か?

これを理解しないとやっぱり何もはじまりません。