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俳句鑑賞 <「蛍」・「ほたる」・「ほうたる」>

2018.04.09 04:20

http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2017/06/post-39fe.html 【俳句鑑賞 <「蛍」・「ほたる」・「ほうたる」>】より       

・大蛍ゆらりゆらりと通りけり (小林一茶) 一茶の俳句にはおおらかな句が多いですね。

・学問は 尻から抜ける ほたる哉 (与謝蕪村) 掲句の解釈には、Turukame paradise の解説が参考になります。

・草の葉を落るより飛蛍哉 (松尾芭蕉)「きごさい」の「蛍(ほたる)仲夏」には様々な俳人の蛍の例句が掲載されています。

・手のうへにかなしく消る螢かな (向井去来)

・蛍火の今宵の闇の美しき (高浜虚子)

・かたまるや散るや蛍の川の上 (夏目漱石)

  NPOホタルの会「ホタルと日本人・蛍狩り」のサイト「蛍の文化史」に様々な俳句や短歌が紹介されています。

・手から手へ思ひを伝へ初蛍

  掲句は蛍狩りでチュヌの主人(薫風士)が初蛍を捕らえ、仲間に順に見せその喜びを伝えたことを詠んだ俳句です。チュヌの主人にとっては蛍狩りは童心に返る楽しいものです。単に「喜び」とせず、少しロマンチックな表現にして俳句会で高得点を得た俳句です。  

  蛍の鑑賞スポットをインターネットで検索すると、「るるぶ.com」の「ホタル観賞に行こう‼」や「死ぬまでには見ておきたい!関東の美しすぎる『ほたる鑑賞』スポット7選」というサイトなどがありました。

  インターネット歳時記には季語が「蛍・ほたる・ほうたる」の俳句が2000句余り掲載されています。気の向くままに下記に抜粋します。

(略)


http://turu3kame3.seesaa.net/article/411265260.html 【学問は 尻から抜ける ほたる哉】より

天明3年12月25日は、俳人であり画家の与謝蕪村の春星(しゅんせい)忌です。

松尾芭蕉、小林一茶と並ぶ俳諧の巨匠であり、俳画の創始者である与謝蕪村。画号は「春星」。

この惚けたようなユル~イ画がなんともいえません。学問は 尻から抜ける ほたる哉

いくら知識を頭に詰め込んでも、尻から出る屁のように、どんどん抜けていってしまうものだ。蕪村らしい屈託のない句です。

ここで言う「ほたる」は『蛍雪の功』をもじっているのでしょうか・・・・。

夏の夜、数十匹の蛍をつかまえて、その蛍の光で勉強した車胤(しゃいん)。

冬の夜、窓辺に雪を積み上げて、その雪明かりで勉強した孫康(そんこう)。

二人はその努力が報われて、偉い役人になったという故事に基づいたものですが、知識は貯めるものではなく、それをいかに活用するかが問題であると、蕪村は言いたかったのでしょうか。

学びて思わざれば、すなわち暗し。孔子のお言葉です。

教育の最大の目標は、知識ではなく行動である。こちらはイギリスの哲学者スペンサーのお言葉です。

教育とは、学校で習ったすべてのことを忘れてしまった後に、自分のなかに残るものをいう。これはアインシュタインの言葉です。

原文は

Education is what remains after one has forgotten everything he learned in school. The aim must be the training of independently acting and thinking individuals who see in the service of the community their highest life problem.

教育とは、学校で習ったすべてのことを忘れてしまった後に、自分のなかに残るものをいう。そして、その力を社会が直面する諸問題の解決に役立たせるべく、自ら考え行動できる人間をつくること、それが教育の目的といえよう。

知識ばかりの頭デッカチになってはいけないということでしょう。

屁のように尻から抜けた後に残ったものに、真価があるのかも・・・・・・。

「白梅に 明くる夜ばかりと なりにけり」 蕪村 辞世の句

新春の白梅が咲きほころぶ景色を想いながら、12月にこの世を去った蕪村です。