物おもへば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂かとぞみる
https://ameblo.jp/yuko-yoshida-teacher/entry-11151191425.html 【【5】物おもへば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂かとぞみる】(和泉式部、後拾遺1162)】 より
先日公開された映画『源氏物語 千年の謎』では、光源氏への想いや恨みが強くなった結果、生霊として、葵上を襲ってしまう六条御息所が、重点的に描かれていましたね。
田中麗奈の鬼気迫る演技に「怖い」と感じた方も多かったのではないでしょうか(^^;;
六条御息所
ああした、目に見えるような状態の「生霊」というものは、紫式部が「六条御息所」を描くことで確立されたのではないかと思います。
でも。。。
大宰府に左遷されて不遇の内に死んだ菅原道真が怨霊となって都に不吉な出来事をもたらしたということが皆に信じられていたように、平安時代には、今よりも、霊とか物の怪とか魂というものが、ずっと身近な概念でした。
六条御息所なんかは、肉体から魂が浮遊して、それが生霊として悪さをしてしまった訳ですが、生霊になるかどうかは置いておいて、魂が肉体から離れるということ自体は、良くあることだと考えられていました。
わざわざそれ用の動詞があるくらいです。
「あくがる」
(1) 魂が肉体からさ迷い出る。
((2) ふらふらさ迷い歩く。)
たとえば、好きな人のことを強く想う余り、心ここにあらず、魂がその人のところに飛んでいってしまったような状態に陥ったとき、この言葉を使うのです。
(ちなみに、魂が肉体を離れてそのまま帰ってこなくなってしまった=死、です。)
さて、今日は、その「あくがる」を使った和歌を一首。
物おもへば沢の蛍も我が身より あくがれいづる魂かとぞみる
(和泉式部、後拾遺1162)
【訳】
あなたが恋しくて思い悩んでいると、沢に飛んでいる蛍も、自分の身体からさ迷い出てきた魂なんじゃないかと思うわ。
和泉式部と言えば、恋多き女として有名ですが、これは、最初の夫・藤原保昌を想って詠んだ歌だとされています。
縁結びのご利益もあるといわれる貴船神社に参詣した際に、御手洗川に蛍が飛ぶのを見て詠んだのだそうです。
女の人はただひたすらに夫の訪問を待つしかなかった時代。
せめて、魂だけでも、蛍になって空を舞い、夫のところに飛んでいけたら良いんですけどね(^^;;
ちなみに、蛍の火(ひ)が、恋の「思ひ」の「ひ」と掛詞になるということもあって、
夏の蛍を恋と絡めて詠んだ歌は他にも幾つか残されています。
音もせで思ひにもゆるほたるこそ鳴く虫よりもあはれなりけれ
(源重之、後拾遺216)