追悼 ジェームズ・レヴァインさん(1.2)
以下は、2019年10月の鹿児島市歯科医師会会報への寄稿文の抜粋です。この年の9月に亡くなられたオペラ歌手のジェシー・ノーマンさんを追悼して誌しました。
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エントランスのシャガールは、ニューヨークを舞台とする映画等でご存知の方も少なくないでしょう。
1987年1月。この日のメトロポリタン歌劇場のプログラムはワグナーの『タンホイザー』。
44歳のジェームズ・レヴァインさんが、タクトを振りながらメロディーを口ずさむのが聴こえてくる、特等席で舞台に見入っていました。
裸婦かと見紛う衣装のバレエ・ダンサーが、舞台奥から駆け込んで来ます。パリ版です。1861年、フランスでの初演時に、自分の愛人のダンサーを出演させたいという貴族たちの要望に応え、パリ版ではバレエが加えられたのです。また、ヒトラーが愛したことで、ユダヤ社会の反発があり、長く演奏されなかったワグナーの作品が、芸術と政治は別物であると解禁されたのが1980年代でした。ジェームズ・レヴァインさんもユダヤ系の音楽家です。
ワグナー初体験に夢心地だった私は、しかし、第2幕『歌の殿堂』あたりで時差ボケもあり、夢心地が過ぎて寝入ってしまいました。気がつくと、観客は、オーケストラピットを覗き込んだり、喉の渇きを癒しにロビーへ出たりと、放牧された羊のようにもこもこと移動しています。休憩に入ったのです。
“Long”
と、隣の席の蝶ネクタイの紳士が、うんざりしたような顔で話しかけてきました。私も、
“Long”
と、返しました。紳士はさらに尋ねてきました。
“あなたは日本のデザイナーですか?”(英語です)
世はデザイナーズブランドブーム。私はマイルス・ディヴィスも愛用した、アーストンボラージュという日本のブランドのスーツという出で立ち。ボーナスで購入したバーゲン品です。
実はこの頃、芝居じゃ食べていけないと俳優をやめて、音楽制作会社(Tube等所属)に勤めていました。渡米費用もボーナスで賄いました。
”No, I’m an actor”
口をついたActorという言葉。結果的には、帰国後、俳優に復帰しましたので、私が演劇を続ける契機となったやり取りです。
蝶ネクタイの紳士は 、
“スタイリッシュなので、日本の若いデザイナーかと思いました”
と、笑った後、
”私は、ジェシー・ノーマンのマネージャーで、ハロルド・ショウと言います”
と、名刺をくださいました。ジェシー・ノーマンさんは、この日の『タンホイザー』のエリザベート役を演じた、黒人オペラ歌手の草分け的存在です。すごい人が声をかけてくださったのです。
その後、ハロルド・ショウさんが来日されると、秋葉原を案内したり、またショウさんの抱えるアーティストのコンサートに招待いただいたりと、交誼は私が東京を引き払う2005年まで続きました。
残念ながら、ショウさんは2014年に90歳でお亡くなりになりました。そして、今年9月30日に、ジェシー・ノーマンさんの訃報が届いたばかり。74歳でした。(引用ここまで)
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そして、先日(2021年3月9日)、この時の指揮者、ジェームス・レヴァインさんもご逝去されました。77歳でした。
実はレヴァインさん、2018年3月に、性的虐待疑惑でニューヨークのメトロポリタン歌劇場の名誉指揮者を解雇されていました。
ユダヤ人がワグナーを赦したように、レヴァインさんの音楽も赦されるのでしょうか。
人が人を描くことが難しい世の中になったことは確かです