トランプとドゥテルテの南シナ海対応
次期大統領ドナルド・トランプの登場で、国際政治の舞台では、各国とも米国への向き合い方やリーダー同士の立ち位置にも、さまざま変化が生じている。安倍総理は各国首脳に先駆けてトランプ氏との会談を実現し、「トランプは信頼に足る指導者だ」と世界に公言した。一方で、国際政治の行方を占う上で注目すべきは、トランプとプーチンの米ロ関係、トランプと習近平の米中関係の行方がどうなるかだ。トランプが宣言したTPPからの離脱や在日米軍の駐留経費見直しも大きな問題だが、米国の対中政策、対アジア政策の今後を考えるとき、トランプが南シナ海問題にどう向き合うかは、この地域の将来を占う一つのメルクマールになるかもしれない。
中国は、トランプの登場とその政策を歓迎しているようだ。選挙運動期間中の発言をそのとおり実行するとすれば、①日本と韓国に駐留している米軍が撤退し、②韓国へのTHAAD(高高度ミサイル防衛システム)の配備もなくなり、③米国の南シナ海への関心は低下するはずだと中国は見る(サウスチャイナモーニングポスト11月16日 Cary Huang署名記事)。そうなったら、東アジアには、力の空白が生まれ、その空隙を中国が埋めることになる。南シナ海は、文字通り中国の内海となり、米海軍の空母や原潜は近寄ることもできなくなる。日本のシーレーンは中国に支配され、首根っこを押さえられたも同然だ。
さらに恐ろしいのは、米国のTPPからの撤退により、中国を取り囲み、中国を封じ込めようとしてきたリング(環)が破れ、米国に次ぐ経済大国として中国は貿易・投資のルール作りで、イニシアチブを取ることになることだ。アジア太平洋は、中国に覇権を握られ、いちいち中国の顔色を窺わなければ何もできなくなる。これはまさに地球全体にとっての悪夢だ。
ところでトランプの登場で、中国が思い描くように事態が進むかどうかは疑わしい。トランプはオバマ以上に中国に対して強硬な姿勢を示すはずだと考える米国の安全保障の専門家は多い。『中国4.0 暴発する中華帝国』の著者で戦略家のエドワード・ルトワック氏は、「オバマ政権には、言葉で中国を説得できるという希望があった。トランプ氏はそのような幻想を共有することはまずなく、米太平洋軍にシーレーンを守る任務をやめさせることもないだろう」(読売新聞11月18日)と述べ、トランプの米国は中東への関与をやめ、プーチンとシリア問題などで協調することで、軍事資源を中国封じ込めのために振り向け、より力強い中国への対抗手段をとるだろうという見方を示す。トランプの登場で、南シナ海への米軍の関与が強まり、米軍の駐留経費負担をめぐる問題を契機に日本や韓国が独自の軍備を増強し、さらにフィリピンやマレーシアなど東南アジアの弱小国と日本、豪州などとの同盟関係がいっそう強まることは、「トランプ効果」として歓迎できる事態で、逆に中国にとっては危惧する状況となるはずだ。
トランプは選挙キャンペーン中も、中国からの輸入品に45%の関税をかけるとか、中国を為替操作国に認定するなどと、中国に対しては強硬な発言を繰り返してきた。中国にとって、トランプの登場は楽観的に捉えるべきか、悲観的に見るか、判断はまだ先になりそうだ。
ところで、南シナ海問題を考えるとき、引き続き米軍の果たす役割が鍵となると同時に、そのキープレーヤーはドナルド・トランプとロドリゴ・ドゥテルテの二人かもしれない。オバマ大統領に対しては「売春婦の息子」だとか「地獄に堕ちろ」と口汚く罵倒したドゥテルテ氏も、「トランプがいるアメリカとは喧嘩はしたくない」と、殊勝な態度に改めている。トランプとドゥテルテの組み合わせは、互いに性格が似通って馬が合う可能性もあり、米比二国間関係の改善も期待できないわけではない。
ところで、先日開かれた「南シナ海問題を考える会」(代表・宮崎正弘氏)主催のシンポジウム(11月5日拓殖大)で、フィリピンの国際法学者で比下院議員のハリー・ロケ氏(Herminio Harry L Roque Jr.)の講演を聞く機会があった。
ロケ氏は、本人の説明によると、中国が占拠するスカボロー礁の問題を国際司法裁判所に訴えることをアキノ前大統領に建議し、結果的に常設仲裁裁判所から「中国の南シナ海に対する領有権の主張は歴史的な根拠がない」という裁定を勝ち取るきっかけを作った。また、ドゥテルテ大統領の北京訪問にも同行し、スカボロー礁近海でのフィリピン漁民の操業再開に繋げることになった中国との秘密交渉の舞台裏も知っているとの口ぶりだった。
そのロケ氏の米国に対する発言はドゥテルテ氏以上に辛辣を極めた。
「米国のプレゼンスこそ、南シナ海での緊張を高めている」とし、「米軍の駐留より、他の国の軍隊の駐留を望む」とまで発言した。かつてフィリピンを植民地支配した米国が、いまだにフィリピンを属国扱いする、その宗主国的な態度が気にいらないらしい。米国とフィリピンは、1951年に相互防衛条約を結び、外国から攻撃を受けたときには互いに支援することを確約している。しかし、ミスチーフ礁が中国に奪われた1995年も、スカボロー礁が中国によって占拠された2012年も、米国は何もしてくれなかった。オバマ大統領は、日本に対しては尖閣諸島は日米安保条約の適用対象だとし、尖閣の防衛を約束した一方で、南シナ海問題では、国際法に基づきフィリピンが自ら問題処理を行うべきだと発言し、あからさまにフィリピンと日本を差別して扱ったとロケ氏は憤慨する。(ロケ氏の講演の詳細は、末尾に記載する)
中国の南シナ海支配に対抗するためには、フィリピン、ベトナムなど関係国と米国との連携・協力は欠かせない。フィリピンやベトナムなどがそれぞれ一国で中国に対峙しても、かなわないのは目に見えている。中国からの援助を引き出そうとするドゥテルテ大統領は、中国との二国間交渉に重点を置き、中国の戦術に嵌るという危うさを見せている。米国嫌いが高じて、むしろ中国やロシアが主導する国際ルールに参加したいと表明するほどだ。
中国が、南シナ海問題をASEANなど多国間ではなく、あくまで二国間の問題として処理しようと固執するのは、古代戦国時代の昔から「合従連衡」という“騙しあい”の外交戦術に長けた中国は、大国の脅威に対抗するため周辺の弱小国が同盟関係を結んで共同対処しようとする「合従策」(従=縦に同盟する)に対しては、各国個別の利害に訴えて二国間の関係をもちかけ、多国間の同盟関係を分断する「連衡策」のほうが有利であることを熟知しているからだ。
その点、古くから大陸シナの圧力にさらされ、その弱点も知っているベトナムはフィリピンとは違って、南シナ海問題は多国間交渉で解決するという姿勢を貫いている。同じ「南シナ海問題を考える会」のシンポジウムで講演したベトナム外務省顧問で元駐オランダ大使のディン・ホアン・タン氏(Dihn Hoang Thang)は、「南シナ海の問題は、二国間の問題とは見ていない。スカボロー礁や尖閣が中国の最終目標ではない。彼らの目標はもっとはるか先にある。毛沢東は6億の中国の農民を東南アジアに送り出すこともできると表明したこともあった。すべての関係国を巻き込むことが、地域のバランスを保つためには必要だ。パワーバランスを保つためには中、日、米の役割は不可欠だ」とし、その上で、日本の安保法制改定は、第二の明治維新だとも称賛していた。
アジア太平洋の将来を占う南シナ海問題に処理に当たっては、互いに「暴言王」といわれるドゥテルテとトランプが意気投合することによって、オバマ時代より米比関係の改善が進み、米軍の南シナ海への関与が強まることを期待したい、というのが日本を含めた周辺関係国の思いではないか。さらにグアムやサイパンなど西太平洋に自治領を有し、西太平洋からインド洋までを責任範囲とする第7艦隊を運用する米国にとって、南シナ海は死活的に重要なシーレーンであり、それを死守することを闡明してほしいと願う。
ディン・ホアン・タン(Dihn Hoang Thang)氏、およびハリー・ロケ(Herminio Harry L Roque Jr.)氏の講演の詳細は以下の「緊迫する南シナ海情勢」ホームページで閲覧できる。http://minamishina.sakura.ne.jp/
(ただし、ディン・ホアン・タン氏の講演原稿で「日本海」とあるのは「南シナ海」の誤記。またハリー・ロケ氏の講演内容は予定原稿であり、実際の発言は以下の通り(通訳者の翻訳に基づく)。
「緊迫する南シナ海情勢」でのハリー・ロケ氏の講演内容
~日本とフィリピンのあるべき協力関係について~
スカボロー礁の問題をめぐって2012年に提訴した。スカボロー礁はルソン島から124マイル、パラワン、スプラトリーからは300マイル離れている。スプラトリーはフィリピン、ベトナム、ブルネイ、マレーシア、それに中国が関与している。
スカボロー礁からフィリピン漁民が排除されたとき、国際司法に訴えるべきだと強く主張した。われわれに向かって銃を突きつけている大国・中国とどうして交渉話し合いができるというのか。
仲裁裁判所での採決を強く主張したのは、国際法に従って両国間を束縛する国際法の決定に至るからである。中国も、国際海洋法条約に批准しているので、そこに規定された条項を遵守する責任を有している。前大統領のアキノには、結婚式の仲人をしてもらった関係もあり、当時私は学者でもあったが、仲裁裁判所に提起することを政府に対して強く訴えた。
スカボロー礁をめぐるさまざまな交渉の過程で、アキノ大統領は、仲裁裁判所の決定がでるまで外交交渉をストップして、仲裁裁判所の決定を待った。私は逆に、仲裁裁判所のプロセスが、中国と交渉する梃子になると大統領に説明した。同時に交渉をストップするのではなく、交渉を続けたほうがいいともアドバイスした。というのは、中比の間の紛争は仲裁採決が出ただけでは最終的な解決には至らないからである。交渉の梃子にはなるが交渉は継続しなければならない。仲裁裁判所の判決では、二国間の間にあるさまざまな問題をどう定義するか、たとえばEEZなど海洋法に照らしてどう位置づけられるか、ということを明確にするだけで、それは交渉の梃子には使えるが、交渉は継続するべきだと考えた。私がいま考えているのは、仲裁採決を梃子にさらに中国と交渉を強固に重ねる、これが重要だということだ。幸いにも、判決では、私たちは圧倒的な勝利を得ることができた。この判決はただ単にフィリピンの全面的な勝利というだけでなく、海洋法条約に関わるすべての国の勝利である。というのは海洋法条約の約束事は、すべての今回の判断に従って行っていくことになるからだ。海洋法条約によって決められている、たとえば領海やEEZ、公海、など、そこに規定されていること以外はすべて違法だということを明確に示したからである。重要なことは、中国が建設した人工島、軍事施設は、フィリピンのEEZ排他的経済水域内にあるので、それを建設できるのはフィリピンだけである。ただし、EEZについてフィリピンは100%完全に勝利したわけではない。スカボロー礁はEEZ内に入っていることははっきりしている。フィリピンの漁民だけが漁業ができる。中国がフィリピンの漁民をそこから排除しようとするのは、完全に海洋法条約違反である。
仲裁裁判所の審理が始まってから、私はアキノ大統領を辛辣に批判してきた。非常に
悲しいことだが、仲裁裁判所のプロセスを梃子に中国と交渉するように提言してきた
が、大統領はそれを実行しなかった。常設裁判所に提訴しなければ、スカボロー礁の
問題だけに終わったかもしれないが、スプラトリー諸島のほうは、海洋法条約だけで
なく領土問題も関係してくる。しかし、仲裁裁定ではスカボロー礁にはフィリピンだ
けではなく中国にも漁業権があることを認めている。フィリピンの漁民が排除された
事態を受けて、仲裁裁判所に提起したが、判決自体が比漁民の漁業権を保障すること
はない。スカボロー礁では訴えた漁民は漁業ができることになった。これによって、
中国とフィリピンは再び交渉のテーブルに着くことが可能になった。すべての関係国
がスカボロー礁では漁業ができる。交渉するのはどのような方法で漁業するかを決定
することだ。仲裁裁定は、アキノ氏の退任のあとに出されたものだった。アキノ大統
領の外交政策の基本は、アメリカに依存してこの問題を解決しようというものだっ
た。1951年に米比防衛条約ができて、フィリピンが外国によって侵略されたときは米
国が兵を出すと約束していた。この条約に基づいて米軍の比駐留を許し、米軍と比軍
の共同訓練を実施してきた。アキノ大統領は米比相互防衛条約の強化をねらってい
た。これによって米軍の再駐留や比への武器供与も可能になった。西フィリピン海
(南シナ海)で中国が軍事行動を起こしたときは、比防衛のために米軍が駆けつける
約束があった。だからアキノは、中国がこの海で行動を起こすたびにワシントンDCを
訪れて、米側に報告していた。しかし、条約に従って米軍が助けに来ることは一度も
なかった。1990年、中国は比からミスチーフ諸島を奪った。本来は米軍が出てきて
守ってくれるはずだったが、米軍は指一本出さなかった。2012年、中国はスカボロー
礁を比から奪った。今度も米軍は指一本挙げなかったことに比国民は失望した。米国
はフィリピンを、(同じ同盟国なのに)まるで日本より劣る国であるかのように扱っ
たのだ。こうした事態のなかで、日本を訪問したオバマ大統領は、尖閣に中国が攻め
てきたら、米軍は必ず日本を守ると約束したではないか。しかし、そのオバマは、
フィリピンに対しては、中国との問題は、国際法に基づいて自分たちで解決すること
を望むとだけいった。オバマは尖閣を守るといいながら、実際に中国に占拠されたミ
スチーフやスカボロー礁については、相互防衛条約があるにも関わらず指一本動かさ
なかったのである。このことが、西フィリピン海に対するフィリピンの外交政策を根
本から変えることに繋がった。今回の仲裁裁定のあとで、ドゥテルテ大統領は、この
判決をどう扱うか対応を迫られた。アキノ前大統領は、この判決を中国に圧力をかけ
るために使うべきだといった。小さな国が、巨大な中国に判決に勝ったと叫ぶという
ことだ。しかし私は新政権の外務大臣に聞かれたとき、中国にどんなに裁判での勝利
を訴えても領土問題は解決できない、と言った。領土領海問題は、海洋法条約だけで
は解決できない。国際法にもとづく新たな交渉が必要だ。アメリカに言われたかと
いって、中国に勝った勝ったと言っても意味はない。中国は判決は紙くずだといいな
がら、交渉しようとも言ってきた。中国側との秘密裏の交渉を一ヶ月ほどした。中国
は表面的には判決は紙くずだと言っているが、比の漁民はふたたびスカボロー礁で操
業できるようになった。これはドゥテルテ大統領が北京を訪問した2日後に実現し
た。この裏には秘密交渉があった。これは新大統領の独立した新たな外交方針でも
あった。私の個人的な経験でも、過去、中国の官僚は、フィリピンを独立国として
扱ったことはなく、アメリカの操り人形(属国?)と見ていた。中国はフィリピンと
の合意は、アメリカとの合意でもあると見ていた。ドゥテルテの出現で、はじめて
フィリピンが自らの利益を優先した独立国として認識するようになった。これによっ
て中国はスカボロー礁での操業も認めることになったのだと思う。私は実際にドゥテ
ルテ大統領の北京訪問に同行した。我々は、スカボロー礁に関する合意文書を発表し
たかったのだが、実際には、ここの用語や表現について合意できなかったので発表で
きなかった。中国は「許す」allow あるいは「認めるpermit」という言葉を使いた
がった。われわれが伝統的に漁業してきた場所であるのになぜ今更、中国から許可を
得なければいけないのか?それにも関わらず、われわれはフィリピンの漁民が実際に
漁業を再開できる道を選んだ。多くの日本国民は、今、フィリピンは親中になったと
思っているかもしれない。まったくそうではない。独立した外交政策という意味は、
フィリピンの国益を追求するということだ。それはいかなる大国にも、米国にも中国
にも依存しないということだ。ドゥテルテは李克強に会ったとき、「これからフィリ
ピンはアジアに目を向ける。中国、日本、ロシアだ。米国はただ単に遠すぎる」と
言った。そのすぐ後に、彼は日本を訪問した。彼は北京で言ったことをそのまま実行
して見せた。繁栄した中国からは、もちろん投資や経済の面で恩恵を得ている。しか
し、それはごく最近になって出てきた話である。しかしドゥテルテ大統領の日本訪問
はまったく違う。日本とフィリピンの関係というのは、貿易・投資の両面で、非常に
長く、強いものである。フィリピンの最大の投資国は日本であり、今後もそれが継続
することを望んでいる。貿易商品は中国製より日本製品が優れているのは間違いな
い。今回、日本に5日間滞在し、日本記者クラブで記者会見し、メディア7社のインタ
ビューを受けた。不幸にも、ドゥテルテ大統領の訪日の意味は、日本国民に十分に理
解されていない。私は野党の下院議員だが、説明する責任を感じた。独立した政府と
いうのは、アメリカの植民地支配という関係を断つことです。そして隣国の中国や日
本と絆を強めること。日本とフィリピンには多くの類似点がある。ともにアメリカの
占領を受けた。ドゥテルテは、「われわれはついにアメリカの植民地統治から自由に
なった」と宣言した。日本の国民にも同じ気持ちを持って欲しいと思う。
質疑応答で
(ロケ氏)米軍の駐留より、他のアジア諸国の軍の駐留を望む。米軍が駐留してもミ
スチーフやスカボロー礁への中国の侵出をストップできなかったからだ。
(タン氏)南シナ海の問題は、二国間の問題とは見ていない。スカボロー礁や尖閣
が中国の最終目標ではない。彼らの目標はもっとはるか先にある。毛沢東は6億の中
国の農民を東南アジアに送り出すこともできると表明したこともあった。すべての関
係国を巻き込むことが、地域のバランスを保つためには必要だ。パワーバランスを保
つためには中、日、米の役割は不可欠。それがPCAハーグ仲裁裁判所の深い意味合い
だと思う。