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先づたのむ椎の木も有り夏木立

2018.04.10 04:15

https://ameblo.jp/sisiza1949/entry-12519944234.html 【先づたのむ椎の木も有り夏木立】より

○幻住庵跡には、一本の椎の木があって、この木が「幻住庵記」が記す、

  先づたのむ椎の木も有り夏木立

であると言うのだろう。しかし、幻住庵跡に存在する椎の木は、どう見たところで、三百年もの歳を経たものとは思われない。おそらく二代目か三代目の椎の木なのだろう。

○松尾芭蕉は、「幻住庵記」の最後を、『先づたのむ椎の木も有り夏木立』で終えている。

かく云へばとて、ひたぶるに閑寂を好み、山野に跡をかくさむとにはあらず。やや病身人に倦みて、世をいとひし人に似たり。つらつら年月の移りこし拙き身の科を思ふに、ある時は仕官懸命の地をうらやみ、一たびは佛籬祖室の扉に入らむとせしも、たどりなき風雲に身を責め、花鳥に情を労して、暫く生涯のはかり事とさへなれば、終に無能無才にして此の一筋につながる。楽天は五臟の神を破り、老杜は瘠せたり。賢愚文質の等しからざるも、いづれか幻の栖ならずやと、思ひ捨てふしぬ。 先づたのむ椎の木も有り夏木立

○岩波日本古典文学大系本「芭蕉句集」には、『先づたのむ椎の木も有り夏木立』句に、さまざまな前書きが存在していることを、補注に提示する。

   岷辰集」   

石山のほとりに仮りなる庵をしつらひて、  先づたのむ椎の木も有り夏木立

  ◆嵶Ρⅱ?

石山に籠るとて、   先づたのむ椎の木も有り夏木立

  「鳥の宿」

湖水のほとりにただよふ鳰の浮き巣の流れ留まるよすが、芦の一葉の情捨てがたき事 侍るまま、しばらく杖をすて草鞋をときて、   先づたのむ椎の木も有り夏木立

  ぁ崘両嵎現検

石山の奥国分といふ処に人の結び捨てたる庵あり。幻住庵といふ。清陰翠微の佳境、いとめでたき眺望になむ侍れば、元禄三年卯月の初めにしばらく尋ね入りて

先づたのむ椎の木も有り夏木立

○岩波日本古典文学大系本「芭蕉文集」には、別に「幻住庵記」異本を載せている。

我強ひて閑寂を好むとしなけれど、病身人に倦みて、世を厭ひし人に似たり。いかにぞや、法をも修せず、俗をもつとめず、仁にもつかず、義にもよらず、唯若き時より横ざまに好ける事ありて、暫く生涯のはかりごととさへなれば、萬のことに心をいれず、終に無能無才にして此一筋につながる。

凡そ西行・宗祇の風雅における、雪舟の絵に置る、賢愚ひとしからざれども、其貫道するものは一ならむと、背をおし腹をさすり、顔をしかむるうちに、覚えず初秋半ばに過ぎぬ。一生の終りも これにおなじく、夢のごとくにして又々幻住なるべし。

    先づたのむ椎の木も有り夏木立

    頓て死ぬけしきも見えず蝉の声

      元禄三夷則下                     芭蕉桃青

○また、岩波日本古典文学大系本「芭蕉句集」、『先づたのむ椎の木も有り夏木立』句補注には、この句の典拠として、

・並び居て友を離れぬこがらめのねぐらに頼む椎の下枝(西行法師:「山家集」)

・立ち寄らむ影と頼みし椎が本むなしき床になりにけるかな(「源氏物語」:椎が本の巻)

・片岡のこの向かつ峯に椎蒔かば今年の夏の陰に比へむか(「万葉集」:巻七:詠岳:1099)

などが挙げられていると紹介しながらも、その要はないとする。

○ただ、伝統的に、上記のような考え方が椎の木に存在したことは見逃せない。当然、芭蕉はそれを踏まえてこの句を詠んでいることは間違いない。

○本来、椎の木は神楽庭などにも採用される聖なる木であることも考慮すべきであろう。幻住庵が存在するのは、近津尾神社境内であり、すぐ隣には近津尾神社の社務所がある。決して幻住庵は孤庵ではないのである。それに本来、近津尾神社そのものが石山寺の鎮守として創建された経緯もある。その祭神も誉田別尊(応神天皇)で、それは八幡宮と同じである。

○そういうことを考えれば、芭蕉が、『先づたのむ椎の木』と詠む椎の木は、どう考えても近津尾神社への挨拶と見るほかない。ある意味、「椎の木」そのものが近津尾神社を象徴していると思われる。芭蕉にとって、頼もしい存在が隣人でもある近津尾神社であったのであろう。

○現在、近津尾神社は無人の社であるように思われたが、芭蕉の時代、ここには神主がいて、使用人も存在し、芭蕉は炊事や雑役など、近津尾神社のお世話になっていたように思われる。それがこの句の本意なのではないか。


https://blog.goo.ne.jp/t-hideki2/e/88c573643fbe078f5ccad48e2c39ba42 【夏木立】より

        先づ頼む椎の木も有り夏木立     芭 蕉

この句は、「幻住庵記」と続けて解してみることが大切だと思う。その終わりの部分の、「かくいへばとて、ひたぶるに閑寂を好み、山野に跡をかくさむとにはあらず、やや病身人に倦(う)んで、世をいとひし人に似たり。つらつら年月の移りこし拙(つたな)き身の科(とが)をおもふに、ある時は、仕官懸命の地をうらやみ、一たびは仏籬祖室の扉(とぼそ)に入らむとせしも、たどりなき風雲に 身をせめ、花鳥に情を労じて、しばらく生涯のはかり事とさへなれば、終に無能無才にして、此の一筋につながる。楽天は五臓の神(しん)をやぶり、老杜は痩せたり。賢愚文質のひとしからざるも、いづれか幻の栖(すみか)ならずやと、おもひ捨ててふしぬ」

 という心の流れの中で、この句を誦すると、「先(ま)づ」は「ともかくも」とか、「何はともあれ」とかいう気持をふくんだ「しばらく」、「かりに」という心に解せられよう。

 この椎の木の大きく覆った庵に入って、何はともあれ、ほっとした気分になった、その心から「先づ頼む椎の木も有り」と発想されたものである。

 「先づ頼む」は、単に炎熱を避ける木蔭として感じられたりしただけのものではない。それは、「いづれか幻の栖ならずや」というような、「先づ頼む」ところの栖でなくてはならない。「いづれか幻の栖ならずやとおもひ捨て」る心が、人生と人の世の肯定に、しばらく落ち着こうとする気息を言い留めているのである。

 「夏木立」が季語。実際の夏木立に触れての発想だと思う。「先づ頼む椎の木も有り」との関連で、「夏木立」はあたり一面の夏の樹木で、椎の木はその中の一本なのか、椎の木が夏木立として「先づ頼む」に足るものなのか、という疑問がおこるが、後者の方が幻住庵を生かすと思うので、それを採る。

「さまざまな紆余曲折があったが、結局は俳諧一筋につながってきた我が身である。その身を、この幻住庵に寄せようと立ち寄ってみると、ここは夏木立をなす大きな椎の木もあって、それが庵を覆っており、何はともあれ、しばし身を寄せるよすがとしてはまことにふさわしいものだ」

      ふりかへり巫女に一礼 夏木立     季 己