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『他界』

2018.04.10 07:59

https://kanekotota.blogspot.com/2015/06/blog-post_9.html 【『他界』金子兜太】より

もう一度読んでみたい本です。

なにも怖がることはない。

あの世には懐かしい人たちが待っている。

竹丸は死ねば終わりだと思っていたがこの言葉を見た時勇気を貰った。宗教心の薄い日本人は来世なんてバカなーというのが大方だが来世では、懐かしい人たちと会ってつもる話や共に楽しむことが出来るのだ。

誰に会いたいか??

それは両親だ。

この言葉を思う度、心の支えとなります。

『他界』金子兜太著/講談社/1300円+税 講談社 2014-12-11

第1章 92歳でがんの手術に挑む

第2章 オレは" いのち運"が強い

第3章 定住漂泊

第4章 「生き物感覚」というふたつの触覚

第5章 アニミズムは「いのち」の本当の姿を教えてくれる

第6章 自分のなかの他界の手触り

第7章 70歳「立禅」で他界人と対話する

第8章 理想の他界

第9章 95歳の他界説

「他界」より抜粋   金子兜太

若い頃は、一貫してブレないことに執着して、常に同じ意見や考えをよしとするところがありますが、それは自分の中で微妙に辻褄を合わせているだけのことかもしれませんよ。一貫性がないと言われることをひどく恐れている、悪いことだと思っている。二言で言うと無理しているということだ。

他界はある、いる場所が変わるだけ

 そうやって自分の本当の気持ちをありのままに見ていくと、死が怖いのは、やっぱり自分がこの世から完全に消滅してしまう、これが怖いのではないでしょうか。特に体調が悪かったり、夕暮れになったりすると、気持ちもだんだん暗くなるし、いろいろ考えてしまう。実際にわたしだって、このまま死ぬんじゃまだもったいねえなあと思ったり、嫌だなあなんて思うこともたびたびあります。

 そんなとき、「いや、オレは他界を信じている男だったんだ」と、自分で よいと自覚しますと、その怖いという気持ちがかなり薄らいでくるんですね。そして、いる場所が変わるだけだと。そこには女房が待っているんだ、おやじがいるんだ、おふくろもいる。川崎みたいに樫の木になった奴もいるんだと思うと、本当にこれははったりでも何でもなく、そのうちそんなに死ぬことが怖くなくなってくる。これは不思議なんだな、他界が向こうからやってきて、こちらに馴染もうとしてくれてるみたいだ。

そうしているうちに、まぁ、このまま眠ってすーっと死んでいけばいいんだがら、どうってことはねぇなと最後はワリスッとする。ここでスッとできるのは、やっぱり称名をしているおかげだと思うんですね。あの懐かしい連中に逢える。それから自分でもなんでなんだかよくわからいんですが、やっぱり他界はあると思っていることも大きい。

 お医者さんたちのなかには、死んで三十分ぐらいするとみなさんものすごくいい顔になると言う方がおりますね。これはきっと次の世の中があるな、いいところに行くに違いねえってね。

 わたしが、昔読んだ臨死体験をした人のことが書かれた本には、「死にかけてくるといい音楽が聞こえてくる」とありました。その音楽が流れるなか、花がいっぱい咲いている花園のようなところをずっと歩いて行くという。そんな気持ちのいい状態でいたのに、ちきしょうめ、俺を起こしやがってと思ったところで生き返った。薄汚ねえ世の中に戻ってきちゃったという気持ちだったと臨死を体験した大は怒っていました。

 考えてみれば、わたしたちはみんな生まれる前にどこにいたのかそんな記憶は全くないわけです。だったら亡くなった後、かつて自分が生まれる前にいたところへ戻っていくと考えても全然不思議じゃない。少なくとも今わたしたちが想像しているほど、死は現実的にそんなに怖いものじゃないようだという気 がします。

【評者】嵐山光三郎(作家)

立禅とは??

無神論者だから特定の神仏は信仰していないが、郷里の椋神社を祭った神棚の前で、死んだ人の名前を小声で称えるようになった。立ったままで、記憶に深く残る人の名前を称える。いまのところ全部で百二十人ぐらい。

 目をつぶって名前を称えていくと、不思議なことに、体や頭がすーっとしてくる。先生あり、大先輩あり、呼びすてあり、苗字やあだ名だけのような人もいる。両親や女房の名は一番最後になり、ちょっと別仕立。毎朝やって、順調にいくと三十分。名前が出てこないときは四十分かかる。

 記憶力が活性化され、つづけていくうちに、他界がリアルに感じられる。毎朝、亡くなった人たちと交流会をやって会話をする。がんの手術で入院したときは、ベッドの横に

立ってやった。

 金子兜太氏にあっては、俳句即生命である。他界はすぐ近くの故郷のなかにある。野生の自由人が定住漂泊しつつ実施する「立禅」という秘儀の極意を見よ。


https://www.sankei.com/life/news/180221/lif1802210045-n1.html 【人間の生や自然を凝縮 反骨の俳人】 より

 20日、98歳で亡くなった俳人の金子兜太さん。人生の達人というべき、自由かつ自然な生き方、飄々(ひょうひょう)とした笑顔の根底にあったのは悲惨な戦争体験と、内に秘めたる反骨心だった。

 日本銀行へ入行してから応召し、トラック島へ。補給線を絶たれた悲惨な状況下で多くの部下、戦友を亡くした。それが転機となる。

 インタビューで金子さんは、「大学では講義にも出ず大酒をくらって自由人を気取っていた。それが戦争に行って部下や仲間が次々と餓死していくのを目の当たりにして自分の『甘さ』を思い知らされました。生きて帰れたら今度こそ生き方を改善しようと決めたのです」と語っている。「水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る」は、トラック島を去るとき、亡き戦友に手向けた一句だ。

 復員後は、日銀に復帰、サラリーマンと俳句の“二足のわらじ”をはき続ける。日銀では、東大の同期生らが、局長や理事に出世してゆく中で、組合運動と句作に没頭。与えられた仕事は「金庫番」で、最後まで係長のままだった。

当時、通信社記者から日銀副総裁に抜擢(ばってき)された藤原作弥さんから副総裁室に招かれたことがあったが、金子さんは、「さすがに広くて、立派な部屋でしたが、私は『大したことねぇな』と。昔から、反骨心が強くて意固地になるタイプなんですよ」と自分のスタイルを変えようとしなかった。

 俳句と人生の手本と仰いだのが、江戸時代の俳人、小林一茶がいう「荒凡夫(あらぼんぷ)」だ。自由で、煩悩のまま生きる平凡な人間という意味。「人間は、やはり、自由に楽しく生活すべきだ。本能の赴くままに生き、なおかつひとさまに迷惑をかけない」。作品も、一茶の句に宿るようなアニミズム(自然界すべてのものに精霊が宿っているという考え方)にひかれていった。

 晩年は、埼玉県熊谷市を終の棲家(すみか)と定め、さらに自然の中へ体を溶け込ませてゆく。それは死生観にも表れていた。

 「肉体は滅びても命は滅びない。“あの世”に命はいるのだ」と。(編集委員 喜多由浩)