いろはにほへとちりぬるを
Facebook・近藤裕子さん投稿記事《 いろはにほへとちりぬるを 》
昔の人は 花が咲くことを〈色が匂う〉と言いました。そして この花は 桜 のこと。
桜は咲いても わずか10日ほどで散ってしまいます。この短い春を人生に重ねて〈無常〉と表現しました。短いからこそ 〈一所懸命生きる〉。
人も 折々に〈自分の色〉を咲かせる喜びを見つけて生きていきたいものです。
https://syukatsulabo.jp/article/601 【「いろはにほへと」に込められた意味は一体何か?】より
「いろはにほへと」、その全文とそこに込められた意味を皆様にご紹介していきます。「いろはにほへと」には続きがあるのですが知っていますか?それで初めて意味がでてくるのです。まずは、「いろはにほへと」のすべての文章を記します。全文平仮名なので少しわかりにくいですね。
いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす
今度は、漢字を交ぜた文章です。こうなることで、私たちには分かりやすくなったと思います。
色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず
いろは歌とは一体どういうものなのでしょうか?
いろは歌の始まり
一説によると「涅槃経(ねはんきょう)」と言う仏教に関する本の有名な下段の四句を和訳したものとされ、それが僧たちの手によって平安時代中期には確立したとされています。
また、空海や柿本人麻呂が作者ではないかとされている説もありますが、どれも推測の域をでることありません。
文献で初めて見られるのは、1079年成立の「金光明最勝王経音義(こんこうみょうさいしょうおうきょうおんぎ)」で、その巻頭に掲載されているようです。
七五調四句
十世紀末~十一世紀中頃、平安時代末期の当時七、五を四回繰り返す「今様(いまよう)」という形式で歌を詠むのがはやっていたようで、「いろはにほへと」の「いろは歌」もその「今様」で詠まれています。
七文字区切り
いろは歌は、文献「金光明最勝王経音義(こんこうみょうさいしょうおうきょうおんぎ)」では、七五調ではなく七文字区切りであらわされていたりします。
「いろはにほへと ちりぬるをわか よたれそつねな らむうゐのおく やまけふこえて あさきゆめみし ゑひもせす」となるのですが、それぞれの最後の言葉をつなげると「とかなくてしす(咎なくて死す)」と読めてしまうことから、暗号という説もあります。
仮名四十七文字
いろは歌は仮名四十七文字を一つずつしか使わない制約があったようです。
最後に「ん」や「京」をつけたものがありますが、正しくはつけない四十七文字です。
「京」は弘安10年成立の了尊の著『悉曇輪略図抄(しったんりんりゃくずしょう)』に「末後に京の字有り」とあるので、当時既につけられていたようです。
「ん」は現代近くになってからつけるようになりました。
それでは、「いろはにほへと」の意味に関して少しご紹介いたします。
「いろはにほへと」は「色は匂へど」です。
「色が匂う」というのは、鼻で嗅ぐニオイのことじゃなくて、花のことです。
花の色がワッと見事に、あでやかに色づいていることを表しています。
その花は、桜の花だとされています。
ちりぬるをの意味
「ちりぬるを」は「散りぬるを」です。
その文字の通り、どんなに綺麗な花でもやがて散ってしまうということを意味しています。
わかよたれその意味
「わかよたれそ」は「我が世誰ぞ」です。
『我が世』とは、私の天下・この世の春のことで、栄華のことでもあります。
つねならむの意味
「つねならむ」は「常ならむ」です。
いつまでも変わらないものはない、我が世の春と栄華を誇ったすごい人でも、歴史を振り返ればずっと続いている人は誰もいないということを意味しています。
うゐのおくやまの意味
「うゐのおくやま」は「有為の奥山」です。
「有為」は仏教の言葉で、「有為転変(この世の中の一切は因縁によって仮に存在しているもので、常に移り変わっていくはかないもの、無常の世である)」という四字熟語もあります。
迷い多き人生を「有為の奥山」という言葉で、奥深い山の中を歩いていることに例えているのです。
けふこえての意味
「けふこえて」は「今日越えて」です。読んで字のごとく、今日超えていくのです。
奥深い山の中に例えたその迷い多き人生を乗り越えていくということを意味しています。
あさきゆめみしの意味
「あさきゆめみし」は「浅き夢見じ」です。「浅き夢」とは「はかない夢」のことで、世の中の色々な心を悩ませることはもう見ない、追わないということです。
ゑひもせすの意味
「ゑひもせす」は「酔ひもせず」です。
「もう酔うことはせず」という意味なのですが、これはお酒のことを言っているのではなく、自分・名誉・欲望などの迷いなどをあらわして、これを超えた世界があり安らかな心境でいるということです。
まとめ
「いろはにほへと」の「いろは歌」、ご紹介させていただきました。
いかがでしたか?知ってた、という方にももう一度ご興味をもっていただき、知らなかった方にはちょっとした雑学として覚えていただけたらと思います。
学習用の手習い歌としての「いろは歌」は「いろはにほへと」以外にも「あめつちのうた」や「とりなくうた」や「あめふれうた」など色々あるので、ご興味を持たれた方はぜひご自身でお調べいただけるといいと思います。
https://syukatsulabo.jp/article/979 【いろはの意味とは?いろは歌に秘められた日本の文化と歴史】 より
「いろはにほへと」は古くから伝わる馴染みの深い、いろは歌と言われていますが、込められた意味を知っている人はどれだけいるのでしょう?そこで今回は、日本の文化として親しまれていながら、意外と知られていない「いろは歌」に秘められた、深い意味をご紹介します。
現代の「あいうえお」として、古くから親しまれてきたいろは歌は、「いろはにほへと」から始まり、47文字の重複されないカナ文字が七五調にまとめられています。
子供達が文字を覚えるための「手習い」の手本として利用されてきました。
また、物事の基本としての意味合いを持ち、広く使われてきた言葉でもあります。
しかしながら、いつ、どこで、誰が作ったのかは未だはっきりと解明されていません。
日本の文化を代表する「いろはにほへと」も残念ながら時代の変化とともに、全てを間違えることなく言える人は少なく、意味ともなると知らない人のほうが多いと言っても過言ではないでしょう。
「いろは」と言葉遊び
日本には古くから、言葉のの持つ音やリズムを楽しんだり、ひとつのカナ言葉でいくつもの意味を連想させる、「同音異義語」を楽しむ習慣があり、言語遊戯とも言いますが、言葉遊びと言ったほうがわかりやすいでしょう。
「いろは」ではじまるいろは歌にも、言葉遊びの要素がふんだんに盛り込まれており、手習いの基礎として使われるだけでなく、「とがなくしてしす」などの隠し言葉を見出されたことから、赤穂の四十七士を四十七文字にかけて、「忠義の手本」とされるなど、多岐にわたり日本の文化として、現代も尚親しまれています。
歌としての「いろは」全文と意味
「いろはにほへと」で始まる七五調の「いろは歌」は、子供達がカナ文字を覚えるための手習いに広く利用されてきましたが、「今様歌(いまよう-うた)」という平安中期から鎌倉時代にかけて流行した、七・五調4句からなる新様式の歌謡で、完成度の高い美しいリズムと独特の表現で、人生の儚さや無常観が込められた歌として伝えられてきました。
いろは歌全文
いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うい(ゐ)のおくやま けふこえて
あさきゆめみし え(ゑ)いもせす
いろは歌の意味
色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ(ん) 有為の奥山 けふ(きょう)越えて
浅き夢見し 酔ひもせず
匂いたつような色の花も散ってしまう この世で誰が不変でいられよう
いま現世を超越し はかない夢をみたり 酔いにふけったりすまい
出典:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%82%8D%E3%81%AF%E6%AD%8C
「いろは」で始まる歌の解釈
いろは歌の意味を単純に現代の言葉で、わかりやすく表現すると「色鮮やかに咲き誇り、香る花もいつか色あせて、散ってしまうように、人は変わり、世の中も目まぐるしく変わっていく。
どれだけ繁栄しても、いつかは廃(すた)れてしまう。
いま、迷わずにこの世のすべての欲を捨て、現世を超えよう、酔うこともなく」と、解釈することができ、仏教の「悟り」として、受けとることができるでしょう。
「いろは」の意味と仏教
「いろは」から始まるいろは歌の歴史と解釈は諸説あり、はっきりした解明はされていないものの、最も古い文献として承暦3年(1079年)に成立された「金光明最勝王経音義(こんこうみょうさいしょうおうぎょうおんぎ)」に記されています。
いろは歌の「いろはにほへと」はカナ手習いの手本として使われてきた他、宗教的な深い意味合いと解釈が込められており、一説には弘法大師の空海や柿本人麻呂が作られたと言われていますが、いずれも定かではありません。
いろは歌に秘められた本質と人物
いろは歌は、涅槃経(ねはんぎょう)にある「諸行無常偈(しょぎょうむじょうげ)」の四句を和訳したものと言われています。
意味を紐解いてみると、「全ては無常であり、生じては滅びる(生と死)。
この世(現世)の苦難を乗り越え、迷いや欲を捨てれば、安らぎ(浄土)を得られる」という、釈尊の教えと深い関わりを持っていることがうかがえます。
いろはにほへと ちりぬるを 諸行無常
わがよたれぞ つねならむ 是生滅法
うゐのおくやま けふこえて 生滅滅己
あさきゆめみし ゑひもせず 寂滅為楽
釈尊とは?
釈尊は、真理を悟った人の意味のある仏陀(ブッタ)や仏様、釈迦など様々な呼び名を持っていますが、その教えはインドから仏教として、日本に伝えられました。
世の中は無常であり、生と死を繰り返す儚いものであると説いています。
いろは歌だけでなく、吉田兼好作の「徒然草」や鴨長明の「方丈記」などの日本文学において、釈尊の無常観は必要不可欠な要素とも言えるでしょう。
弘法大師空海作者説
古くから真言宗の開祖である弘法大師空海が「いろは歌」の作者ではないか?と言われてきたのは、仏教的要素が含まれており、限られた文字数の中に仏教の真理を詠み込むことができるほどの人物であったこと。
さらに真言宗を中心とする学僧の間で、学問的用途として使われていたのが、理由とされています。
しかしながら空海の時代には、いろは歌のような今様(いまよう)形式の歌が存在しなかったことから、空海説としての信ぴょう性は極めて薄く、真言宗の学僧が作ったという説もあります。
柿本人麻呂暗号説
飛鳥時代の歌人として万葉集でその名が知られている柿本人麻呂が作者であり、いろは歌に暗号を記したのでは?と言う説がありますが、空海より古い時代に存在した人物であるため、あくまでも推測の域をでることはできていません。
「いろは」と平家物語
鎌倉時代に成立したとされる平家物語には平家一族の繁栄と没落が描かれており、古典文学として教科書に掲載されるなど、多くの人に知られています。
有名な冒頭には「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響き有り 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理(ことわり)をあらわす」と続き、いろは歌と同じく仏教の思想として「無常観」が込められています。
平家物語冒頭の解釈
「祇園精舎の鐘の音には、無常の響きがある。
沙羅双樹の花もいつか色あせるように、盛んな者もいつか衰え、権勢を誇っている人も永久には続かない。
まるで春の夜の夢のようなもので、勇猛な者も最後には滅びてしまう。
風の前の塵と同じである」とあり、命の儚さや栄華の果ての物語として、語り継がれてきました。
まとめ
さて、いろはの意味とは?いろは歌に秘められた日本の文化と歴史はいかがでしたでしょう?
物事の始まりや基本として、また番付などをあらわす言葉として利用されてきた「いろは」の歴史はひじょうに深く、物事の真理が文字の中に秘められた言葉であり、未だ解明されていないことが多いため様々な憶測がありますが、意味の解釈においては、人により多岐にわたります。
しかしながら、短い文字に託された真の意味を理解することは可能です。
日本人の持つ豊かな感性や、言葉と表現の心をいつまでも大切にしたいですね。