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清貧農民・杉山あきら 国会への道 69 農民バンザイ!(7)

2021.04.11 12:30


(写真は僕ではなく、妻のあおいです。似てますが。)
秋田での農業は、埼玉での経験がほとんど通用せずに難航した。
気温や季節感、基本技術が違い過ぎるのだ。
ジャガイモは大宮なら2月には定植するが、こちらでは5月の雪解けを待ってからだ。
ヒヨコの導入も大宮の感覚で3月にしてしまい、寒さでたくさん死なせてしまったりした。
田植え前の「カタ押し」も初めて体験したし、稲刈り時の七段もあるハセ掛けなんて死ぬほど苦労した。
また当時は、無農薬や有機栽培への認知度がまだ低く、ただ見栄えの悪いものとして扱われ、その価値を認めてはもらえなかった(もっともこの分野はその後、劇的に変化し、今は、安全な野菜でないと売らないというような店が本当に多くなっている)。
最初は「昔やってた、トリっこのエサみてえなもの」と言われたエゴマが、健康ブームに乗って再評価されて売れ出したあたりから、我が家の農業も盛り上がってきた。
タマゴはわりと最初から主婦のグループなどが注目して下さり、湯沢、十文字あたりに販売ルートが確立できた。
ヤギも飼い始め、ヤギ乳が手に入り、小麦栽培に成功し、山の恵みも享受できるようになると自給生活もがぜん充実してきた。
食費がごくわずかで済み、毎日体を動かすので健康になり、よく眠れるし、良いことずくめだ。
埼玉、東京から友人がしょっちゅう泊りがけで遊びに来た。みんなこの村の自然環境を絶賛して羨んでくれた。
心に余裕ができたせいか、僕はラジオ出演やギター教室を、妻は山菜、キノコ採りを始めた。いわゆる「半農半X」のスタイルだ。「みんなも自分で食べ物を作って、あとは好きなことをやればいいのに」などとのん気に思っていた。
村の人も、僕の「オウム真理教」の疑いが消えてからは、とても親切に接してくれた。集落の「草刈班長」に指名され、会計も任されるところまで出世できたのだった。
(つづく~「農民バンザイ!」は次回で最終回です)