詠まれる病
https://blog.goo.ne.jp/sikyakuhaiku/e/73f660c93bb13ffd70549242ef941878 【俳句時評134回 詠まれる病――菊池洋勝『聖樹』から 谷村 行海】 より
春の日や病牀にして絵の稽古
今生は病む生なりき鳥兜
たましひの繭となるまで吹雪けり
呼吸器と同じコンセントに聖樹
以上の4句を句会で見たとき、あなたはどの句を選ぶだろうか(すべて選ばないという人ももちろんいるだろう)。いずれも有名句ではあるが、念のためそれぞれの句の作者を記しておくと、上から順に、正岡子規、石田波郷、齋藤玄、そして菊池洋勝となる。
上記4句はすべて病を詠んでいるが、向き合い方が異なる。正岡子規の句は死の前年に詠まれたものだが、病気を患いながらも生きる気力を失わないポジティブな姿勢がみられ、石田波郷と齋藤玄は病を通して切実に人生を思う。最後の菊池洋勝の句は、呼吸器がなければ生きることができないというのに、そのコンセントに聖樹の電源プラグが挿されるという一種皮肉めいたものがある。
作者名が付されていなかったとしても、どの句も句会に出たときに個性の強さが際立つことだろう。
しかし、現実の句会の場に出される病の句はどうか。もちろん個性的な句も見かけはするのだが、病のつらさばかりに焦点を当て、しかもその焦点の当て方に個性が薄い句のほうがそれ以上に多い気がしてしまう。
だからこそ、数年前に菊池洋勝の句を見たときには大変な感銘を受けた。その彼の第一句集『聖樹』が上梓された。
春爛漫ナースに糞を褒めらるる 菊池洋勝
百均で足りる入院準備かな 同上
蟻に噛まれた足を切る話聞く 同上
彼は先天性の筋ジストロフィーを患っており、指定難病にも指定されているように病としてはかなりの重病と言える。だが、彼の句にはその病のマイナス面よりも、病を通した彼の生き方やものの見方が色濃く映し出されている。
掲句1句目は闘病生活で確かに「ある」話だ。糞を褒められるということはもちろん体調がよくなった証拠でもある。とはいえ、恥ずかしい気持ちも同時に生まれてしまい、その照れから積極的に詠もうとする人は少ないような気がする。しかし、彼はそのようなことはせず、むしろそういった側面も積極的に詠んでいく。生身の彼自身が句の奥から見えてくるようにすら思える。
2句目は聖樹の句のようにとてもアイロニカルな句だ。百均は大量消費社会の象徴的存在でもある。もちろん、そこには洗面用具や衣類など、入院生活に必要なものが揃いに揃っている。このように文明が進み、必要なものを迅速かつ安価で入手できるようになりはしたが、肝心の治療の方はどうか。当然、治療のほうも進歩しているはずなのだが、その成果が見えにくいのではないか。身近なものを安く手に入れられたにもかかわらず、もしかしたらこれが悪い意味で最後の入院になる可能性だって出てくる。そんなことを思うと、入院準備を契機にした現代批評的な側面もみえてくる気がする。
最後の句は感情が一切書かれていないのが怖い。尾崎放哉の代表句の1つ「肉が痩せてくる太い骨である」も感情はないが、この句は自身のことを詠んでいる。対して、足を切られた人物はどのような表情をしてこの話を語り、また、聞き手もどのような表情を浮かべているのだろうか。洋勝の句は淡々と書かれていて、淡々と書かれているがゆえにその奇妙さ・話の怖さが浮き出てくる。
水祝恋の敵と名のりけり 正岡子規
遅れてごめん彼女と同じものを 菊池洋勝
君を呼ぶ内緒話や鮟鱇汁 正岡子規
缶ビール一本会話尽きてをり 菊池洋勝
大三十日愚なり元日猶愚也 正岡子規
録画して見ずに消したる年の暮 菊池洋勝
さて、以上何句かとりあげてみたが、彼は自身のTwitter(@kikutitc)のプロフィールにも書いている通り、正岡子規をリスペクトしている。そのことを考えてみると、掲句のようにユーモアや振る舞いぶり・態度など、どことなく正岡子規と相通じるところがある気がしてならない。
かたまりて黄なる花さく夏野哉 正岡子規
秋の蚊のよろよろと来て人を刺す 同上
竿竹の限りに干せる日永かな 菊池洋勝
鶏頭の首に篭りし昼の熱 同上
大きく違うところを考えるとやはり写生だろうか。周知のように、子規は俳句革新として写生を重視した。掲句2句はどちらも明確な写生句で、平凡と言えば平凡な句ともとらえられる。しかし、句を何度も読み返すうちに、「かたまり」や「よろよろ」などの修辞から、他者や自身を寓意化したようにも読めてきて、子規の提唱する写生観の通りに味わい深く感じられる。
一方の洋勝の写生句については、細部まで目線が行き届いているものの、奥行きが子規と比べると薄いような印象を受けてしまう。また、寓意的に詠むよりも、「政治家がマスクで有権者に媚びる」のように、ストレートに詠むことを好んでもいるようだ。
総じて、菊池洋勝の写生、社会詠については物足りなさを感じてしまう。しかし、前述のように、病に対するアプローチについては目を見張るものがある。俳句において病を詠む際の一種の方向性を指し示している気がしてならない。
【参考資料】
高浜虚子選『子規句集』岩波文庫、1993年
尾崎放哉『尾崎放哉句集』春陽堂、2002年
あらきみほ『図説・俳句』日東書院、2011年
現代俳句協会青年部編『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』ふらんす堂、2018年
菊池洋勝『聖樹』毎週web句会、2021年