「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 桜田門外の変と徳川斉昭の死で一気に歴史を進めるドラマの演出
「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 桜田門外の変と徳川斉昭の死で一気に歴史を進めるドラマの演出
水曜日は、毎週ではないが、それなりに「大河ドラマ」について書いている。もちろん毎週ではないので、そうではない記事の事もあるが、それでもなるべく大河ドラマと歴史について書いてみたいと思う。
さて、渋沢栄一を主人公にした大河ドラマ「青天を衝け」は、なかなか面白い。実際に大河ドラマで戦争や合戦がないというのは、なかなか難しいとされていたのであるが、今回の内容は視聴率も悪くなく、なかなか好評なのではないか。
実際に、幕末の物語というのは、戊辰戦争意外に戦争はないと思っている人が少なくないが、実際は蛤御門の変など「変」といわれる戦乱は少なくない。日本というのは、意外と戦いがないように見えるが、実際のところ合戦、戦を「変」という単語で終わらせてしまっているので、少ないように見えるだけなのかもしれない。いずれにせよ「多くの人を殺す」ということを行ったのは、少なくないのである。
今回、「桜田門外の変」は、大老井伊直弼が江戸登城の時に、桜田門の外で水戸藩脱藩浪士に襲われ落命した事件である。歴史の教科書でもあるので、少なくとも単語だけは知っているという人が少なくないのではないか。逆に言えば、それだけの大事件であったということが言える。
ある意味で、江戸時代幕末の大きな時代の転換点であり、「尊皇攘夷」という考え方と、それにたいして「幕府中心(佐幕)」という考え方が対立し、その対立軸の中の最初の犠牲者であるというような感覚でよいのではないか。
ある意味で、それまでの幕府も政治的な対立はあったと思うが、しかし、それまでの幕府の政争とまったく異なるのは、それだけ外国から人が来た、つまり開国ということのインパクトが強かったのではないか。日本人は異質なものを受け入れるのが非常に苦手な民族である。そのことが、このドラマからも見て取れるような気がする。
【青天を衝け】ここでOP曲!?「桜田門外の変」圧巻の演出に「美しくも切ない」「エヴァ方式」
俳優の吉沢亮(27)が主演を務めるNHK大河ドラマ「青天を衝け」(日曜後8・00)は11日、第9話「栄一と桜田門外の変」が放送された。
幕府が朝廷への不敬を繰り返したことで、尊王攘夷を掲げる志士の怒りが爆発し過激化。イギリス公使館通訳殺害事件など外国人を狙った襲撃事件が次々と起こった。
井伊直弼(岸谷五朗)は徳川家茂(磯村勇斗)から水戸家中の多くが浪士となって江戸に入り、自身の命を狙っていると伝え聞く。さらに家茂から「そなたは一度、大老の職を退き、ほとぼりが冷めるまで大人しくしていてはどうか」と提案された。しかし「憎まれごとは、この直弼が甘んじて受けましょう」と聞き入れなかった。
そして「桜田門外の変」が起こった3月3日。雪が降る中、井伊が水戸浪士に襲撃される様子が描かれた。そこでは、かごに乗った井伊が銃で撃たれると、オープニング曲が流れ始めた。井伊がかごの中から外を見ると、水戸浪士と幕府の志士たちが斬り合う乱戦から徳川斉昭(竹中直人)が子どもたちと遊ぶ様子や、井伊が作った狂言「鬼ヶ宿」の様子が差し込まれた。井伊の表情に場面が戻ると、窓の間から刀で刺され、かごの中から引きずり出された。そして、スローモーションでとどめを刺される演出で「桜田門外の変」を締めた。
この演出にネット上では「OPアレンジが流れる中、桜田門の変だと…」「音楽が美しくも切ない…」「桜田門外の変でこのオープニングの音楽…切ない…」「これに美しい曲に合わせてくるの凄い」「凄惨なシーンにさわやかな曲が流れるエヴァ方式」「この曲がなんとしっくりくることよ…」「ここで爽やかなOPの演出」「ちょっと待って、此処でテーマ曲??」「映画のワンシーンみたいに美しく描いとる」といった声があふれた。
また、銃での襲撃に「いわゆる『最新の説』ですねコレ」「え、桜田門外の変って、惨殺じゃなくて、ゴルゴ13みたいな感じだったの?」「銃殺だったの??」「籠を貫通して命中するってすごい」「新しい史実が使われてるけど、悲しいわ」「先に銃で撃たれる説だ」といった声もあった。
4/11(日) 20:45配信 スポニチ
https://news.yahoo.co.jp/articles/bf7cafdbaa9dfa9b4535e4ca989ef5bf535d50de
桜田門外の変は、ドラマの中でなかなか良い書き方であった。ある意味で、「最新の研究による史実」がしっかりと書かれていた。井伊直弼(岸谷五朗)は初めに拳銃で撃たれ、腰の骨を砕かれてしまっていたので駕籠から立つことができなかった。雪の中で、刀の柄を守る袋を付けており、そのために守るまでに時間がかかって、奇襲的な水戸藩浪士之襲撃を防ぎきれなかったとされる。その描写がしっかりとなされていて、なかなか面白い。なお、尾高長七郎がその襲撃に加わったという記録はない。もちろん記録がないだけで加わっていた可能性は少なくない。
実際に大橋訥庵と行動を共にしていた「幕末尊皇の志士」であり、そのような謀議に与していたとしてもおかしくはない。この時の渋沢栄一周辺には尊皇攘夷の雰囲気があって、そのことが、「国に報いる」ということから、佐幕派でありながら渋沢栄一が経済人として国を発展させる大きな力になった。渋沢栄一が、一人で何かをしたわけではなく、尾高惇忠など様々な人の影響を受けて、人間は変わってゆく。その人間が変わって成長してゆく様をうまく描き出しているような気がする。まさに「歴史をなぞる」のではなく「渋沢栄一という人物をうまく使い、その人生と成長の軌跡をなぞる」ドラマになっているのではないか。
さて、この回は、かなりの人が死んでいる。もちろん史実なので仕方がないが、安政の大獄で橋本佐内(小池徹平)も、吉田松陰も獄死している。橋本佐内などはセリフの中で死んだことが明らかになるという感じである。大河ドラマ得意の「ナレ死」に、小池徹平氏のファンの悲鳴が聞こえる。なお、ここで橋本佐内が死んだことで、松平春嶽は横井小楠を重用することになる。時代がまた一つ変わったことを示すことになる。
また、徳川斉昭(竹中直人)が死んだ。これはこれでかなり大きな内容である。江戸時代幕末の尊皇の流れば、徳川斉昭が中心であったといって過言ではない。その徳川斉昭の死は、そのまま水戸藩内の混乱ということで天狗党の乱につながることになり、また、尊皇攘夷の中心が長州に移るということを意味しているのである。長州に移りながら徳川慶喜がその最後の標的として将軍になるというのも、なかなか因果な話ではないか。
大河ドラマは、この辺の幕末の群像がうまく書かれていて面白い。この後、この人々を中心にした明治初期までどのようになるのか。興味深い。