消えゆく伝統をどう観れば良いか?|後編
伝統の旅インタビュー、後編!
前回の前編で二人は「消えゆく伝統」は残さなければならない物ではない、消えることが自然なこともある。というお話しをしてくれました。
そこの背景には、人材不足や後継者不足、自然の循環や環境問題など、なかなかと深く考えなければならない課題が浮かび上がって来たような気がします。
逆に今回は伝統を産業として「残そうとしている」ところについて、二人の感じたことを聞いてみました。
消えてしまわない伝統は、誰かがどうにかする。
編集長|「消えゆく伝統」について伺ってきましたが、逆に「残したいという気持ち」でやっているところはどういうところがありましたか?
仁美|工業的にやっているところかな。商業的な要素というか、機械を入れて産業として、会社として事業をやっているところ。そういう人たちからは「なくなってもしょうがないよね」という言葉は一言も出てこなかったかな。会社としてやってるから、当たり前だろうけど「どうやって伝統ビジネスのシェアを獲得するか?」みたいな視点でやっているのを感じたかなぁ。
編集長|確かに、会社となれば存続しようという気持ちが働いても不思議ではないですね。
海人|あとはそもそも残そうとしているところにはうちらがいってないんだよね。あんまり好まないってのもあって。
編集長|ああ、なるほど。そもそも。
仁美|でもいっぱいあった。調べれば調べるほど、そういうところこそネットもやってるし、SNSもやってるから情報はたくさん出てきたよね。
編集長|なんでそういうところには行こうと思わなかったのですか?
仁美|たとえば、ウェブページとか見ると、会社の代表の人とかの言葉が載っているじゃない。それが、私たちの考えとマッチしていないなと感じたら行かないかな。事業としてやっている人からしたら当たり前なのかもしれないけど、なんか「すごいでしょ?」みたいな空気が伝わって来てしまうと、行きたいと思えなくなってしまう。別に凄いところに興味があるわけでもないし。
海人|それこそメディアに載ったとか、なんとか大臣賞を取ったとか、そういうアピールをしているところもあって、そのために(賞を取るために)やってるのかなぁと感じてしまう。それは製品を売ろうと一生懸命にやっているのだろうけどね。
仁美|そういう製品をうちらが手元に置きたいなって思わないのよね。そういうとこの物って大量生産されていたり、同じ精密度で出来ていたり、整ったものが多い。それらが悪いわけではないけど、ただ私たちが好きなのは「ひとつひとつ丁寧につくられたもの」だったりするから。
海人|自分たちが生きていくため以上の、拡大していくためのエネルギーでつくったものよりかは、ひとつひとつ目の前のものを手仕事でやっている人の方が、自分たちは向き合いたいと思う。
仁美|職人さんにもいろいろいるのよね。自分が好きでつくっていたくて仕方がない人と、会社の商品をつくるという立場の職人さんだと、私たちにかけてくれる言葉が全然違うの。
編集長|ああ、なるほど。雇われ職人さんみたいな。
仁美|つくることが大好きでつくっている職人さんは「いいね、最近の若い子は面白いね」みたいな感じで、私たちが来てもウェルカムに受け入れてくれるんだけど、雇われ職人さんの言葉には「最近の若者は好きなことできていいですね」「儲かってますな」みたいな、ちょっと皮肉めいたニュアンスが含まれていることが多かった。一概にカテゴリー分けしてしまうのは良くないと思うけど、そう感じたかなぁ。本当につくることを楽しんでいる人とそうではない人ではこんなに違うのだなと、感じた。
編集長|いまの話を聞いていて思ったのですが、二人はどちらかというと「消えてしまう可能性のある伝統」のほうが興味があるということになりませんか?
海人|そうだね。消えてしまわない伝統は誰かがやるんじゃない?って思う。
仁美|消えてしまうかもしれないものって、尊いよね。
一応、勘違いのないように二人の気持ちを代弁させてもらうと、これは産業的な伝統を否定するような内容ではありません。
ただし、伝統工芸というものを産業として大きくしていく過程で、考えなければならないことはたくさんある様な気がしています。
たとえば、これは前回も触れましたが「自然との共存」の問題です。産業として大きくすることになれば、その分生産量も上がるため資源の確保が必要になります。
これは農業にも全く同じ問題が考えられますが、野菜を大量生産するためには土地が必要で、その土地を確保するために、土地を整備して、畑を新しくつくらなければならない。その際に元々あった自然が壊されてしまうことがあります。
需要があるからといって、とにかく生産すればいいという時代はもう過ぎ去っていて、これからは持続可能性を考えた生産バランスに目を向けなければなりません。
ふたつ目は「付加価値」の部分。
二人のインタビューの中にもありますが「私たちはそういうものを手元に置きたくない」という言葉のとおり、伝統工芸の価値というものについて考える必要がありそうです。
大量に生産することによって、価値が下がってしまうのであれば、それは商売としてもあまり賢いと言えないでしょう。
伝統を産業として残す方向で考えたとしても、持続可能性のある生産バランスはシビアに考えていく必要がありそうです。
まずは知ること、実感すること。
二人は伝統というものについて「ただ撮る」という態度をとることに決めました。
それは伝統というものに触れた期間が短い自分たちには「なにかをしようだなんて畏れ多い」というような気持ちから来るものでした。
では、私たちは伝統というものに対して、できることは本当にないのでしょうか?せめてもの出来ることがあるとしたら、果たしてそれはどんなものなのでしょうか。
編集長|消えようとしている伝統については、見守ることしかできないかもしれない...ということは共感できるのですが、それにしても「どうにかしたい」と思ったとき、僕たちはなにかせめてものできることはないのでしょうか。二人はどう思いますか?
仁美|そうだなぁ。知ること。想うこと、とか。
海人|やっぱり、まず知るところからじゃないかな?できれば会いにいくとか。意外だと思ったんだけど、職人さんって皆「ほら、見ていきな」みたいに、僕らが突然行っても気さくに接してくれた。「作業の邪魔だ」とか言われるんじゃないかって、勝手なイメージがあったけど、頼んでもいないのに向こうから積極的に案内してくれたり、説明してくれたり。とても優しく対応してくれたのが印象的だった。
仁美|沖縄から来たってこともあると思うけどね。「よく来たね」って、「こんなところまできて、興味を持ってくれてありがとうねぇ」みたいなことを言ってもらえる。せっかく来てくれたんだからって、「これ見たことある?」とかいろいろ紹介してくれたり。
編集長|それはどういう気持ちで、接してくれているのでしょう?
海人|もちろん、来てくれてありがとうってのもあると思うし、興味を持ってくれることが嬉しいってのが大きいんじゃないのかな。そもそも若い人が珍しいっていうのもあると思うけど。これがどのレベルの人に、どういう頻度でやってるのかわからないけど、割と誰にでもおもてなししてるんじゃないかな。
編集長|これは職人さんとは関係ないかもしれませんが、なんとなくお年寄りの方とかはそんなイメージありますね。
仁美|単純におじいちゃんおばあちゃんって、話すの好きよね。
海人|よくよく考えると職人さんにとっては作品が我が子みたいなもので、自分たちが愛を込めてつくったものだから、それは知って欲しいよなって。そう考えたら、突然来た人を無碍に返すとか、雑に扱うとかそんなことはしないよなって。
編集長|毎日毎日、人生かけてやってきたものですものね。それを誰かに話すのは楽しいですよね。
海人|だからまずは知って、物に触れて、会いに行くというステップを踏めたら一番いいと思う。でも産業的にやっているところはSNSをやっていたりするから、遠いところからでも知れるけど、そうじゃないところはなかなか難しい。
仁美|そもそも情報がないから、手に入れられないし、見れないし、話聴けないし、って感じよね。
編集長|そうですよね。なかなか知る機会がない。
仁美|でも、行くと裏話とかも教えてくれるんだよね。どうしてこの商品が生まれたのかとか。山形の鋳物屋さんで鉄鍋を買わせてもらったけど、それは商品として出している物ではなくて、奥さんが旦那さんに頼んでつくってもらった鍋だったらしくて、それがたまたま店頭に置いてあって「私がお願いしてつくってもらったの」って。そういうストーリーも込みで私も買わせてもらったけど。そこにしかない物に触れて、当事者から声が聞けて、それを買うことができて。そういうのがなんか良いのよね。
編集長|確かにそれは大切なことですよね。ここ数年で地産地消とか、作り手が誰かわかるものを買いましょうって、散々言われてきたけど、そこに実感を込めて買って使っているって、実はなかなかないですよね。
海人|なんか、レタスとか野菜に生産者の誰々さんがつくりましたって書いてあるじゃない?あれ、どこまで本当なのとか思わん?いくらでも嘘つけるじゃん。どれだけの実感を持って、その物に対して買って使ってって出来ているかは微妙だよね。
仁美|ちょっと話が変わるけど、うちらが泊まったゲストハウスとかって、裏で畑やっててるところとかが多かったりして「これ持っていきな」とか、「これ隣のおじちゃんがつくったやつだから」とか。その人がつくったって、感じられることがとても良かった。それをさっきの鍋を使って炒めていただきましたよ。
編集長|それ、めっちゃ良いですね。
海人|やっぱり、どこまで実感ができるかどうかだと思う。
まずは知ることから。そして、実感すること。
本当に知って欲しいものこそ、情報が少なく、なかなかその機会を得れないということについては、なるほどと思わせられました。
それこそ、まずは「知ろうとすること」から始まって、興味を持つことにつながるのではないでしょうか。
そしてこうやって、二人のインタビューを読むことで、私たちの「知る」は既にスタートしています。
伝統に対してなにが出来るのか、問いたい。
最後に。このインタビューを通して、私たちはなにを感じ、なにを考え、どうしていくのか?ここからなにを感じて、そのエネルギーをどこに向けるのか。
そこについて、カイトくんは「なにが出来るのか、問いたい」と話してくれました。
海人|伝統に対して、私たちには「なにが出来るのか」ということは問いたいね。みんながどう思うのかとか。
仁美|うちらがただ残すつもりで撮っている写真を見て、なにを感じてくれるのかも知りたい。意図を排除して撮ってるわけだから、それを見てなにを感じるのか。
海人|自分はたまたま写真家だから、写真を撮ってるけど、別の職業の人だったら、なにを感じて、なにをしたいと思うのかとか。そこにも興味あるね。
仁美|だから、アルバムとか本にもしていきたいね。残すという目的でも。旅を回ったところに送りたいなぁ。渡しに行きたいね。
「消えゆく伝統をどう観るのか?」というテーマで、日本全国を巡った二人にインタビューをして来ました。
ここで後編も終わりです。最後まで読んでくださってありがとうございました。
伝統というものは深いテーマであるゆえに、先の未来を考える上で、なかなかすぐには明確な答えを出せそうにありません。
だからこそ、こうやって事実を知った上で、それぞれがなにを感じたのか、意見をくみ交わすことが大切なのではないかと思います。
私個人としては、伝統継承ために必要な人材確保や「自然との共存」と持続可能性を確保した上での産業としての伝統に興味が湧きました。
また、今回の二人の話を聞いて感じたのが「伝統を残すためのアプローチ」と「消えゆくものへ価値を還元するというアプローチ」の二つを切り分けて考えなければならないなということです。
二人の活動は後者につながることでもあるなと感じていて、消えゆく伝統を「ただ撮る」という行為をとおして、なにか心的な豊かさを生産者(職人さん)に還元することができるのではないだろうかということです。
ここでは深くは追求しませんが、カイトくんが言っているように、各々が「なにを感じてなにをしたいと思うのか?」という部分を、自分なりに考えていこうと思います。