猪もともに吹かるゝ野分かな
http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/inosisi.htm 【猪もともに吹かるゝ野分かな(江鮭子)】より
(いのししも ともにふかるる のわきかな)
猪のともに吹かるる野分かな(曲水宛書簡)(いのししの ともにふかるる のわきかな)
元禄3年、幻住庵滞在中の作。 『幻住庵の記』によれば、「里の男ども入り来たりて、「猪の稲食ひ荒し、兎の豆畑に通ふ」など、わが聞き知らぬ農談、ひすでに山の端にかかれば、夜座静かに、月を待ちては影を伴ひ、燈火を取りては罔両に是非をこらす。 」とある。これから類推するに、作者は直接嵐に震えている猪を見たのではなく、農民達が来て話す話の中の猪が野分に濡れて震えている哀れな姿を想像しているのであろう。
猪もともに吹かるゝ野分かな
何もかも吹き飛ばそうといわんばかりの台風がやってきた。この嵐の中、庵の奥山ではあの猪たちはどうしているだろうか。 寒さに震えながら必死に暴風雨に耐えているのだろうか。
猪については、洒堂の鼾をたとえた句「猪の鼾に入るやキリギリス」がある。こちらは、鼾の主が猪にたとえられているのだが。
https://gokurakujoshishogi.wordpress.com/2013/08/20/%E7%8C%AA%E3%82%82-%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%AB%E5%90%B9%E3%81%8B%E3%82%8B%E3%82%8B-%E9%87%8E%E5%88%86%E3%81%8B%E3%81%AA/ 【猪も ともに吹かるる 野分かな(江鮭子 松尾芭蕉)】
野分は台風(暴風)のことである。従って時期的には今の9~10月の季節に詠んだと考えるのが妥当だ。
この時期の猪は冬眠に備え、体脂肪率をマックスまで増やそうとする。エサを求めて町中に降り始めた昨今と違い、この時代の猪は里へ降りてきたとは思いにくい。
よって猪と芭蕉は同じ空間の中にはいない。視界の向こう側、想像の世界の猪だ。
今でも「亥の子餅」というものが食べられている。これは旧暦の10月の亥の日に食べるもので、“この日に亥の子餅を食べると、万病を除き、子孫が繁栄する”と(江戸時代は)考えられていたからだ。
当時、猪が庶民の間でどのような存在だったか、そしてなぜ芭蕉の脳裏に猪が浮かんだのか、「亥の子餅」がその答えの一つである。
https://yuki-tuki.sakura.ne.jp/kamabisuan/taturu/my_cgi/kbk/kbk1809.cgi 【猪もともに吹かるゝ野分かな 芭蕉】 より
(いのししも ともにふかるる のわきかな)元禄三年、幻住庵滞在中の作。と。
このころも猪などによる農作物の被害があったらしい。
「里の男ども入り来たりて、猪の稲食ひ荒し、兎の豆畑に通ふ」(幻住庵の記)
当地はヒグマがうろうろと民家のコンポストや畑のスイカやトウキビをあさり喰うておるらしいが数百年の時代を経ても変わらぬの。
同時に台風の被害も人々の悩みの種であったこともわかりますな。
さてさて来年の干支は問題の「猪=亥」。先日早くもカレンダーをget。
おや?うーむ?平成三十一年の表記がない。元号もともに消さるる暦かな (げんごうも ともにけさるる こよみかな)