舞ひながら舞を脱けゆく秋の蝶
https://atky.exblog.jp/2713876/ 【秋の蝶】 より
「俳句歳時記」の「季語集・秋」によると、「秋の蝶(あきのちょう)」は、「秋に見かける蝶をいう、しじみ貝に似て紫色の小さなものがしじみ蝶」で類義語・類語に「秋蝶、しじみ蝶」などがあるとか。
類語というわけではないが、「秋の蚊」や「秋の蝿」「秋の蝉」などは、どことなく同じ風情を予感させる語群に思われる。
「秋の蚊」は、同上サイトによると、「残る蚊 別れ蚊 蚊の名残」といった類語があり、「秋まで残る蚊を言うが飛び方も弱々しく刺す力も弱くなる」といった光景。
「秋の蝿」は、「秋冷の頃の蠅は元気がなくなり、もっぱら日なたを力なく飛ぶ」という。「残る蠅」が類語としてある。
「秋の蝉」は、「夏の合唱するような鳴き方ではなく、あちこちで澄んで鳴く蝉のこと」だとか。類語は、「秋蝉 残る蝉」のよう。
列挙しておくと、「秋の蜂」は、」「春夏とも活動しているが、冬眠に入るまでの間活発に飛び回る」で「残る蜂」。
「秋の螢」は、「初秋の螢、光も乏しく盛時を過ぎてからの螢なので哀れ深い」で、「秋蛍 残る螢 病螢」。
「赤蜻蛉」という季語があって、「秋空に群れる赤蜻蛉の姿は爽涼で秋そのもの」であり、「茜蜻蛉」という類語があるとか。ガキの頃、暮れなずむ空の下、赤トンボなどを追うころには、夏休みも終わりだったりする。夏の終わりというより、休みが終わるほうが寂しい、つまらない、ガッカリと言う気持ちが強かったような。
学校へ行けば仲間に会える楽しみがあるはずだけど、自分については憂鬱の感を覚えていたようだ。勉強も嫌いだったし、小学生になって間もない頃は特に授業が嫌だった…、先生が嫌いだった。
子供心に先生も自分のことを嫌っているのを嗅ぎ取っていた。できればできの悪いガキなどいないほうがありがたかったのだろう。その意味じゃ、先生も小生のようなボンクラが教室にいて、苦労したことと思われ、今となっては同情の感が強い。
さて、「秋の蝶」に戻ろう。この語は、というか、秋口などに見かける蝶は、いかにも哀れの感を誘う。「冬の蝶」ほどではないにしろ。
夏の盛りが過ぎてまで舞う蝶というのは、オスなのだろうか、メスなのだろうか。番うべき相手が見つかる見込みはあるのだろうか。ただただ生きるためにのみ生きているに過ぎないのだろうか。ひたすら舞いつつ、人間で言えば座して死を待つにも似た不毛とで徒労なる時を茫漠たる、行く当てのない風の吹き渡るだけの空を飛びつつ、剰余の位相に生き暮れるのみなのだろうか。
「TOM'S DINERホームページ」の「秋の蝶」なる頁を覗かせてもらう。
念のため、予め断っておくと、ここは「秋の蝶」という表現があっても、別に季語を意識しているわけではなく、ただ秋の「蝶」だから秋の蝶と表現しているだけのようだということ。
それでも、貴重な画像が楽しめることもあり、参照させていただくのである。
同じ種の蝶であっても、夏場などとは、随分と風情も赴きも違っていることが分かる。まあ、人間だって梅雨時や盛夏と、秋口や秋の真っ盛りとは断然、着るものも違うのだ。
蝶が見たら、人間の様変わりのほうが余程、変化が激しいかもしれない。
興味深いのは、「イチモンジセセリ」や「ウラギンシジミ」などのように、秋になって数を増す種類の蝶もあるということ。秋の「蝶」だからと、人間様が勝手に「あはれ」な風情を読み取ろうとするのは、深読みってことも十分、ありえるということだ。
つまり、秋に数の上でピークを迎える蝶さんたちは、求愛行動で人間の思惑など構っていられない可能性が大なのだ。
季語ということではなく、秋の蝶というと、中原中也の詩「一つのメルヘン」を思い浮かべる方も多いかもしれない:
「一つのメルヘン」
一つのメルヘン
秋の夜は、はるかの彼方に、小石ばかりの、河原があって、 それに陽は、さらさらと
さらさらと射しているのでありました。
陽といっても、まるで珪石か何かのようで、 非常な個体の粉末のようで、 さればこそ、さらさらと かすかな音を立ててもいるのでした。
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、 淡い、それでいてくっきりとした 影を落としているのでした。
やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、 今迄流れてもいなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れているのでありました……
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こういう詩を読むと、あとに続く言葉を失ってしまう。
今日は、もう、これまでにしよう!
ただ、せっかくなので、「古典和歌の中の「蝶」(2)」などは、勉強にもなるし、一読くらいはしておいてもいいかも(ほかに、(1)や(3)がある)。
秋の蝶行き暮れてなお舞う命
秋の蝶わが恋ふ人の文ならん
ふらふらと迷えるごとく舞いたくもあり
https://ameblo.jp/masanori819/entry-12530834004.html 【2019.9.30 一日一季語 秋の蝶(あきのちょう《あきのてふ》)【秋―動物―三秋】】 より
一日一季語 秋の蝶(あきのちょう《あきのてふ》)【秋―動物―三秋】
ひるがへる力も見ゆる秋の蝶 前田普羅
*2019.9.29 向島百花園にて
前田普羅
雄大な自然を詠むことを得意とし、山岳俳句の第一人者として知られた。もともとは都会人であり若いころは江戸文芸に興味を持っていたが、家財を失って富山に移ってより、その陰鬱な風景や雄大な自然から影響を受け作風にも人生観にも変化を及ぼした。
『春寒浅間山』は美しい日本の野山を詠った普羅の代表的句集で、その山岳俳句は飯田蛇笏などからも評価を受けている。
この句でも、秋の蝶を生き生きと描いているように思えます。
【傍題季語】
秋蝶(あきちょう《あきてふ》)
【季語の説明】
八・九月のころは盛んに飛び回っていた蝶も晩秋になるとめっきり数も減り、姿も弱々しく、飛び方にも力がなくなる。
立秋を過ぎてから見かける蝶のこと。春や夏の蝶にから比べるといくらか弱々しい印象を受ける。冬が近くなるとその数もめっきり少なくなる。
関連季語
→ 蝶(春)
→ 夏の蝶(夏)
→ 冬の蝶(冬)
【例句】
万燈の花をはなれし秋の蝶 片山由美子
その先は墓への小径秋の蝶 山口幸子
秋の蝶付けてくれたる形見分 大島雄作
秋蝶の翅を休める百度石 佐脇葭紅
秋蝶の己が影置く石の上 松本三千夫
【秋の蝶】
秋の蝶は初秋(8月)・仲秋(9月)のころは萩の花に群れ飛んだり秋晴の野や川原に翅を輝かせて盛んに飛び回る。
しかし晩秋(10月)になるとめっきり数が減りその姿も弱々しく飛び方にも力がなくなる。
【アサギマダラ】
アサギマダラを有名にしたのはその渡りのすごさです。春から夏にかけては本州等の標高1000メートルから2000メートルほどの涼しい高原地帯を繁殖地とし、秋、気温の低下と共に適温の生活地を求めて南方へ移動を開始し、遠く九州や沖縄、さらに八重山諸島や台湾にまで海を越えて飛んでいきます。海を渡って1000キロ以上の大移動です。台湾・陽明山まで飛んだのはこれまで5個体が確認されていますが、これなど2100キロの飛翔になります。
また逆に冬の間は、暖かい南の島の洞穴で過ごしています。新たに繁殖した世代の蝶が春から初夏にかけて南から北上し、本州などの高原地帯に戻るという生活のサイクルをきちんと守っているのです。季節により長距離移動(渡り)をする日本で唯一の蝶なのです。
長らくアサギマダラは各地でキジョランを食べて越冬すると考えられていたのですが、沖縄本島で観察をした人が、4月の中・下旬頃と秋の10~11月頃のある日、突然ものすごい数のアサギマダラが現われたと思うと、 数日でまったく見られなくなる。その後、食草を調べても卵も幼虫も見られない・・・このことから、沖縄で見られるアサギマダラは、集団で移動する途中に 立ち寄るだけではないだろうか、と考えました。
そこで、1980年から鹿児島はじめ全国の有志によって、羽に油性ペンでマークをつけて放し、次にそのチョウ が見つかったところを結んで移動経路を調べようという調査が開始されました。マーキングといいますが、このおかげでいまではこのチョウが春と秋に北へ、南へという季節を変えた移動をしていることがはっきりしてきたのです。
大阪を拠点とする「アサギマダラを調べる会」(ホームページがあります)などが中心になって観察組織が作られていて小中学生までマーキングに参加しています。そうした人たちのおかげで近年そのルートが解明されてきていますが、毎年記録が更新されているといってもよいほどです。