点が線になる…
「ジッとしていられないんでしょう。」と、言われる。
私はそれを、「おとなしくしていなさい!!」ではなく、
勝手に良い意味だと思っている。
私はヒトツの言葉に魅せられると、動かずにいられない傾向にある。
自分に欠けているところが、個性や優位性ではなく、伸びしろだと考えれば、俄然やる気がでる。
環境と自分が融合できると感じて、自分のパワーを生かせる場であると感じれば、自分の可能性を生かしてみたいと感じる。
ヒトと感性が違うと感じたのは、中学1年生の頃だった。
そして、その違いにただ耐えて苦しんだ時期も、逃げ出したいと思ったこともあった。
社会に出て、男性だったらそれが個性と認められても、女性であるがゆえに排他されることのある現実も多く知り、女性であるたしなみや、ある程度の品格の重要性を知った。
そして、それが今の世の中でもバランスを考えれば有利に働く女性の賢さは素晴らしい可能性を生むことも知った。
数々の思い出は、小さい点や強烈に残る点となり、私の歴史として刻まれていて、突然年月を経て、過去が現実となる。
時として、無条件に私を見出してくれるヒトがいた。
自分を理解されずに苦しんできた時代があるだけに、自分を認めてくれたヒトのことはことさら記憶に残る。
そして、その時が来ると、点が線になり、また私の叡智となる。
23年ぶりに、たった2週間一緒に過ごしたある方とコンタクトを取った。
大学時代お世話になった社会人の大先輩となるその方は、もうお仕事を引退されていた。
歓喜余って涙した。大学時代の私を見出し認めてくれた唯一のヒトだった。
何を言ったわけでもないのに、
「あなたは自分を生かせばヒトと違う人生を歩む。」
「あなたは間違いなく素晴らしいヒトと結婚するよ。」
という二つの言葉をくれた、人生のキーパーソン。
23年間、時として、苦しかったり思い悩んだとき、
「ああいってくれたけれど、全然抜け出せないよ~」
とか、
「素晴らしいヒトと出逢えるって言われたのに、全然その気配ないよ~」
と、もう過去となるその大先輩に空気中で問いかけたことは何度もあった。
そんな私が20年以上の年月を経て、今度その方に逢えることとなった。
愉しみであると同時に困惑する。
まだまだ未熟者の私は、諸先輩方に学ばされるばかり…
環境の変わった今の私は、少し気を張るくらいが必要のようです。