金子兜太作品鑑賞 ④
https://geolog.mydns.jp/www.geocities.jp/mominoie/KANEKOTOUTASAKUHINKANSHOU/SAKUHINKANSHOU.04.html 【金子兜太作品鑑賞 四】 より
原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫あゆむ 『少年』
この句は戦前の「赤蟻這うひとつの火山礫拾う」と好一対をなしているように思う。「火山礫」が戦場、「瓦礫」が戦後の焼跡、そして「赤蟻」や「蟹」が作者自身の姿であるとみなせる気がする。そしてこの「赤蟻」や「蟹」は要するに地べたの上を這ったり、かつかつと歩んだりしているが、このことは兜太の貫かれた生きる態度の一つである気がする。「社会性は態度の問題」と兜太は言ったそうであるが、その態度にも通じるだろう。
瓦礫という現実の上を、蟹がかつかつと、確かめるように一歩一歩、歩いてゆく。また「原爆許すまじ」であるから、そういう方向性を持ちながら、現実を歩もうとする人間の姿が重なる。ほんのりとした蟹の赤、いのちの象徴とでも言える赤い色が私の心に染みてくる。
この句は『少年』の末尾の句であり、それに相応しい。次にこの句の四句前にある句を取り上げたい。
白い人影はるばる田をゆく消えぬために 『少年』
不思議な句であるが、「白い人影」が何を象徴しているのか解れば理解できる。例えば仏性あるいは神性など、生まれながらに誰しもに具わっている性質であり、またその性質を具有している自己の内なるいわば影人を詩的直感で「白い人影」と言った、と私は受け取る。それは本来失われることはないが、混濁した意識に覆われて見えなくなり、消えてしまったように感じることはしばしばある。そうならないために「はるばる田をゆく」必要があるのである。仏教的な言い回しをすれば、仏性は生得のものであるが、それは見えなくなってしまう可能性があるから、仏道修行などという面倒なことをするわけである。
少年の放心葱畑に陽が赤い 『少年』
小学校低学年の頃だったろうか、あの頃は近隣の子等と日の暮れるまでよく遊んだ。そういうある日の夕暮れ時、もう家に帰らなければならないという刻に、少し夕焼けた西の空を見ながら、「ああずっと遊んでいたい」という思い、あるいはまた「ああ大人になりたくない」というような思い、その時間が愛おしくて惜しくて堪らないというような気持で、暫くの間、一人佇んで夕焼を見ていた鮮明な記憶がある。この記憶は私の中で反復して思いだされるのであるが、宝石のような少年時代を象徴する一つの記憶だと言えるかもしれない。そしてそこには既に、やってくる不確かな大人の時期への不安というものも潜んでいた気がする。
少年一人秋浜に空気銃打込む 『少年』
この句は、少年、あえて言い換えれば未成年、というものの持つ一つの特徴がよく出ているのではないだろうか。生きるということに於て、未だ確とした目標が持てていなくて、成果の伴わない行為を繰り返しているようにも見えることである。しかし、この一見空しい時間の堆積の中で、何かが少しずつ熟成しているのだと言えないこともない。
私自身のことを思い返してみれば、このような時期、すなわち、秋浜に空気銃を打ち込みまた打ち込み、空しい響きと少しばかりの灰色の砂が飛び散るのが見えるだけ、というような未成年の時期がとても長かったように思う。大学には入ったものの、生きるということ自体に何の価値も実感できずに、結局学業を放り出して、肉体的にも心理的にもあちらこちらとさ迷っていた五、六年間のことである。
青年鹿を愛せり嵐の斜面にて 『金子兜太句集』
言葉の定義の問題はあるが、大まかに言って、少年とは未だ愛の対象を自覚していない状態であり、青年とは愛の対象を見定め自覚した状態であると言えないだろうか。ここでいう愛とは、一時的気分的なそれではなく、むしろ〈愛は志向である〉というような意味合いの愛である。だから青年はどんな過酷な状況においても、清々しい態度で耐え凌ぐことができる。この句は、そんなことを詩的に表現している。
さて次に、兜太の旅の句のいくつかを鑑賞するつもりでいるのであるが、考えてみれば、兜太の場合は〈定住漂泊〉といって、日常の半分が旅のようなものであり、実際夥しい数の旅吟があるのであるから、旅の句をいくつか拾うなどは無理である。また〈定住漂泊〉という言葉には、定住イコール漂泊というニュアンスもあるから、どれが旅の句であるのかなどは本質的には殆ど区別がつかない。それでも敢て、特に旅の句であると分かるものをいくつか取り上げてみたい。
塩つけパン喰う旅への誘いいきいきと 『少年』
スカッとした解放への予感がうきうきしたリズムで書かれている。「塩つけパン」、肉体を養うための基本的な食べ物である。「人間、塩つけパンがあれば生きられる、大地の味と香りさえする。愚にもつかないしがらみの中で、今まで俺は何をあくせくしていたんだろうか。余分なものは何もかも捨てて、未知なるところへ旅をしたいものだ、いやきっとしよう」というような感じである。一昨年死んだ放浪の詩人サカキ・ナナオの「太陽と水だけでぶっ倒れるまで歩け」という言葉を思い出した。
誘われて荒星覗く旅にあり 『東国抄』
そのサカキ・ナナオがある日、「南十字星は東京でも見えるはずだ」と言い出したことがある。当時彼は、いつも星図を持ち歩いていたので何らかの計算をしたものらしい。この話に山尾三省(故・詩人)を含めた当時の友人達が大いに乗せられて、南十字星を見るために高尾山に登ったことがあった。結果はどうであったかというと、「見えた。見えなかった。確かに見えた気がする・・」というような曖昧なものであった。南十字星が見えたかどうかは抜きにして、いかにも詩人達がやりそうなことではある。これは私の二十歳前後、すなわち昭和四十年代の頃の話である。
旅終る暁(あけ)の灯しを路地路地に 『少年』
一つの旅が終った時の安堵感を伴った温かみのある映像。妙なことだが、ピエト・モンドリアンの「ブロードウェイ・ブギウギ」という抽象画が思い浮かぶのである。あの格子縞の温かい感じの絵である。「暁の灯しを路地路地に」という言葉がそういう連想を引き起すのかもしれない
きょお!と喚いてこの汽車はゆく新緑の夜中 『少年』
自然がざわざわとうごめき出す新緑という季節の、しかも夜中に「きょお!」と喚いてゆく汽車は、既に獣になっている。そしてこの汽車に乗っている作者の気持ちも既にけもののようである。あるいはサファリに出かけるハンターのようである。何かわくわくとした旅の始まりである。
蒸気機関車というものを知らない若い人の為に言及しておけば、蒸気機関車の汽笛の音は実際「きょお!」という感じで鳴るのである。