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麻雀ぐぅ~ぐ

4月16日(金)くもり

2021.04.16 06:01

こんにちは。麻雀ぐーぐです。


なんだかパッとしない天気ですね。朝から2ラス引いて麻雀もパッとしないし、ブログに逃避しようと思います。


現在、金曜の2人立ちで絶好のブログ日和。というわけで、本日はリーチの人の昔の話を書いていきたいと思います。いつも通りまた長くなると思うのでお暇なときにでも読んで下さい。


本当はフリー雀荘デビュー戦の話や、カジノで100万負けたときの話などを書いていこうと思ったんですが、今日はこんな憂鬱な日にピッタリな重苦しい記事を書きます。私の幼少期の話です。


人が死んだりするので、そういう重たい記事が苦手な方はここで回れ右してブラウザを閉じて下さい。


あ、とはいっても、話自体は重たくなりそうですが、実は今となっては全然何とも思ってないし、軽い感じで読んで頂ければと思います。


ではどうぞ。







「〇〇、もうお母さん起きないんだよ・・・」


31年前の今日、母親が死にました。すい臓がんでした。私が小学校に入学してすぐのことでした。


理解ができず、私は大きなクマのぬいぐるみの手を使って母親の顔をポンポンと叩いて何度も起こそうとしていました。


病院のベッドで硬く冷たくなっている母親。その傍らで祖母が号泣しています。


心臓が止まるその瞬間に立ち会えたのかどうかは覚えていません。危ないという連絡を受け、父親と一緒に車で病院に向かったことは覚えています。


まだ幼かったその当時の記憶は断片的にしか思い出せません。


「もうお母さんには会えない。でも小学生のお兄さんだから大丈夫だよな」


父親でしょうか、はたまた親戚のおじさんでしょうか。誰に言われたのかは覚えていませんが、「僕が悲しむと周りの大人達もみんな悲しむ」まだ小さな頭でそう考えました。


母親がいないということがどういうことかよくわからない程に幼かったこともあったでしょう。


「お母さんがいなくても別に大丈夫」

自分の脳にそう思い込ませることに成功しました。


でも今思えば私はあのとき、もっと悲しんでおくべきだったんだと思います。子供らしく泣いて泣いて泣き喚けばよかったんです。


自分の気持ちを押し殺し大人達に対して気丈に振る舞った少年は、このあと徐々に徐々に暗い心の闇の中へと沈んでいくのです。



「お父さんとお父さん、どっちと暮らす?」


葬式を終えた後のことだったと思います。みんな黒い服を着ていた気がします。

自宅のマンションの一室で私は大事な選択を迫られていました。


あの日、車で一緒に病院に向かったのは母親の再婚相手でした。

私の本当の父親は、私がもっと小さい頃に母と離婚していました。


大人になってから聞いた話では離婚の原因はDVだったとかなんとか。私も虐待を受けていたようです。

記憶はほとんどありませんが、ほんの微かな記憶の中の父は「私がちょっとご飯をこぼしたりすると鬼の形相でテーブルを強く叩く恐い人」でした。


どちらを選ぶかは迷い様がありませんでした。


子供が妻の再婚相手を選んだとき、私の本当の父は何を思いどんな表情をしていたのか。今となっては知る由もありません。。



「机の上にお金置いておくからな」


程なくして(養)父と兄と私の3人の生活が始まりました。

2つ上の兄の存在は私の中で果てしなく大きなものでした。もし私が1人っ子だったら、考えるだけでゾッとします。


学校から帰り、夕飯の時間になるといつも兄と2人でお弁当を買いにいきました。街にコンビニが当たり前にある時代ではありません。ほかほか弁当です。


父の帰りはいつも遅く、一緒に夕飯を食べた記憶はあまりありません。ほかほか弁当のメニューを端から全て制覇するのに時間は掛かりませんでした。


恐らく母の亡き後、父に育児を軽く放棄されていたのだと思います。ただ、母の再婚相手である今の父を恨んだことはありません。仕方がないと思います。


いつも夕飯代としてお金を置いていってくれたことには本当に救われました。


朝は母方の祖母が隣町から面倒を見に来てくれました。掃除や洗濯もしてくれていたと思います。

父とは折り合いが合わなかったのか、父と母方の祖母が一緒に居たところを見たことはほとんどありません。


いつからだったか、土日は父方の祖父母の家に預けられるようになりました。

冒頭の台詞で、母の死を私に優しく教えてくれたのがこの祖母です。


何年前だったか、脳梗塞で倒れ後遺症が残り会話ができません。今は施設で暮らしており、ほとんど会うことは叶いませんが、今でも大好きな私にとって大切な人です。

とにかく優しくて優しくて、私のことを本当の孫のようにかわいがってくれました。


小学校5年生のとき、祖母の家で暮らすことが決まったときはとても嬉しかったです。




・・・と、まだ全然中途半端なんですが、長くなってきて疲れてきたので次回に続きたいと思います。


書いている途中で、雀荘のブログというこの場所で私は一体何を書いているんだろうという疑問が浮かんできてはいたんですが、書きたいことを書くと決めてしまっているので仕方ありません。


また近いうちに続きを書きたいと思います。


では、本日も謎のブログを書き始めた男を含め、愉快なおじさん達が皆様のお越しを心よりお待ちしております。


ぜひ一緒に麻雀打ちましょう。