映画『迷子になった拳』
16日の上映後にあったアフタートークに、
僕モテ繋がりで上鈴木伯周さんと共に登壇させて頂きました。
映画『迷子になった拳』
監督:今田哲史
出演:金子大輝
渡慶次幸平
ソー・ゴー・ムドー
ロクク・ダリル
ミャンマーの神聖な格闘技、ラウェイ。
撮影途中で軍事政権が終わり、時世が変わった上に今は大変な事情であるミャンマー。
今撮り終えて公開出来たタイミングや、様々な奇跡がこの映画を呼んでるんだなぁと思った。
ラウェイという格闘技を知らなかった。
格闘技にも特に詳しいわけではない。
そんな私でも、イチ人間として胸にキた。
バンテージのみを巻き、ルールがあるようでないようなラウェイという格闘技。
“世界一危険な格闘技“なんて言われて、バチバチにやりあうケンカのようなイメージを持っていた。恐)
普段、フィクションで出てくる血ノリも本物。
ズッパリ切れた傷も本物。
体と体がぶつかり合う音も、効果音のような大袈裟な音でない。
拍子抜けするような音だったけど、体が当たる本物の音は生々しい。
なぜ闘うのか、何故こんな危険な競技があるのか、なぜ参加するのか?
女にはあまり備わっていない男の本能のようなものがあるのか。
それがロマンって一言で語られるのか。
色々考えながら、答えを求めて観賞してたと思う。
最後には、思わぬ返答が映画からあった。
それは選手を4年間程追いかけた監督が、時間の中で変化して辿り着いた言葉。
自身にも言っているのだという。
知らないし関係ない世界。
知れる機会を得られるのは素敵なこと。
でも、だけじゃなかった。
片隅でも俳優業をしている自分にも、
恐らくサラリーマンの方にもクリエイターにも学生にも、人生を生きている人間には刺さる点が沢山あった。
監督の、独特のテロップが導入では丁寧に説明してくれて。
途中でボケもあってクスリとして。
間で、流れが変わってゆく。
気づかぬ内にラウェイに、選手に惹かれ夢中になっていたが、自分に返ってくるのよ。
あるようでないルールだけど、選手両者に謙遜と礼儀があって成り立っていた。
また、リングの中だけで行われるというルールは存在する。
神聖な競技。だからリング上も、土足で上がるのは許されない神聖な場所とされる。
それがまるで舞台のようだった。
舞台上の俳優と同じ。
何か1本芯を持って立つ姿が、個人的に重なて。
厳かな緊張感が、痺れるほどに美しかった。
その瞬間だけでも観る価値ありである。
いつの時代から、人生にも勝ち組負け組、なんて言葉が生まれるようになった。
多様性のある社会、なんて風潮になってるけど、それでも用意された様々な“当たり前”や“常識”は、今でも人間社会にいればあるもんで。
「目標を持った方がいい」と言われて、その方が目的を果たすために動けて日々明確になるでしょう。
格闘技にはどうしたって勝ち負けがある。
勝とうか負けようか悩む選手なんてきっといない。
だからこそ選手は立ち向かえるエネルギーがあるのだと思うが、人生はそうもいかない。
そしてラウェイは判定が無いものの、最後までリングに立っていたら両者が讃えられるという…。
勝ち負けだけでなく、迷子になる時なんて生きてれば何度だってある。
目標を持とうにも、なんの目標を持とうか、そもそも何が自分のしたいことなのか。
そんな人生の迷子を、監督は作品を通して肯定してくれた。
大事なのはーーー。
これは映画の最後にて。
だから私も、今と、今までの自分を少しでも肯定してあげられた。
明日からの自分も、きっと迷子になったとしても映画に背中を押してもらったから前向きにいられる気がしてる。
そして選手たちの周囲の人達の叱咤激励が飛び交う度、自分に関わってくれる人達の顔が浮かぶ。
選手の周りには、家族、師弟、協会の方々ーー。
その人達が自分を生かしてくれてる。
当たり前を改めて実感し、感謝が湧き上がった。
バキバキの格闘技映画かと思いきや違ったよ。
人生応援映画。
観賞出来て、出逢えて、
とても良かった映画でした。
感染者数が増加して環境が再び変わったついこの頃。
映画館へ足を運ぶのも躊躇するけれど、
もし、もし良ければ。
オススメです。
皆キャラが濃くてどうかしてる←
トークショーに呼んで頂き、ありがとうございました!
伯周さん、今田監督、私。
トークショーが終わったあと、当然お店はやっていなかったのですが。
公園で、ひっさびさの僕モテポッドキャストを収録してきたのよ…!
1年ぶり…?笑)
詰んだ缶の上にマイクを置いて。爆)
マスクはちゃんと付けて。
本当、週一で会って録ってたのがウソみたいだ。笑)
今田監督と、劇場に来ていた執筆陣の林さん、ロンペーさんも一緒に。
『迷子になった拳』について深掘りしました。
すぐアップされると思うので、是非ご視聴下さいませ〜。
『迷子になった拳』HP