兜太 他界からの眼差し
https://htonline.sohjusha.co.jp/190308-01/ 【兜太 他界からの眼差し】 より
古川興一
戦後の俳壇をリードした金子兜太が逝ってから1年。2月20日の命日に日本記者クラブで兜太を語る会とドキュメンタリー映画『天地悠々――兜太・俳句の一本道』の完成試写会があった。
兜太フアンは多い。自分も兜太の句や生き様は好きだった。前衛俳句の旗手とも呼ばれたが、句には素朴で骨太の叙情があった。俳諧自由を標榜し、自由に見たままを説いた。時には季語さえも無用とした。「もっとおおらかに自由に」と言い、「自己表現のためにはもっと馬鹿にならないと」と、日本人の持つ小さな辛気臭さを戒めもした。
俳句は瞬間の美を捉えた世界で最も短い日本独自の定型詩だが、「独自というのは何だという自問自答しなければ道は開かれない」と言いながら、海外への俳句普及にも力を注いだ。今や、200万人を下回らないとも言われる海外の俳句愛好家に対する兜太の功績は少なくない。
ただ、自分には兜太は戦争を憎む戦争体験者ならではの姿も浮かぶ。長野県上田市に戦没画学生の遺作・遺品を収蔵、展示したミュージアム『無言館』があるが、庭には兜太の書になる『俳句弾圧不忘の碑』が建つ。治安維持法による俳人らに対する言論弾圧の忌まわしい事件を忘れないようにとの碑だ。
また2015年の安保関連法案の反対デモが起こったとき、『アベ政治を許さない』のプラカードを覚えている人も多いと思うが、この文字は兜太の手によるものだ。〈佐義長や武器と言う武器を焼いてしまえ〉の句も。
小林一茶を愛し、「荒凡夫」の言葉を好んだ。『荒』は自然と重なる。何ものにもとらわれず、生きる一茶の姿への共感だろう。98歳での大往生。晩年語っていた亡くなっても命はなくならない。他のところで生きている――との他界説に共感する人も多い。命は場所を変え、姿を変えて移っているだけ――。亡くなって1年。確かに兜太の凄みは歳月と共に他界から重さを加えていると感じずにはいられない。〈春落日 しかし日暮れを急がない〉。
https://lifeskills.amebaownd.com/posts/8959054/ 【2月20日、98歳で亡くなった俳人の金子兜太さん】
http://ooikomon.blogspot.com/2019/10/blog-post_13.html 【金子兜太「妻よまだ生きます武蔵野に稲妻」(『百年』)・・】 より
金子兜太第15句集『百年』(朔出版)、2008~2018年(88~98歳)の兜太最後の作品736句を収める遺句集である。後記に安西篤。句集掉尾の句は、
河より掛け声さすらいの終るその日 兜太
陽の柔わら歩ききれない遠い家
である。愚生は、兜太は長生きの血筋だから、わけもなく100歳までは絶対生きると思っていた。それでも大往生というべきだろう。兜太は、毎日立禅をすると言っていた。亡くなった友の名を日々唱えるのだが、いつも100人くらいまでは・・と言っていた。長生きの代償のように、本句集にも追悼句で溢れている。なかには、愚生のよく知っている人もいる。本集には、金子兜太の「慶應病院入院に一か月入院 十句」の前書付の中の句に、
いのち問われて十六夜を過ごす
があるが、皮膚病で入院されていたのだ。愚生が病院に見舞ったときに、「さっき鈴木忍が帰って行ったよ」と言われ、少し世間話をした。当時、鈴木忍は「俳句」の編集長をしていて、愚生は、名ばかりだが、「俳句界」の顧問だった。ふらんす堂の山岡喜美子の話も、池田澄子の話も出た。9年前の事だ。兜太はまだ元気だった。ともあれ、追悼の句を、以下にできるだけ挙げて置きたい。
2009年 阿部完市 二月十九日他界 完市よ菜の花も河津桜も雨
川崎展宏 他界 冬樫の青しよ展宏の笑顔
2010年 井上ひさし 他界 白鳥去りの道とぼとぼわが一茶
橋本圭好子 他界 疳高い電話の声よ遠桜
立岩利夫 他界 蟬時雨真面目真顔のまま老いて
林 唯夫 他界 湖国に病みて長かりき直(ちょく)なりき
小林とよ 他界 亡妻と同学の親(しん)蟬しぐれ
森澄雄 他界 堪えて堪えて澄む水に澄雄
上林 裕 他界 残暑酷し他界の友よ木蔭を行け
松澤 昭 他界 引っぱって震わせて山の男の月の唄
2011年 髙橋たねを 他界 流氷の軋み最短定型人(じん)
峠 素子 他界 冴えて優しく河原の石に峠素子
2012年 山田緑光 他界 激しくて草餅の味緑光は
大木石子 他界 汝(な)が生家五月草の香にありき
中島意偉夫 他界 人のためにこの人あり春怒濤
蓮田双川 他界 野に泉味わえば渋し鋭し
加地桂策 他界 夏潮を素裸かで泳ぎ来し塩味
林 杜俊 他界 笑うとき夏の桜島ありき
渡辺草丘 他界 館林にこの人の声山法師
小堀 葵 他界 楊梅(やまもも)の小堀葵と思いきし
辺見じゅんさん 昨秋九月二十一日他界 じゅんさんのいのち玉虫色にあり
2013年 小沢昭一氏 他界 正月の昭一さんの無表情
西澤 實 他界 句と詩のといまも南凕に立つや
村上 護 他界 青葉の奥明るく確と漂泊す
2014年 村越化石 他界 生きることの見事さ郭公の山河
2016年 弟千侍(せんじ) 他界 青空に茫茫と茫茫とわが枯木
妹稚木(みずき) 他界 紅梅えお埋めし白雪無心かな
2017年 日野原重明さん百五歳で大往生 日野原大老ゆっくり真面目そして真面目
https://kaigen.art/kaigen_terrace/%E3%80%8C%E4%BB%96%E7%95%8C%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E3%80%8E%E7%99%BE%E5%B9%B4%E3%80%8F%E3%80%80%E3%80%80%E5%B0%8F%E6%9D%BE%E6%95%A6/ 【「他界」としての『百年』 小松敦】 より
◆『百年』より五句鑑賞
果てしなく枯草匂う祖国なり
果てしなく枯れている。でも、果てしなく枯草のいい匂いがしている。むんむんと匂う枯れ草の匂い、土の匂い。その匂いをかぐ人間として、私はこの句の世界に引きずり込まれる。枯草は、また生えてくる。果てしなく青々とした大草原になる。そしてそんな土地が私の祖国なのだ。もしかすると、祖国であってほしいと願う希望かもしれないが、「なり」と断定し強く信じている。
「祖国」という言葉には過去から現在まで連面と命をリレーしてきた歴史を感じる。たった十七音の韻律に、壮大なスケールの空間と時間が枯草の生命感とともに出現する。これが、兜太の「生きもの感覚」だ。産土秩父の猪や狼だけでなく。あらゆる命やものごと、自然やその上に構築された社会、過去・現在・未来も共存する、そういうパースペクティブの世界認識が、兜太の「生きもの感覚」であり、アニミズムである。だから、「生きもの感覚」でいると、「他界」も「この世界」も混然一体となる。
兜太は「生きもの感覚」のことを近接した既成概念「アニミズム」とも称しているが、これは自説を説明するのに便利だったからアニミズムと言っているのであって、タイラーの定義や原始信仰を指しているものではなくむしろ〈アニミズムを生む人間の生な感覚『荒凡夫一茶』177頁〉のことを指す。
また、「生きもの感覚」は、俳句の素材のことを言っているのではない。何を俳句に書くのかではなく、どう俳句を書くのか、という態度に必要な感覚である。「社会性は態度の問題」としてどんな思想も肉体化し日常をすすめる態度になってはじめて俳句になると述べていたのと同様に、俳句をつくる者の生き方そのものを指す。
そしてくれぐれも誤解しないでほしいのは、兜太の「生きもの感覚(アニミズム)」や「他界」は、宗教とかスピリチュアルとかオカルトの話ではなく、リアルな世界と存在の話であるということだ。最近の人類学で主流の「多自然主義」を先取りしているし、この「生きもの感覚」や「他界」の思想を、リアルに哲学しているところがすごい。たとえば、95歳で出版したまさに『他界』という本で兜太はこんな考察を記している。
〈ふと「今」を生きる人間にとって、他界は「未来」にあると閃きました。その未来は、わたしたちが予知できない手つかずの領域なはずです、本来は。だが、ちょっと待てよ、と青鮫を通して思えてきたのです。結局、わたしたちが想像している未来は、過去の経験や感情を通して思い描かれた、「時」の写し絵ではないのか。さらに言うなら、その過去とは、時の試練を経てもなお風化せず、わたしたちの心の奥底で静かにしぶとく棲息し続けてきた記憶です。『他界』199頁〉
どうだろう。兜太のいのちは「他界」に行った。しかしその「他界」はどこにあるかというと、わたしたちの記憶にあるのだ。
〈過去、現在、未来の「時」の同化。これこそいのちに段差のないアニミズムの世界ではないか。『他界』202頁〉
「他界」とは過去、現在、未来の「時」の同化であり、記憶であり、「生きもの感覚(アニミズム)」の世界である。というのが兜太95歳に肉体化した思想であり、『百年』の世界である。
散ることなし満開の桜樹に寝て
「散ることなし」が力強い。寝て、まで読むと、散ることがないのは、寝ている者だとわかる。散ることのない花万朶。太平洋戦争のイメージが重なる。肉体は散ったかもしれない。現在と過去、桜木と人間、生と死が一体となって、魂は決して散ることがない、という安心感を覚える。
山百合群落はげしく匂いわが軽薄
山百合の横溢な生命力の中にあってはどんなに強い思いも軽々しく薄っぺらくなってしまうと自己を客観視する。客観視というのは自分ではない誰かの視線だ。誰だ。山百合の視線だ。山百合群落に心を寄せているうちに山百合になって己を見た。「人間中心」ではない。これも「生きもの感覚」に通じる。
新聞紙夏の狐へとんでゆく
新聞紙がとんでゆく。薄毛の夏の狐に対する愛情とも感じる。この時作者は「新聞紙」に「成っている」。「情(ふたりごころ)」が極まると対象に成りきり対象の視線を得る。誤解を恐れずに言えばそれはシャーマン的な技。アントナン・アルトーがタラウマラ族に触れて「器官なき身体」に覚醒したのと似ている。それは、「生きもの感覚(アニミズム)」と「情(ふたりごころ)」の実践であり、若き頃に理論付けようとした造型俳句論では未分化だった兜太作句の奥義である。
積極的に対象に「成ってみよう」。違う世界が見えてくる。違う俳句が生まれるだろう。
動きなし山人の晩夏の総て
動きなし、が強く決まっている。せせこましく動くものはいない。晩夏の暗緑の森に暮らす山人はこの森と同化している。山人は晩夏の山そのものであり総てだ、という感覚。
物や自然や動物や人間が分け隔てなく入れ替わったり同化したりする世界が、おとぎ話ではなく目の前の日常にある。
◆「金子兜太最後の九句」より一句
さすらいに入浴ありと親しみぬ
現在・過去・未来、記憶のさすらい。現実の中にいながらにして原郷を求める「定住漂泊」を最後まで実践している兜太。「入浴あり」がリアルである。
我々も日々さすらっていると思う。昨日の失敗を後悔し、明日の試験を心配する今、気分はそんなにすぐれないかもしれない。過去や未来と繋がって、今がある。だからこそ、今のリアリティに、原郷に漂泊しよう。今この時の豊かさを知ろう。そうやって俳句が生まれることを兜太は他界してもなお教えてくれる。
◆「他界」としての『百年』
この句集『百年』は、他界とこの世界、現在・過去・未来が混然一体となった句集だ。それはそのまま金子兜太晩年の日常であり「生きもの感覚(アニミズム)」そのものである。
「生きもの感覚」は世界を慈しむ。記憶は語り継がれ、魂は連綿と滅びることなく、育まれる。だから兜太は「死なない」のである。