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秩父神社の三猿

2018.04.20 05:57

https://yamashirokihachi.blogspot.com/2018/06/blog-post.html【ニッポン風土記】より

 BS-TBSに『関口宏ニッポン風土記』という番組があり、そのタイトルから、関口宏が全国を巡り知られざる風習などを再発見するのかと思いきや、東京にあるどこかの県のアンテナショップや郷土料理店へ行き、数人の県人とともにその県を紹介するという、笑いをこらえることができないくらい安上がりの番組である。

 先日チャンネルを回しているとその番組の「埼玉県の後半」だった。

 私は若い頃東京近辺に住んでいたことがあり、関東平野のことは分かっていたつもりだったが、出演していた埼玉県人が「秩父は別だ」と何度も強調しているのには驚いた。

 曰く、古代には武蔵の国と秩父の国で言葉も違ったという。

 先日俳人金子兜太氏が亡くなり、「秩父の狼」的な形容をしばしば目にしたが、関東・坂東の金子でもなく武蔵・埼玉の金子でもなく秩父の兜太と言われる所以が感覚的に理解できた感じがした。

その秩父には家康が建立した秩父神社がありそこには三猿が彫られているらしい。

 家光が建立した日光東照宮の三猿ではなく、目も耳も口も塞いでいないという。

 俗に、よく見て、よく聞いて、よく話そうと解されているらしいが、自公政権の進める似非道徳教育的日光の三猿よりも好もしく感じた。

 奈良公園にある三猿(写真)を見ながらもそう思った。

 安倍自公政権の隠蔽、改竄、議論否定の政治を目の当たりにする昨今、「秩父の三猿」を大いに広めたいものである。

 日光の三猿(見ざる聞かざる言わざる)は道教の庚申信仰から派生して儒教で体系というか理屈付けが完成したものと理解するが、為政者が民衆を飼いならすという儒教の悪い側面が浮き出ているように思う。

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http://www7b.biglobe.ne.jp/~photojii/3monkeys/3monkys.html 【 三猿の謎 】 より                                         

左の写真1を何人かに見せたところ

「日光にこんな像ができたの?」とか 「日光の何処で撮ったの?」

と聞く人が少なからずいました。見ざる、言わざる、聞かざるの日光・東照宮の長押彫刻三猿(写真2)が余りに有名で、写真1を見て日光だと思い、また日本語の語呂合わせにぴったりなので三猿は日本が発祥地だと思っている人が多く、私もそのように思っていました。

実は「サンフランシスコの中華街」で撮った写真で右から2つ目が空席になっているのは観光客の記念撮影用です。

写真1: サンフランシスコの三猿 写真2: 日光・東照宮の三猿

この像と東照宮の長押彫刻はもちろん東照宮の方が古いですが思想的にどっちが古いのか調べてみると、三猿の思想モチーフは古代エジプトから始まりシルクロード、中国を経て日本に入って来たようです。

『論語』の一節に「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿動」(礼にあらざるものを視るなかれ、聴くなかれ、おこなうなかれ)と書いてあります。

世界的にも「Three Wise Monkeys」として普及しているようですが、動物が猿なのは世界共通ですが、その対象は国・地域によって異なり、韓国では子女の教育用に特化され、卑猥なことを「見るな、聞くな、話すな」に加えて股間を隠した「四猿」まであるそうです。

ところが埼玉県の秩父神社には全く逆の「良く聞いて、良くみて、良く話せ」というお元気三猿の長押彫刻があります。

写真3: 秩父神社の三猿

例えば「君子危うきに近寄らず」と「虎穴に入らずんば虎子を得ず」

のような全く逆の諺もあり、逆の絵が有っても特に不思議ではありません。

ところが、この彫刻は徳川家康の寄贈です。 家康の墓所である日光・東照宮と正反対の長押彫刻であるのが面白く謎めいたところです。

家康はこの正反対の諺をうまく使い分け、時には見て見ないふり、聞いて聞かないふりをして余計な事は言わず鷹揚に構えることによって、最終的には天下を取り300年もの徳川幕府の礎を築くことができ、一方、石田三成は、この使い分けができず「聞いて、見て、話せ」に偏りすぎ、特に秀吉の命による朝鮮出兵で出陣した武将達への批判が多く、人望が無くなって関ヶ原の戦いで敗れたとするのはこじつけ過ぎでしょうか?

司馬遼太郎さんの「関ヶ原」を読むとこのような人物評価に思えます。