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麻雀ぐぅ~ぐ

4月20日(火)晴れ

2021.04.20 06:42

こんにちは。麻雀ぐーぐです。


今日は通勤で使っている相鉄線が人身事故の影響で運転を見合わせやがりまして、小田急、地下鉄、東海道、京浜東北と乗り継いでなんとか鶴見に辿り着いた私です。


電車通勤はこれがあるから嫌なんですよねー。まあ仕方ないんですけど。。

幸いにもお客様をお待たせすることはなかったようでホッと一安心です。



さて、先週から娘が幼稚園に通い始めました。リーチ家は共働きなので幼稚園が終わったあとの午後も預かってもらえるサービスを利用しています。


昨日は私が休みだったんですが、慣れさせる為に延長保育をお願いしました。先週は嫁が会社を休んでずっと午前中で帰ってきていたので、初めての延長保育です。


とはいえ、いきなり長い時間はかわいそうなので少し早い時間に迎えにいきます。


すると、何やら様子が変なんです。


私が迎えてもニコリともせず、ずっとうつむき加減でテンション激低。見ると膝を怪我しています。

どうやら延長保育の時間にかけっこをして転んでしまったようです。


「幼稚園楽しかったか?」

「足痛くない?」

「給食全部食べられた?」


何を聞いてもコクンとうなずくだけ。いつもベラベラと喋り続けている娘の姿はそこにはありません。

帰り道にコンビニで最近お気に入りのジュースを買ってあげてもテンションは上がらず。


家に着くと、「パパ、おしっこ」とトイレに駆け込みます。

勢いのあるジョロジョロという音を聞いたとき、幼稚園では我慢してたのかもなと思いました。


トイレを出て少し安心したのか、急に目が涙でいっぱいになります。


「パパー!!」


こうなるともうダメです。ずっと堪えていたであろう涙が堰をきったかのように溢れ出します。

私にできることは「大丈夫、大丈夫」とギュッと抱きしめてあげることだけでした。


まだまだオムツが外れたばかりの3歳児です。そんな小さな娘が急に慣れない環境に放り込まれ、知らない子達と集団生活をしなければならないのです。


聞けば、本当は擦りむいた足もすごく痛かったみたいなんです。色々我慢できるようになったんだなぁと思うと同時に、年少さんから幼稚園に通わせるのはやっぱり早かったかなぁと少し後悔した私でした。。


でも、きっと乗り越えてくれると信じています。今は我慢のとき。心を強く持って娘のことを信じたいと思います。



・・・と、感傷的な記事を書いたついでに、先日の記事の続きも少し書いていきましょうか。あんまり間を空けると急に面倒になって放置しそうですし。なるべく長くならないようにサクッと書いていきたいと思います。


前回からの続きになるので、まだ読んでいない方は先週の金曜日の記事からお願いします。

まあたいした話ではないのでスルーして頂いたほうが賢明かもしれませんが・・・。



ではどうぞ。




自分で言うのもなんですが、幼稚園生の頃は人気者でした。明るく活発で賢く足も速い。女の子にもモテました。


小学校に入り、母を亡くしてからもクラス一の人気者、その地位は譲りませんでした。いつもみんなの輪の中心にいるような人間でした。


小学校5年生のとき、父方の祖母の家で暮らすことになり転校を余儀なくされました。

でもまだそのときは明るい性格を保っていたと思います。


中学校2年生になり、再び引越し、転校を経験します。

祖父と祖母、それに父の妹である叔母、その叔母の子供(いとこ)と暮らすことになりました。父は別の場所で暮らしています。


叔母に子供が生まれたとき、途端に家に私の居場所がなくなりました。

私に対してとても優しかった祖母も、本物の初孫である赤ちゃんを前にし、私の存在は目の前から消えたことでしょう。

仕方がないことだと思います。。


思春期の転校。既にグループが出来上がっている中学校のクラスで自分の居場所を見つけるのには非常に苦労しました。


中々友達が出来ず、学校から帰っても家に私の居場所はありません。私はどんどん塞ぎ込んでいきました。暗黒時代の幕開けです。


兄はグレました。気持ちのいいくらいに。典型的な不良です。私は兄のようになってはいけないと、反面教師にしようと、そう思いました。


あの頃、何度も家出を考えました。ですが、ギリギリで踏み止まりました。きちんと学校を出て就職して一人暮らしを始めよう。固く心に決めました。


大学に行きたいなんておこがましいことは言えるわけがありません。行く気もありません。でも高校には行かせてもらおう。

就職に有利そうだからという理由だけで商業高校に決めました。当時、県内の商業科ではいちばんの高校に入れました。


勉強は小さい頃から割と得意でした。ですが、小学校に入学したときに買ってもらった私の学習机の上には、1ヶ月も経たない内に母の仏壇が置かれました。

狭い家でした。他に置く場所がありません。仕方がなかったんです。


それ以降、私が家で勉強をすることはありませんでした。

その代わりに、学校の授業を集中して受ける術を身につけました。


授業の時間はちょうど半荘1回くらいの時間でしょうか。あの頃身につけた集中力の使い方は今の仕事にも活きているはずです。(無理矢理プラス思考)


授業中に集中力を発揮したおかげで、なんとかそれなりの高校に入学することができた私ですが、その頃には私の性格は自分でもわかるくらい恐ろしいほど大きく歪んでいました。


麻雀や競馬など、ギャンブルを覚えたのはこの時期です。集中してギャンブルをしている間は複雑な家のことなどについては何も考えなくて済みました。


高校生活が始まり、程なくしてまた引越しをしました。

父とその再婚相手と暮らすようになりました。だいぶ年の離れた妹ができていました。


高校時代はアルバイトに明け暮れました。少ない給料をギャンブルで増やし、車の免許を取得して、残りは一人暮らしをスタートさせる資金として貯金しました。


あと少しの辛抱。毎日自分に言い聞かせて暮らしていました。


就職に有利な資格をいくつか取得し、高校卒業後は運よく東証一部上場企業に就職が叶いました。寮のある会社というほとんどそれだけの理由で決めた会社でした。




・・・はい。さすがに長すぎますね。続きはまた今度にしましょう。

次回はリーチの人、社会人編をお送りしたいと思います。


では、本日も皆様のお越しをお待ちしております。