弱者に学ぶ生き方の姿勢
人権とは、「人が生まれながらに持っている人間としての権利」で、人間が「かけがえのない個人として尊重され、平等にあつかわれ、自らの意思に従って自由に生きる」ために必要不可欠な権利。
先日、友達と話していて、私は人権侵害に対し、ものすごい憤りがあることに氣付いた。
そして私が一貫して言いたいのは、結局この当たりのことなんだろうと思う。
どんな人も心は、みな自由だと。
人権を侵すなと。
私がこれを脅かされ生き辛さを抱えていたことと、障害をもつ息子を育てる中で重度障害児の様子を目の当たりにして確信したから余計思うのかもしれない。
彼らは、どんなに動けなくても話せなくても、わけがわかってないように見える子も年齢相応に心は発達していた。
運動会になると彼らの精一杯を演じようと頑張っていたし、わかっていない子だと決めつけて、幼稚園児を扱うような言葉かけで中学生の重度障害の子を扱う先生には自分の目いっぱいの機能を使って怒り、目を伏せたりのボディーランゲージを使っていた。
彼らがわかっていることをわかっていないのはこちらである。
アホなのは、私たちの方だったのだ。
子どもたちの方が器が大きく人を赦し自分を委ねるのが上手で、実は心は誰よりも大人かも。
この動画、勝ちよりも友達を助けることを優先させる姿が自然で素敵なんだよね。
逆に心の成長が止まっている人は、高学歴の勉強ができる人などに案外多い。
育ちの中で、心を何かに捧げて生きた人は、その時点で心は子どものまま停滞している。
だから、自分の思うようにいかないと暴力をもって支配する。
見えている世界と実際は逆だ。
できないように見える人や小さな子は素敵な原石をいっぱい持っている。
氣付くと彼らは本当にすごい存在。
弱者と呼ばれる人たちをリスペクトできるようになったら社会は必ず優しくなる。
失ったものを取り戻そう。
そして、一人一人の人権が尊重される社会を作っていこう。