なぜエスカレーターは歩く人を敵に回したのか。
今日はさっそく本題に。
「エスカレーター片側歩いちゃダメ問題」について。
いつものように正しい正しくないではなく自分の中の事実だけを言うと、30年前から今の今までずっと「片側を空けておくこと」がルールだった。
自分は幼き頃からそう教わったし、
空けていない人が変な目で見られていたし、
空けないことは思いやりのない行動だった。
ただ、エスカレーターの構造的問題と歩く人の物理的な問題の2点の危険性を主な理由として、鉄道会社などなどが一斉に大きく告知を展開。
そしてそれを受けた報道の表現の仕方としては、
印象としては突然
「エスカレーターを歩く人はキチガイです」
という話し方をする展開になっていた。
一つ目の「エスカレーターを片側だけ歩いた場合、危険。」という面の話をすると。
もし本当にそうだとした場合、
これまでみんなにお願いして定着させた「片側は歩く人用」というルールを変えていくにはどうするべきか。
お願いしたつもりはなくても実際にはそうなのだから、ここからスタートすると思う。
階段が隣にある場合はそちらに誘導しよう。
階段がない場合の駅などでは、設備を整えるまでは片側は歩くルールのままとしよう。
など
どうしたら危険ではなくなるか。
もしかしたら設備の点検、メンテナンス頻度軽減とかもあるのかもしれないけど、
どうしたら、いろいろよくなるかを現実的な視点で考えていく。
登場人物全員がどうしたらよくなるかなという歩み寄った考え方がシンプルだと思う。
ただ、今回はなぜか違うアプローチをとっていて違和感はすごい。
なぜ、歩いている人を非常識だという扱いにしたんだろう。
ほぼすべての局のアナウンサー、コメンテーターなどみんなこぞって歩いている人を犯罪者扱いしている。
急いでいる人が悪なのか。歩いているのは悪い行為なのか。
そもそもそこにも疑問はあるけど、
やはり第一の違和感としては、
ほとんどの人が生まれたときから「片側は歩く人用に空ける」ことを当たり前にしているのに、どうしてこういう言い方をするに至っているんだろうか。
結果から言うと
こうした違和感や納得感のない取り組みの成果としては、
・歩いたら怒られるという意識
・片側を空けていないと怒られるという意識
両方を抱く結果となり「片側は空けて歩かない」という意味不明な状態で一旦終焉した。
(歩く必要のある人は歩く)
両側に歩かず乗るならまだしも片側を空けて歩かないから、都内の駅は片側に長蛇の列が出来てエスカレーターに乗れない。改札に上がるのにえぐい時間かかることに。
エスカレーターをメンテする側の目線で考えるともしかしたら「なんであいつら歩くんだよバカ」と80年前からずっと思っていたかもしれないが、現実としてあなたにとって悪でも世間ではそうではないし、その相手は恨むべき人間でもない。
そういうルールになっているのだから、この現状を変える方法としては”とにかく説明すること”だと思う。
なぜ危険で、何が危険で、なぜルールを変えるのか。
ただそれだけで終わったら意味がない。
そのルール変更によるメリットは、変更前の今のメリットを凌駕するのか。
歩いたらダメな理由と、歩く理由。
どちらの話もしないと。
歩いたらダメな理由だけで進めるからこうなる。
自分の話をするときは人の話も聞け。
納得さえすれば新ルールは勝手に浸透するのに。
たいした説明もなく、新ルールが正しくて今までのは無茶苦茶だと駄々をこねているに過ぎないその背中には誰もついていかない。
コロナの対策も結局説明が不足し過ぎているから思うように他人が動かない。
どういうプランで何を目指していて、そのためにコレをやる。
コレをやったら、第1段階としてこうなって、次にこうなる予測を立てている。
だからみんなこういう行動をしてほしい。
これに納得感があればみんなやる。
○日に成果を確認して、上手くいっていれば第2ステージの対策に。
想定と違ったら別の対策を考える。
想定と違ったところで↑をやれば、みんな納得して次の対策にも応じる。
子供が高い音楽機材買ってもらうときにただ「なんとなくこれが欲しい」と言ってもダメだけど、こういうのを目指していて、こういうステップでこうしていきたい、そのために今コレが必要。って言ったら買ってくれることもある。
納得する理由があればとっくにルールなんて浸透してると思う。
今日もそんなことを考えながら何もせず休日が終わる。
じゃあの