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“お山の大将論”は間違っていた?【奇跡の小国アイスランドが躍進した理由とは】

2021.04.27 08:00

 「近代サッカーからロマンは消えたのか?」アスレティックビルバオとアイスランドと在日コリアンから見る。では、アスレティック・ビルバオとアイスランド代表が躍進した要因を考察し、在日コリアンサッカーのこれまでについて言及した。

 今回は、2016年欧州選手権・2018年ロシアワールドカップなどといった大舞台で躍進したアイスランド代表の施策を考察し、それと同時に、在日コリアンサッカーがプロを輩出してきた仮説要因でもある「お山の大将論」について再考していきたいと思う。

如何に“成功体験”を積ませることが出来るのか


 アイスランドは人口約35万人という限られた人材の中からでも、その母数となるサッカー人口の「継続率」に着目した。サッカー人口の継続率とはつまり、サッカーに触れる「場」を絶やさないということだ。

 アイスランドサッカー協会(KSI)によると、2000年以降アイスランドは、UEFA(欧州サッカー連盟)や地方自治体からの支援を活用し、120以上のフルサイズピッチと、各地小学校周辺には135以上の人工芝練習場を完備させ、子どもたちが気軽にサッカーに触れられる場を提供した。また、アイスランドの冬は雪が積りサッカーが出来る環境が極めて少なかったのだが、7面の屋内施設を完備させることで、季節に関係なくトレーニングに励むことが可能になった。

 北海道よりもやや大きいといわれている面積(103,000 km²)に対し、この設備環境は整いすぎていると言っても過言ではないだろう。


 その次にアイスランドが着目したのは、サッカーを教える立場にある指導者と、その指導内容だ。

 サッカー人口の継続率を高めていく為には、サッカーを始めた子供たちにサッカーを通した「成功体験」を積ませることが非常に重要になってくる。一言に成功体験と表現すると、優勝などといった「栄ある成績」をイメージするが、決してそれだけが成功体験ではない。たとえば、「以前までは不可能であったプレーが出来るようになった」のような「内部成長」も一つの成功体験であるし、指導者やチームメイトたちとの間に育まれた信頼関係も成功体験の一つと言えるだろう。

 

 つまりは、サッカーを通して子どもたちに「良い思い出」を創造してあげることが大事であり、そのような「場」を提供することの出来る質の高い指導者が、サッカー人口の継続率を高めるうえで必要不可欠だったということだ。

 

 アイスランドサッカー協会で指導者育成担当をするグンナーソン・アルナール・ビル氏によると、アイスランドでは600を超える指導者が活動しているが、そのすべてがUEFA公認の指導者ライセンスを保持しており、ボランティア指導者は誰一人としていない。つまりは、「有資格者が初級者カテゴリーへの指導を行う」ことが可能であり、初級者という大事な時期に、サッカーの楽しさや成功体験を提供し、アイスランド全体としてのサッカー継続率を高められていたということだ。


 また、アイスランドは「平等」を重んじる国でもある。

 

 アイスランドは世界経済フォーラムが毎年発表するジェンダーギャップ 指数(GGI)において常にトップを維持しており、「世界一ジェンダー格差の少ない国」として名高い国でもあるのだが、そのCGIを例とした平等を重んじる文化は、アイスランドに確かな社会的・経済的成長をもたらしている。

 

 それがサッカーとどのような関係があるのか?と疑問に思う方もいるかもしれないが、この国民性がサッカーの指導内容と非常に高い関連性を示しているのだ。

 「限られた可能性の中で戦わなくてはいけない」という制限下で結果を残すべく奮闘したアイスランドサッカー協会は、この平等を重んじる国民性を最大限に活用し、皆に平等の機会を与え、皆に平等の役割を求める指導方針を固めた。このような国民性に沿った指導を行い続けることで、アイスランドにとって最大限にパフォーマンスを発揮しやすいスタイルを確立することが出来たのだろう。

 そのうえで、国内トップ集団であるアイスランド代表チームも、そのスタイルを体現し続けている。

一番のスーパースターが、一番の走行距離を誇る

   

 アイスランド代表は2016年に行われた欧州選手権でベスト8を記録。更に、2018年のロシアW杯では「W杯史上最小国」として話題を呼んだ。このような躍進には様々な要因が挙げられるが、その一つとして、「一番のスーパースターが、一番の走行距離」を誇るという興味深い例がある。

 当時のアイスランド代表は「黄金世代」と評されていたのだが、その中でもプレミアリーグでプレーしていたギルフィ・シグルズソン(エヴァートンFC所属)は国民的スーパースターでもあった。

 スーパースターといえば、チーム内で確立されたポジションがあり、優雅にそのポジションを独占するなどどいった「王様」のような姿が思い浮かぶが、シグルズソンは少し違った。

 シグルズソンはチーム内で一番にピッチを駆け回り、一番にハードワークを徹底したのだ。もともとアイスランド国民には真面目で規律を守るという気質がある。そのなかで、チームのスターであるシグルズソンが誰よりも働いていたとするならば、他の選手たちはサボる訳にはいかないだろう。

   

 そこで一つの疑問が思い浮かぶ。  


お山の大将論は間違っていた?


 これまで在日コリアンサッカー界では、少ない人材の中から高い確率でプロを輩出し続けた要因を、「お山の大将論」と名付けて説いてきた。

 在日コリアンサッカーというグループの中でトップに躍り出た“お山の大将”は、隣の日本のサッカーを覗くことなく、いわば挫折を味わうことなく、個性を最大限に尖らせたまま、大人へと成長していく。

   

 仮に、在日コリアンサッカーという場が無ければ、在日コリアンの原石たちも「追い越せ追い抜け」が行われている日本サッカーに放り出され、丸みを帯びるような「均一化」が図られるだろう。在日コリアンサッカー界で競争を生き抜いてきたトップ数パーセントが、稀に見る個性を発揮し、限られた人材の中からでもプロを輩出し続けることが出来ていた。という推論だ。

   

 しかし、小国アイスランドに“お山の大将”はいなかった。   

 それどころか、その大将が一番にチームの為に一生懸命に走り回っているという話だ。実際にアイスランドのお山の大将であったギルフィ・シグルズソンは自身の行動をもって模範を示し、真のリーダーシップを発揮していた。

 いま本当に求められていることは、「個性を発揮することだけに特化したお山の大将」ではないのかもしれない。


 「誰もが個性を持っていることは当たり前で、その個性をチームにどうフィットさせるのか」

   

 個性だけを武器に生き延びていくのは、至難の技なのだ。圧倒的な個性を持ったお山の大将にこそ、「誰よりもハードワークする気概」を教える必要があり、そのようにして、小国アイスランドは奇跡を成し遂げた。   

 少数精鋭である在日コリアンサッカーにも参考にすべきポイントがあるのではないだろうか。

かつて全国で名を馳せた「黄金世代」は再現可能なのか


 朝鮮学校には、各種学校という理由で、高体連主体のインターハイや全国大会への出場を認められていない時代があった。しかし、世論の声や権利運動のなかで、1994年にインターハイ、1995年に全国高校サッカー選手権への出場権を勝ち取った。

   

 それ以降、大阪朝鮮高級学校サッカー部がインターハイに2度、選手権に3度(2005年はべスト8を記録)出場。その他にも広島朝鮮高級学校や京都朝鮮高級学校がインターハイに出場し、存在感を遺憾なく発揮した。

 しかし、近年は過去を上回るような結果を残せずにいる。

 大会へ出場することが「当たり前ではなかった」当時は、大会に挑める喜びと悔しさを原動力にプレー出来ていたのかもしれないが、大会に出場することが「当たり前」と“なってしまった”いま、それほどにモチベーションを駆り立てられるような原動力が無いのかもしれない。

 

 しかし、あの黄金世代が生まれたのは決して偶然ではないはずだ。その当時の選手たちはある一定の世代を生きてきた指導者にめぐり合い、様々な歴史背景のなかで育んだ強固なアイデンティティを持っていたからこそ、逆境のなかでも栄光を築くことが出来ていた。

 だとするならば、そのような原動力を再現することは出来るのではないだろうか。

  

 今もなお逆風は強く吹き続けている。学生数は減少し、“お山の大将”を育む「場」(試合)すらも与えられない現状がある。しかし、公式大会への出場権を勝ち取ったあの頃のように、在日コリアンサッカーが生き延びるためには、「クラブチーム化」を含め、サッカーの楽しさを知る「場」を提供することが、第一ではないだろうか。

  

 その未来への道を確保出来たとき、「当たり前ではない」状況への有難みを胸に、あの頃よりもアップグレードしたアイデンティティと原動力を掴む日が来るのかもしれない。

 まだまだ未来は切り開けるはずだ。