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Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

多香鳥幸謌、附眞夜羽王轉生——小説26

2021.04.22 00:36


以下、一部に暴力的な描写を含みます。ご了承の上、お読みすすめください。



私は。

まさに自分が眠っていたことを自覚した。わたしにからみつくタオの素肌の温度があった。

タオは眠ったままだった。

寝息を聞く。右手の先に横たわっていた蘭もすでに目を開けていた。

私が彼女に気付いて、首を曲げた瞬間に、その開いた目が我に返ったのを見た。

息を吹き返したかにも蘭は瞬き、そして頭をつめて上半身をのけぞらせた。

体躯がきれいな彎曲を描いた。

顔を私に向けた。

蘭にいまだ顏が存在し、更にめがあり、まして黒めだにもあったことがわたしに新鮮なおどろきを与えた。

蘭のあたらしい一面を見出したが気がしたのだ。

阿のかたちに、蘭はその口を広げた。

舌を口蓋の奧に張り付けた儘に。

口を開いた。

骨格を損傷しそうなほどにも。あと数日後には、ヴィンの陽炎が壁を這うだろうと私はひとりそう確信した。

・急

わたしはその唇に触れた。

指をのばして。

やわらかい。

なぞる。


文書4(淸雅文書B)

片岡比羽犁から北村恒忠氏宛て。メールに添付。

メール本文以下の如。

 お疲れ様です。

 お久しぶりです。例の香香美淸雅からの「報告書」のまとめです。

 読んでいただければ、お見せするのに躊躇した理由もわかっていただけるかと思います。

 原文はいつものようにメールで。

 本人は近日日本に帰国希望のようです。

 帰国時面会できるよう調整しようと思っています。

 ただ、あまり期待しないでください。わがままで、きまぐれなので…

 帰国理由は友人に会わなければならないとか。

 ご確認ください。

以上。

添付ファイル以下の如。

(淸雅文書B)

8月12日。

早朝、夢を見た。あなたの夢を。

ひさしぶりの連絡、驚かないで(怠慢じゃない…できなかった。何故?わからない…)

夢で、あなたは駅にあなたのやわらかな髪を払った。何故?かすかに雨の…霧のような雨、それがあなたの髮に飛沫を散らせたから。

あなたはかすかに首筋と指先に水滴の冷たさを感じた——どう?

違う?

たぶんあってると思う。生々しかったから。

レ・チャン・タオという女性から連絡がありました。清楚なかわいらしい女性だ。三十前。日本への留学経験がある。日本へ行くと婚期までのびるようですね。日本人の病気が伝染して?日本語教師。

秘密にしたわけではない。念の爲。

話すべき程の関係もなかったから。それだけ。

タオは、待ち合わせたカフェで妹に逢ってください、という。そして、嫌じゃなかったら預かってほしいと。

何故?とわたし。

曰く、彼女、両親親族と折り合いが悪いのですが(理由は聞かなかった。プライヴァシーでしょ?人のあやういところまで土足でふみこむ気にはなれない…)、妹を預からなければならなくなったらしいのです。

妹は(歳はとてもはなれている。十四歳…同じ母だとか。…あやしい?

わたしもそう思う。でも、わたしはなにも聞かなかった…理由は上に同じ)失語症らしいです。

6歳の時に言葉を失った、と。

だからまるでいまでも6歳のままなの、と(そんな失語症があるのでしょうか?もっと違う、なにかの疾患なのだと思いました。その時から。尤も、これはあなたの専門であって、わたしには自分のことしかわかりません)。

心が痛みました。何故?

妹を語る時、タオさんはとてもやさしい眼差しをみせる。その、目の色が…

妹さんはサイゴンの病院にいたらしい。そこで問題を起こしたらしい。よって、もううちではあずかれない、と。

ただ、姉のほうも自分一人で食べてますから。誰の庇護があるわけでもなく。

タオさんには仕事がある。立派な仕事。人を育てる仕事。だから日中不在。妹をひとりにはさせられない。だから、お願い、と。

あなたの疑う心の動き、今、よくわかる。たぶん、彼女が(まったく親しいわけではなくとも)一番心をゆるしたのは私を置いてなかったのです。実は、彼女の気持ちには気づいて居る。

わたしは、ね。云わないけど。彼女も云わない。…だから。

わかるでしょう?

私はいいですよ、と答えた。ようするに、共感するところがあたのです。わたしもよくわかりますから。ひとりで生きてこなければならなかった人の気持ち。わたしもそうだから。

明日、つれてきます、という。

今日は大丈夫?

今日の夕方の飛行機で来るんです、と彼女。

そう、とわたし。

彼女は頑張って微笑んでる。わたしはただ、心が痛かった。

以上は午前。

午後、海に生きました。

カンバスもなし。スケッチブックなし。

海を見に、眼差しの中で、色彩を見極めに。

なんどトライしても終に見切ったと想えない。そんな軆たらくで水浴を描こうとするわたしは所詮、狂ってるんでしょうね。

悲しくなった。じっと見てると。

海岸を歩きながら。

切なくなった。

浪の音を聞いて。

ひきさかれるような、そんな…

汐の馨に。

でも、空しくはならないんだ。

なぜだろう?

夜は誰とも会いませんでした。

池田龜鑑という方(源氏の研究で有名な方)の戦前の本で伊勢物語を50冊近い本から校訂した本というのがある。

此の本はこうあの本はこうと異同の詳細がいちいち列挙されていて。

それを全部ばらして一冊一冊もとの形に直そうと思っています。

そんなことやって何の意味があるのか?

ありません。

これはたんなる趣味、それいじょうのもじゃない。(でも、比羽犁とわたしを同じ人間種だからって組み合わせて、人間種ってこうだよって。それ、おかしくない?本来比羽犁は比羽犁。淸雅は淸雅だよ。違う?)

本日は以上。

では。

8月13日。

あなたは今、時に遠く雷鳴を聞いているはず。

転寝もしないのに夢を見て、そしてあなたが目の前…わたしの腕の中に、そして震えて居ました。

どうしたの?

だってね…おそらがなるんだよ…まるで子供のようにそう言った。

なぜ、瞬いた瞬間にわれに返って仕舞ったろう?幼いあなたを失った気がした。

腕に温かみさえ感じています。

怖がらないで。決して、なにもあなたを傷付けはしないから。

あなたは、何によっても、誰によっても傷つけられなどしないから。…

午前。タオさんが妹を連れてきました。

昨日報告したけれど、お姉さんは色白で、ちょっとふっくらしたかた(一般的に女性はシャープな体型をよしとしすぎるわけです。結果、拒食症だのなんだのでしょう?あなたも数知れず見て来た問題でしょうが、ちょっとぽっちゃりで一番女性らしいとおもうのです。源氏絵巻の女性も浮世絵もルノアールもレンブラントも、みんなすべからくゆたかでしょう?ルーベンスまで至れば、あれは男の肉欲にすぎません…あれはダメ)。

一方、妹さんは灼けた褐色のあざやかな肌で(色黑という言葉の差別性を日本人はいつになったら認識するのでしょう?)瘠せた、鋭い感じ。昏い眼差しをして居ます…(たとえばアンナ・カリーナ。ヌーヴェルヴァーグの。それをもっと研ぎ澄ました感じの)

出生の疑いをわたしはいよいよ濃くしたわけですが…

なにも話さないから、まったく邪魔にならない。

反応はにぶい。

でも、ときどき笑います。あまりにも純粋な笑み。

狂人が狂人の世話を?と(とはいえ、あなたも知るように私にとって狂人としてあるということは私からもあなたからも離れて謂わば自生する草の花に舞う蜂としてわたしを、時にはあなたをまでもみるということです)。あなたは笑うでしょう。わたしもおかしく感じる。

なりゆき上、しかたないでしょうそうおもいません?

夜はきのうと変わらず伊勢物語。

ひさしぶりにまとめて読みかえしているわけです。

しかも各段五十回づつね。

あんきしてしまいそうですね。

本日は以上。

では。

8月14日。

左の指に気を付けて。なぜなら今朝なみだをこぼすあなたを見たから。

日ざしがななめに差した(斜め、…60度くらい?)。あなたは瞬くのだが、(そして淚などけはいさえないのだが、)わたしはあやぶむのです。その睫毛をあなたの淚がぬらしてしまうだろうと。

きょうは雨がふりそうだったんでしょう?違いますか?左のゆびに気をつけて。

いずれにせよ誰もが纔かの悪意もなく此の世界を惡意をもってしか見いださないいじょう、わたしはひとり惡意をもってこの世界をすなおに見い出してやろうと努力する者です。

あなたにとって今日が水曜日だったように、きせき的にわたしにとっても今日はすいよう日だった(是は大切なこと。あたりまえだと認識していることじたいに、なんとすさまじい希少性があるだろう?)。だから昨日とおなじくに(まったく違う日、まったく違う時間の中、全く違うじかんと空間の経験だったにかかわらず)午前、タオは蘭を(その褐色の少女をわたしは秘かにそう名付けたのでした)連れてきました。

ベトナム語で彼女はLan、即ち中国語では蘭、故、日本語でも蘭です。

昨日、タオに耳打ちしました。

——名前は?

——誰の?

タオは斜めに顎を傾けながら尋ねた(わたしが妹の名を聞いたことに、彼女は妹への嫉妬を隱す一瞬にわたしを諫めた…)その時に、タオは、

——誰の?

口ごもるわたしに(タオの黑目に反射した様々なかたちの白濁となった朧な姿が見えていた)タオはささやいた。

——妹の?

わたしの唇は(喉さえ、その奥さえも)一瞬言葉というものの存在を忘れていた(つまり、其の時にわたしは蘭と同じ風景の中にいたに違いない)。聲を聞いた。

耳元に。

それは、タオの。